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『死んだ俺が1977年に転生して、君へ繋がる人生をやり直す』  作者: れいじ


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第56話 姉ちゃんの次の道

文化祭を前に、今回は少し学校を離れて長浜家のお話です。

高校三年生の優子にも、卒業後の進路を選ぶ時期がやってきました。

未来を知る徹が求人票の中で見つけたのは、今はまだ小さな一つの会社でした。

二学期が始まってから、家の中にも少しずつ秋の気配が混じり始めていた。


 夕食を終えて風呂から上がると、居間の窓から入ってくる夜風が思っていたより涼しい。夏の間は鬱陶しいだけだった扇風機も、今では首を振ったまま弱い風を送っている。


 冷蔵庫から麦茶を取り出して戻ると、いつもとは違うものが目に入った。


 居間のテーブルいっぱいに、紙が広げられている。


 その向こうで姉ちゃんが頬杖をつき、難しい顔で一枚ずつ眺めていた。


「姉ちゃん、何してるの?」


「見れば分かるでしょ」


「分からないから聞いてるんだけど」


 コップを置き、一番手前の紙を覗き込む。


 会社名、所在地、仕事内容、勤務時間、給与。細かい文字がびっしり並んでいた。


「求人票?」


「そうよ」


 姉ちゃんは気のない返事をしながら一枚を横へずらした。


「もう九月だし。そろそろちゃんと考えろって先生がうるさいの」


 そこでようやく、当たり前のことを思い出した。


 姉ちゃんは高校三年生だ。


 俺にとっては昔から変わらない、家にいる姉ちゃんのままだが、来年の三月には高校を卒業する。


 その先を決める時期に来ている。


「大学は?」


「行かない」


 迷いの欠片もない即答だった。


「早いな」


「だって、また何年も勉強するんでしょ? もういいよ」


「姉ちゃんらしいね」


「それ、どういう意味?」


 ぴくりと眉が動いた。


「そのままの意味」


「絶対いい意味じゃないでしょ」


「そんなことないって」


 姉ちゃんは疑わしそうに俺を見たあと、また求人票へ視線を戻した。


 テーブルの上には事務、販売、受付、製造と、いろいろな仕事が並んでいる。


「就職はするんだ?」


「たぶんね。学校にも結構求人来てるし」


「たぶん?」


 俺が聞き返すと、姉ちゃんの指が止まった。


 さっきまで適当に紙をめくっていた手が、そのまま動かなくなる。


「……何がしたいか、分かんないんだよね」


 思っていたより静かな声だった。


「仕事?」


「うん」


 姉ちゃんは一枚の求人票を持ち上げ、少し離して眺めた。


「みんな普通に決めてるけどさ。事務がいいとか、販売がいいとか。私、働いたことないんだから、何が向いてるかなんて分かんないし」


「まあ、それはそうだよね」


「事務なら楽かなって思ったけど、一日中座ってるのも嫌だし。販売なら動けるけど、ずっと愛想よくしてるのも疲れそうだし」


「注文多いな」


「就職なんだから考えるでしょ」


「ごもっとも」


 姉ちゃんは小さく息を吐いた。


「大学行く子はさ、まだ四年あるじゃん」


「うん」


「でも私は来年から働くんだよ。何十年も働くかもしれない会社を、こんな紙一枚見て決めろって言われてもさ」


 そう言って、求人票の端を指先でいじる。


 普段の姉ちゃんは、あまり先のことを深刻に考えているようには見えない。


 でも高校三年生ともなれば、さすがに何も考えていないわけではないらしい。


 十八歳。


 考えてみれば、人生で最初に自分で大きな道を選ぶ年齢なのかもしれない。


「別に、一生そこで働くって決まってないでしょ」


「え?」


「仕事変えるかもしれないし、途中でやりたいこと見つかるかもしれないし」


「簡単に言うねえ」


「簡単じゃないよ」


 それだけは分かっている。


 一度人生を終えた俺だからこそ、最初に選んだ道を最後まで歩く人間ばかりではないことも知っている。


「それに彼氏でもできれば、結婚ってこともあるし」


「……は?」


 姉ちゃんの顔がゆっくり上がった。


 目が細くなっている。


「何よ、急に」


「可能性の話」


「中学生の弟に結婚の話されたくないんだけど」


「別に心配してないよ」


「じゃあ何よ」


「姉ちゃんにも、そういう未来があるかもしれないってだけ」


