第60話 祭りの後
文化祭ライブを終えたDIGITAL FANTASY。
ようやく緊張から解放された五人のもとへ、撮影を終えた葵がやってきます。
そして、ライブの感想から思わぬ話まで。
祭りの後の、少し賑やかで穏やかな時間です。
ステージを降りても、耳の奥にはまだ拍手が残っていた。
体育館の袖へ戻った瞬間、達也が両手に持ったスティックを高く掲げる。
「終わったー! いや、マジでどうなるかと思った!」
「達也、声大きい」
こずえがベースを抱え直しながら小さく注意する。その顔には疲れが浮かんでいたが、いつもより頬が緩んでいた。
「だって無事終わったんだぞ? 春樹も最後まで歌えたし、徹まで歌ったし。今日いろいろありすぎだろ」
「僕はまだ喉が変な感じするけどね」
春樹はそう言って、水の入ったペットボトルに口をつけた。
一曲目を諦めなければならなくなったときの顔とは違う。声への不安は消えていないだろうが、最後まで『もしあの時』を歌えたことの方が、今は大きいらしい。
「無理して声出すなよ」
徹が言うと、春樹はキャップを閉めながら頷いた。
「今日はもう歌わないよ。明日になったら戻ってるかもしれないし」
「それは期待しない方がいいぞ」
後ろから五十嵐先生の声が飛んできた。
振り返ると、腕を組んだ五十嵐が立っている。
「声変わりなら、しばらく安定しないこともある。無理して前の声を出そうとするな」
「……やっぱりそうですよね」
「まあ、今日はよく最後まで持っていった」
それだけ言うと、五十嵐は次の片付けへ向かっていく。
達也がその背中を見送りながら口を尖らせた。
「もうちょっと褒めてくれてもよくない?」
「褒めてたじゃん」
「春子、あれでか?」
「先生にしてはかなり褒めてたと思うよ」
春子がギターケースを持ち上げたところで、体育館の入口側が急に騒がしくなった。
「如月先輩だ」
「やっぱりそうだよね?」
声に反応して、徹もそちらを見る。
人の間を抜けてきた葵が、こちらを見つけて手を上げた。
「徹くん!」
近くまで来て、徹は改めて葵の姿を見る。
ステージの上から見たときにも分かっていたが、やはり普段とは随分違う。
髪はきれいに整えられ、薄く施された化粧もいつもより大人びて見えた。服も中学校の文化祭へ遊びに来たというより、このまま雑誌に載っていてもおかしくない。
「間に合って良かった……」
葵は胸元へ手を当て、大きく息を吐く。
「ほんとギリギリだったな」
「撮影が全然終わらなかったの。桜田さんに何回時間聞いたか分かんない」
少し遅れて、その桜田由佳が歩いてきた。
「五分おきだったわよ」
「そんなに聞いてないです」
「聞いてたわ」
即座に返され、葵が口を閉じる。
そのやり取りを見ていた春子が、葵を上から下まで眺めた。
「でも葵ちゃん、今日いつもと違ってなんか大人っぽい」
「撮影のまま来たから。着替えてたら絶対間に合わなかったし」
「だから入ってきたとき、みんな見てたんだ」
「……やっぱり目立ってた?」
「かなり」
春子が楽しそうに笑うと、葵は困ったように自分の髪へ触れた。
ふと、こちらを見る。
「徹くんは?」
「何が?」
「何がって……」
葵が自分の服を軽くつまむ。
そこでようやく聞かれている意味が分かった。
「いつもより大人っぽいな」
「それだけ?」
「とても似合ってると思うけど」
「……そっか」
葵はそれだけ答え、少しだけ視線を外した。
なぜか春子まで黙ってこちらを見ている。
「なんだよ」
「別に?」
そう言いながら、春子はギターケースのファスナーを閉めた。
葵は気を取り直したように徹へ向き直る。
「それより最後の曲。あれ、前に言ってた『もしあの時』だよね?」
「うん」
「徹くんが歌詞を書いたって言ってたやつ」
「曲はみんなで作ったけどな」
葵は少し考えるように首を傾けた。
