■第6話 石丸の家
ただの偶然だと思っていた。
同じ町に生まれたこと。
同じ年に生まれたこと。
そして、母たちの旧姓が同じだったこと。
けれど、偶然が重なりすぎると、
それはもう偶然ではないのかもしれない。
石丸。
その名字が頭から離れなかった。
黒沢和子。旧姓、石丸和子。
長浜由香里。旧姓、石丸由香里。
前の人生では、ただ聞き流していた母の旧姓。
親戚筋にそんな家がある、という程度の話。
だが今は違う。
俺は黒沢恒一として死に、長浜徹として生まれた。
その二つの人生の間に、石丸という名前がある。
偶然にしては、あまりにも出来すぎている。
そんなことを考えていたある日のことだった。
「徹、今度の日曜日、おじいちゃんの家に行くからね」
由香里が洗濯物を畳みながら言った。
「おじいちゃん?」
「そう。お母さんのお父さん。石丸のおじいちゃんよ」
心臓が、どくんと鳴った。
石丸。
まさに今、俺の頭の中を占めている名前。
「……行く」
「あら、珍しい。徹、お出かけ好きだった?」
「うん」
由香里は少し不思議そうに笑った。
俺は平静を装ったが、内心は穏やかではなかった。
石丸家。
母たちの実家筋。
そこに行けば、何か分かるかもしれない。
俺がなぜ徹として生まれたのか。
なぜ恒一の近くにいるのか。
その答えの欠片くらいは、見つかるかもしれない。
日曜日。
父の泰造は仕事でいなかった。
相変わらず忙しい人だ。
由香里に手を引かれ、姉の優子と一緒にバスに乗る。
窓の外には、まだ昭和の景色が広がっていた。
低い建物。
古い看板。
道端で遊ぶ子供たち。
どこか懐かしくて、どこか知らない町。
その景色を眺めながら、俺は何度も自分に言い聞かせていた。
焦るな。
今の俺は、ただの子供だ。
聞けることには限界がある。
不用意なことを言えば、怪しまれる。
それでも、目と耳は使える。
大人たちの何気ない会話。
古い写真。
家の空気。
そこに何かが残っているはずだ。
バスを降りて少し歩くと、古い家が見えてきた。
瓦屋根の大きな日本家屋。
庭には柿の木。
奥には、使われているのか分からない小さな蔵。
門の表札には、はっきりと書かれていた。
石丸。
その二文字を見た瞬間、胸の奥がざわついた。
初めて来たはずなのに、どこか懐かしい。
いや、懐かしいというより――呼ばれているような気がした。
「お父さん、来たよ」
由香里が玄関で声をかける。
奥から、低い声が返ってきた。
「おう、上がれ」
畳の匂いがした。
古い木の匂い。
仏壇の線香の匂い。
時間が積み重なった家の匂い。
居間に入ると、白髪混じりの老人が座っていた。
厳しそうな顔。
だが、目だけは妙に鋭い。
「おお、優子。大きくなったな」
「こんにちは」
優子が少し緊張しながら挨拶する。
老人の視線が、俺に移った。
「こっちが徹か」
「うん。もう幼稚園にも慣れてきたみたい」
由香里が笑う。
俺は小さく頭を下げた。
「こんにちは」
すると老人は、しばらく俺の顔をじっと見つめた。
ただ見ているのではない。
何かを探るような目だった。
背筋が少し冷える。
「……変わった目をしとる」
老人がぽつりと言った。
由香里が首を傾げる。
「そう?」
「ああ。子供の目じゃない」
心臓が跳ねた。
やめてくれ。
そんな鋭いことを言わないでほしい。
俺は慌てて視線を落とした。
老人はそれ以上何も言わず、湯呑みを手に取った。
「まあ、座れ」
昼食の準備が始まった。
由香里は台所へ向かい、優子は庭へ出ていく。
俺も子供らしく庭に行くふりをしながら、家の中を観察した。
壁には古い写真がいくつも飾られている。
若い夫婦。
戦前らしき集合写真。
見知らぬ子供たち。
その中に、一枚だけ妙に気になる写真があった。
大勢の親族が並んだ写真。
かなり古い。
その隅に、若い女性が二人写っていた。
一人は、どことなく和子に似ている。
もう一人は、由香里に似ていた。
なるほど。
本当に近い血筋なのだ。
ただの名字の一致ではない。
そう思ったとき、背後から声がした。
「気になるか」
振り返ると、老人が立っていた。
石丸の祖父。
名前は、たしか源三だったか。
由香里がそう呼んでいた。
「写真」
俺は子供らしく短く答える。
源三は俺の隣に立ち、写真を見上げた。
「古いもんばかりじゃ」
「この人、だれ?」
俺は和子に似た女性を指さした。
源三は目を細める。
「それは和子じゃ。黒沢に嫁いだ」
やはり。
母だ。
若い頃の、黒沢和子。
写真の中の母は、まだ少女のように笑っている。
胸が苦しくなる。
「こっちは?」
「由香里じゃ。お前の母さんじゃな」
源三はゆっくり言った。
「和子と由香里は、昔からよう似とった。血が近いけぇの」
血が近い。