 姉ちゃんは求人票を丸めるように持ち上げた。


「余計なお世話!」


「ちょ、求人票を武器にするなよ」


「徹が変なこと言うからでしょ!」


 頭を守るように腕を上げると、姉ちゃんは呆れたように鼻を鳴らし、求人票をテーブルへ戻した。


 数秒の沈黙。


「……彼氏ねえ」


 ぽつりと呟く。


「欲しくないの?」


「欲しくないとは言ってない」


「じゃあ欲しいんだ」


「うるさい」


 今度は本当に肩を叩かれた。


「痛っ」


「高校生活でできなかったんだから仕方ないでしょ」


「いなかったんだ」


「徹」


「はい」


「今日はほんとに腹立つ」


 睨まれたが、頬が少し赤い。


 俺は笑いを堪えながら、目の前の求人票へ視線を逃がした。


「でもさ」


「何?」


「就職したからって、そこで人生全部決まるわけじゃないよ」


 姉ちゃんが黙る。


「仕事を変えるかもしれないし、結婚するかもしれない。何か別にやりたいことが見つかるかもしれない。今決めるのは、最初の一個だけでしょ」


「……最初の一個」


「うん」


 姉ちゃんは少しだけ考えるように目を伏せた。


 さっきまで山のように見えていた求人票を、今度は一枚ずつ丁寧に見始める。


 俺も向かいから適当に眺めた。


 知っている会社の名前もいくつかある。


 前の人生では当たり前に存在していた会社が、まだ若い姿のまま求人を出している。


 妙な感覚だった。


 何枚かめくったところで、俺の手が止まった。


「……エーストレーディング?」


「ん?」


 姉ちゃんが顔を上げる。


 若者向けの靴や衣料品を扱う会社。


 勤務地は都内。


 販売職。


 会社の規模は、それほど大きくない。


「店の名前は?」


「そこに書いてあるよ」


 姉ちゃんの指先を追う。


 ACE SHOES。


 その文字を見た瞬間、胸の奥に小さな引っかかりが生まれた。


「……あれ?」


「何?」


「いや」


 もう一度見る。


 エーストレーディング。


 ACE SHOES。


 記憶の中にある。


 駅前。


 繁華街。


 ショッピングモール。


 前の人生では、全国のどこへ行っても見かけるくらい大きくなっていた靴のチェーン店。


 だが、求人票に書かれている店舗数は少ない。


「姉ちゃん、この会社って今何店舗くらいあるの?」


「知らないよ」


「東京だけ?」


「たぶん。都内数店舗って書いてあるけど」


 数店舗。


 やっぱりそうだ。


 俺が知っている頃とは、まるで違う。


「徹?」


「何?」


「なんで急にそんな食いついてんの?」


「ちょっと気になっただけ」


「靴屋が?」


「うん」


 求人票をもう一度読む。


 海外ブランドのスニーカー。


 若者向けの商品展開。


 今後も出店予定。


 未来の記憶を抜きにしても、悪くない会社に見えた。


「姉ちゃん、これ受けたら?」


「は?」


 予想通りの顔だった。


「なんで?」


「これから伸びそうだから」


「何を根拠に?」


「店舗増やそうとしてるし、若い人向けに絞ってる。スニーカーだって、これからもっと普通になると思うし」


 姉ちゃんはしばらく俺を見つめた。


「……徹」


「何?」


「あんた本当に中学生?」


「最近それ、よく言われる」


「誰によ?」


「いろんな人」


「あんた学校で何してんのよ」


「普通に学校生活送ってるよ」


「絶対嘘」


 完全に疑われている。


 姉ちゃんは求人票を取り戻すと、もう一度目を落とした。


「でも販売だよ?」


「嫌なの?」


「嫌じゃないけど」


「じゃあ一回店見てみたら?」


「店?」


「働くかもしれない場所なんだから、求人票だけより分かるでしょ」


 姉ちゃんはしばらく黙っていたが、やがて小さく頷いた。


「……まあ、それはそうか」


 次の日曜日。


 俺は姉ちゃんと一緒に、ACE SHOESの店舗を見に来ていた。


「別についてこなくてもよかったのに」


「俺も見てみたかったんだよ」


「やっぱり気になってるじゃん」


「少しね」


 休日の街は人が多かった。


 学生や家族連れ、買い物袋を抱えた若い男女が行き交い、店先から流れる音楽が通りのざわめきに混じっている。


 目的の店は、繁華街の一角にあった。