「最初、もっと後悔する歌なのかと思ってた」
「後悔?」
「題名が『もしあの時』だから。でも聴いてたら、ちょっと違った」
葵の指が、聞こえなくなったばかりの音を追うように小さく動く。
「過ぎたことをずっと悔やんでる感じじゃなくて……失敗しても、その先があるっていうのかな。最後は前を向いてる感じがした」
徹は少し驚いて葵を見た。
「よく分かったな」
「私、一応歌手なんだけど」
少し得意そうに胸を張る。
その言い方がおかしくて、徹の口元も緩んだ。
「あと、曲も面白かった。途中で一回、ふっと引くところあるでしょ? そこからまた音が重なってくるの、好きだった」
「そこまで聴いてたのか」
「だから歌手だってば」
二度目は少しむっとした声だった。
「でも、なんか不思議な曲。普通のバンドの曲とはちょっと違うよね」
徹は一瞬だけ返事に困った。
曲を作るとき、わざと未来の音楽を持ち込んだつもりはない。ただ、自分の中にある音楽の記憶は、この時代だけのものではない。
「みんなでいじってたら、ああなったんだよ」
「ふーん」
葵はまだ何か言いたそうだったが、それ以上は追及しなかった。
「私、あの曲好き」
「……ありがと」
思ったより素直に言葉が出た。
自分が書いた最初の歌詞を、実際に歌手として活動している葵にそう言われると、やはり嬉しい。
葵はそこで、何かを思い出したように顔を上げた。
「そういえば、一曲目は何やったの?」
「あっ」
春子が声を漏らした。
徹は嫌な予感がして、そちらを見る。
春子の顔が、明らかに面白がっている。
「葵ちゃん、残念だったね」
「何が?」
「一曲目、徹が歌ったんだよ」
葵の動きが止まった。
「……え?」
「『ラブ・ストーリーは突然に』。キーボード弾きながら」
「…………徹くんが?」
「いや、急に決まったんだよ」
徹が説明しても、葵はこちらを見たまま固まっている。
「それは聞いてない」
「そりゃ聞いてないだろ。いなかったんだから」
「そういう意味じゃない!」
思った以上に強く返ってきた。
達也が吹き出し、春子も肩を揺らす。
「じゃあ、もう一回歌ってよ」
「嫌だよ」
「なんで?」
「春樹の代わりで歌っただけだから」
「ちょっとだけ」
「歌わない」
「ケチ」
「なんでそうなるんだよ」
葵が不満そうに頬を膨らませる。
その横で春子が何気なく言った。
「でも徹、家では結構歌ってるよね。キーボード弾きながら」
「そうなの?」
葵が今度は春子を見る。
「まあ、趣味程度にね」
「……へえ」
ほんの一瞬だったが、葵の視線が徹と春子の間を行き来した。
そのときだった。
「あの、如月先輩!」
後ろから女子生徒が声をかけてくる。
「はい?」
葵が振り返る。
「テレビ見ました。サインお願いしてもいいですか?」
「いいよ」
葵が答えると、それを待っていたように別の生徒も近づいてきた。
「私もいいですか?」
「写真、一緒に撮ってもらえます?」
「『あなたのために』買いました!」
気づけば、さっきまで空いていた葵の周囲に人が集まり始めていた。
「ちょ、ちょっと待って。一人ずつね」
葵が戸惑いながらも笑顔で応じる。
去年までなら、葵がこの学校にいることなど珍しくなかった。徹の教室にも何度もやって来ていたし、廊下ですれ違えば普通に声をかけられていた。
それが一年も経たないうちに、この光景だ。
「芸能人だなあ」
達也が感心したように呟く。
「なんか変な感じ」
春子も人だかりを眺めている。
その横で、こずえだけが妙に落ち着かなかった。
葵を見る。
自分の鞄を見る。
また葵を見る。
「こずえ?」
春子が気づいた。
「…どうした?」
「さっきから何してるの?」
「別に」
そう答えたものの、こずえはしばらく迷ったあと、鞄の中へ手を入れた。
取り出したものを見て、徹は目を瞬いた。