その言葉が、耳の奥に残った。
「親戚?」
「まあ、そうじゃ。今の若いもんは、よう知らんかもしれんがな」
源三は少しだけ寂しそうに笑った。
そのとき、ふと表情が変わる。
「石丸の血は、昔から妙なところがあっての」
俺は息を止めた。
来た。
ここからだ。
「妙?」
「勘が鋭い者が出る。人の気持ちが分かりすぎたり、悪いことの前に胸騒ぎがしたりな」
源三の声は低かった。
「昔は、それをありがたがる者もおった。だが、良いことばかりじゃない」
「なんで?」
俺はできるだけ無邪気に聞いた。
源三は俺の顔を見る。
その目が、また妙に鋭くなる。
「見えすぎる人間は、壊れやすい」
胸の奥が冷たくなった。
「石丸の家はな、頭の病気で倒れる者が多い。五十を過ぎてから、急にな」
五十。
その言葉に、前世の自分の死が重なった。
俺は死んだ。
そして今、ここにいる。
それも、この石丸の血筋の近くに。
「頭の病気で……」
「まあ、昔話じゃ」
源三はそこで話を切った。
だが、俺にはもう十分だった。
石丸の血。
勘の鋭い者。
頭の病気で倒れる者。
そして、五十を過ぎてから。
偶然ではない。
少なくとも、俺の転生にはこの血筋が関係している。
そんな確信に近いものが、胸の奥に生まれた。
昼食のあと、優子が庭で遊ぼうと誘ってきた。
俺は一応ついていったが、意識はずっと蔵に向いていた。
庭の奥にある、古びた蔵。
鍵がかかっている。
だが、不思議と気になる。
見てはいけないものがあるような。
いや、逆だ。
見なければならないものがあるような。
優子が庭で石を並べて遊んでいる間、俺はそっと蔵に近づいた。
古い扉。
黒ずんだ木目。
錆びた金具。
その前に立った瞬間、頭の奥がずきりと痛んだ。
「……っ」
思わず額を押さえる。
痛みは一瞬だった。
だが、ただの痛みではない。
何かが、頭の中をかすめた。
古い声。
遠い記憶。
知らないはずの景色。
暗い蔵の中。
紙束。
墨で書かれた文字。
そして――
“願いは血に残る”
その言葉だけが、はっきりと浮かんだ。
俺は扉を見つめた。
呼ばれている。
そう感じた。
そのとき、背後から声がした。
「そこは開けちゃいけん」
源三だった。
俺はびくっと肩を震わせる。
源三は怒っているわけではなかった。
ただ、静かな目で俺を見ている。
「ごめんなさい」
子供らしく謝る。
源三はゆっくり首を振った。
「ええ。ただな、あそこには古いもんが多い。子供が見るもんじゃない」
子供が見るものじゃない。
では、大人なら見ていいのか。
俺はそう思ったが、もちろん口にはしなかった。
源三は蔵を見たまま、小さく呟いた。
「……まだ早い」
その言葉に、胸がざわつく。
まだ早い。
まるで、いつか見る時が来るとでも言うような口ぶりだった。
帰り道。
バスの窓に映る自分の顔を見ながら、俺は今日聞いた話を整理していた。
石丸の血は、勘が鋭い者を生む。
だが、見えすぎる者は壊れやすい。
五十を過ぎて、頭で倒れる者が多い。
そして蔵の前で聞こえた言葉。
願いは血に残る。
俺はただ、生まれ変わったのではない。
誰かの願い。
何かの血。
そういうものに引き戻されたのかもしれない。
窓の外を流れる町並みを見ながら、俺は小さく息を吐いた。
まだ分からないことだらけだ。
けれど一つだけ、はっきりしている。
この人生には、理由がある。
そしてその理由はきっと、石丸家の奥に眠っている。
家に帰る頃には、夕方になっていた。
由香里は疲れたように笑いながら、俺の手を引く。
「今日は楽しかった?」
「うん」
「また行こうね」
また行く。
その言葉に、俺は小さく頷いた。
次に行くときは、もっと知りたい。
石丸家のこと。
蔵のこと。
そして、俺自身のことを。
夜、布団に入っても、頭の奥にあの言葉が残っていた。
願いは血に残る。
誰の願いだ。
何のために。
そして俺は、どこへ繋がっていくのか。
目を閉じる。
暗闇の中で、ふと誰かの声が聞こえた気がした。
低く、古く、遠い声。
――来たか。
俺は目を開けた。
もちろん、部屋には誰もいない。
ただ、胸の鼓動だけが妙に速かった。
この物語は、まだ始まったばかりだ。
そう思った。
そして同時に、もう後戻りはできないのだとも思った。
第6話を読んでいただきありがとうございます。
今回は、徹が初めて石丸家を訪れ、
この血筋にまつわる違和感へ触れる回でした。
石丸家に伝わる「勘の鋭い者」や、
頭で倒れる者が多いという話。
そして蔵の前で浮かんだ言葉。
徹の転生には、まだ本人も知らない理由が隠されています。
次回は、恒一との日常に戻りつつ、
徹自身にも少しずつ変化が起き始めます。
引き続き、よろしくお願いします。