 俺が記憶している巨大チェーンの姿と比べれば、かなり小さい。


「ここ?」


「みたいだね」


 二人で中へ入る。


 壁には色とりどりのスニーカーが並んでいた。


 革靴が中心の昔ながらの靴屋とは、雰囲気が違う。


 店員も若い。


 店内には軽快な音楽が流れ、客も俺たちとそう変わらない年代が多かった。


 姉ちゃんは最初、ただ店内を見回していた。


 けれど次第に足を止める回数が増える。


 靴を手に取る。


 棚を見る。


 店員が客と話している様子を目で追う。


「これ、可愛い」


 スニーカーを手にした姉ちゃんが小さく言った。


「買うの?」


「今日は見に来ただけ」


 そう言いながら、しばらく靴を戻さない。


 そのとき、若い女性店員が近づいてきた。


「よかったらサイズお出ししますよ」


「あ、今日は大丈夫です」


 姉ちゃんは少し迷ったあと、店員を見た。


「あの」


「はい?」


「ここで働くのって、大変ですか?」


 俺まで姉ちゃんを見る。


 そんなことを聞くとは思わなかった。


 店員も一瞬驚いたようだったが、すぐに笑った。


「大変ですよ」


「やっぱり?」


「立ちっぱなしですし、忙しい日は足も痛くなるし。お客さんに怒られることだってあります」


 姉ちゃんの顔から少し期待が消える。


 だが店員は、手にしていた靴を棚へ戻しながら続けた。


「でも、私は結構好きです」


「好き?」


「昨日まで知らなかった靴を、お客さんが気に入って買ってくれたりするんですよ。履いて帰る人もいるし。そういうときは、ちょっと嬉しいです」


 姉ちゃんは何も言わなかった。


 ただ店員の顔を見ていた。


 店を出たあと、しばらく二人とも黙って歩いた。


 やがて姉ちゃんが振り返る。


「……あの人、楽しそうだったね」


「うん」


「大変って言ってたのに」


「だからじゃない?」


「何が?」


「大変じゃないから好きなんじゃなくて、大変でも好きなんじゃない?」


 姉ちゃんがまた俺を見る。


「……やっぱりあんた十四歳じゃないでしょ」


「またそれ?」


 思わず笑った。


 けれど、その直後だった。


 自分の中にあった考えが、少し変わったことに気づく。


 俺は、この会社が将来大きくなることを知っている。


 だから姉ちゃんに勧めた。


 ここなら安心だ。


 そんなふうに、どこかで考えていた。


 でも。


 会社が大きくなることと、そこで働く人が幸せになることは同じじゃない。


 俺が知っているのは会社の未来だけだ。


 姉ちゃんがそこで何を感じ、誰と出会い、どんな人生を送るのか。


 そこまでは知らない。


「……私、ここ受けてみようかな」


 姉ちゃんが言った。


「俺が勧めたから?」


「違うよ」


 即座に否定された。


 姉ちゃんはもう一度、店の方を見る。


「私が、ちょっと働いてみたいって思ったから」


 その横顔を見て、俺は小さく笑った。


「そっか」


「何、その顔」


「別に」


「またなんか変なこと考えてるでしょ」


「考えてないよ」


「怪しい」


 姉ちゃんが先に歩き出す。


「帰ろっか」


「うん」


 俺もその後を追った。


 俺は、この会社の未来を知っている。


 でも、姉ちゃんの未来は知らない。


 たぶん、それでいい。


 未来を知っている俺が、姉ちゃんの人生まで決める必要はない。


 道を選ぶのは、その道を歩く本人なのだから。


「ところで徹」


「何?」


「人の結婚の心配する前に、自分の心配したら?」


「俺、まだ十四歳なんだけど」


「最近、女の子とよく遊んでるじゃん」


 一瞬、言葉に詰まった。


 姉ちゃんが横目で俺を見る。


「誰とは言わないけど」


「……帰るよ、姉ちゃん」


「あ、逃げた」


「逃げてない」


 姉ちゃんの笑い声が、夕方の街に混じった。


 どうやら俺だけじゃない。


 姉ちゃんも、自分の新しい人生を少しずつ選び始めているらしい。

会社の未来を知っていても、そこで働く優子の未来までは分からない。

徹が背中を押し、最後に選んだのは優子自身でした。


そして人の結婚を心配していた徹ですが、姉ちゃんにはしっかり自分のことも見られているようです。

次回、物語は文化祭へ向けて再び動き出します。

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