CDだった。
ジャケットには『あなたのために』と書かれている。
「こずえ、それ……」
「今日会えるかもって、持ってきたの」
「もしかしてファンなの!?」
春子の声が響き、こずえが慌てて人差し指を口元へ立てる。
「しー、声が大きいって」
「だって初めて聞いたんだけど!」
「言ってないから」
いつもと変わらない淡々とした口調なのに、耳だけが少し赤い。
人だかりが途切れたところで、こずえはCDを胸に抱えたまま葵の前へ進んだ。
「あの……如月先輩」
「こずえちゃん?」
「これ……サイン、もらってもいいですか」
差し出されたCDを見て、葵の顔が明るくなる。
「買ってくれたの?」
「……はい」
「ありがとう!」
葵は嬉しそうにCDを受け取り、丁寧に名前を書き入れた。
「こずえちゃんへ、でいい?」
「お願いします」
さっきまでステージに立っていたときより緊張しているように見える。
サインを書き終えた葵がCDを返しながら言った。
「ベース、すごくカッコよかったよ。最後の曲、ちゃんと聴いてたから」
こずえが目を見開いた。
「……ほんとですか?」
「うん。音がしっかりしてるから、歌も乗りやすそうって思った」
「ありがとうございます」
受け取ったCDを、こずえは両手で大切そうに持った。
それを見た達也が口を開く。
「こずえ、今日一番嬉しそうじゃん」
「達也くん」
「はい、黙ります」
すぐに引き下がった。
やがて由香里たちもやって来て、徹の歌についてひとしきり話したあと、恒一と佳奈も顔を出した。
佳奈と改めて言葉を交わすのは、やはり少し不思議だった。
前の人生では、話しかけるだけでも妙に緊張した相手。
今は恒一の隣にいて、楽しそうに今日の演奏の話をしている。
「徹、結構歌えるんだね」
恒一が軽く肩を叩いてきた。
「もう歌わないけどな」
「なんかもったいないな」
その隣で佳奈が笑う。
「でも、すごく楽しそうだったよ」
徹は少しだけ考えてから答えた。
「思ったより楽しかったよ」
それだけは、迷わなかった。
夕方になると、校内から人の姿が少しずつ消えていった。
葵も次の予定があるらしく、桜田に急かされながら帰っていく。
「今度、絶対歌ってね!」
「歌わないって」
「覚えてるからね!」
最後まで納得していない葵を見送り、徹たちは体育館へ戻った。
椅子を片付け、ケーブルをまとめ、使った機材を元の場所へ運ぶ。さっきまであれほど賑やかだった体育館も、今では足音が妙に大きく響いた。
窓から差し込む夕日が、床を橙色に染めている。
ギターケースを持ち上げた春子が、ふと口にした。
「来年もやろうね」
達也がすぐに反応する。
「当然だろ。次は最初から最後まで予定通りにな」
「それ、達也が言うと逆に何か起きそう」
「ひどくない?」
こずえが小さく笑い、春樹も掠れた声で「来年までには声も落ち着いてるかな」と呟いた。
徹は夕日に染まったステージを見る。
来年は中学三年生になる。
受験もある。その先には高校、大学、さらにその先にやりたいことも待っている。
いつもの自分なら、きっと先の予定から考えただろう。
けれど今日は、それより先に答えが出た。
「うん。やろう」
春子が振り返る。
「絶対だからね」
「分かってるよ」
床にはまだ、文化祭の名残が残っている。
遠くの教室から誰かの笑い声が聞こえ、それもやがて静かになった。
祭りは終わる。
それでも徹の中には、ステージで感じた熱がまだ消えずに残っていた。
文化祭ライブも無事終了。
葵が『もしあの時』を気に入ってくれたり、こずえが密かに葵のファンだったことが判明したりと、ライブ後も賑やかな一日になりました。
そして徹は、来年もまたこのメンバーでステージに立ちたいと思い始めます。
少しずつ、未来のためだけではなく「今」を楽しむ時間が増えてきた徹でした。




