第52話 「二人の視線の先」
いつも読んでいただき、ありがとうございます。
夏休みもDIGITAL FANTASYの活動は続きます。
10月の文化祭へ向け、新曲作りを始めた徹たち。
そんな中、徹から持ちかけられたのは、葵のライブイベントへのお誘いでした。
去年まで同じ学校にいた葵は、今ではステージの上。
そして今回は、徹の知らないところで少しだけ空気が変わり始めます。
八月のある日。
夏休み中だというのに、軽音部の部室にはいつもの五人が集まっていた。
理由は単純だ。
十月の文化祭。
今年は春樹がボーカルとして加わった以上、去年までと同じインストだけではなく、歌のある曲もやってみたい。
だから今は、そのための新曲作りを始めている。
「ここ、もう少し短くした方がよくない?」
春樹が譜面を指で叩いた。
「このままだとサビまで長いよ。最初の四小節削って、その分ギター入れるなら」
「後藤くん」
春子が笑う。
「また早くなってる」
「何が?」
「喋るの」
「普通だよ」
「普通じゃないって」
達也がスティックを回しながら口を挟んだ。
「俺、途中から何言ってるか分かんなかったぞ」
「田崎が聞いてないだけだろ」
「もう田崎呼びなんだ」
「そこ?」
五人になってから、部室の空気も少し変わった。
春樹は最初こそ春子やこずえを前にするとぎこちなかったが、音楽の話になるとそんなことは忘れてしまうらしい。
こずえも、そんな春樹には少しずつ慣れていた。
「……さっきのところ、私は残したい」
「ベース?」
「うん。あそこ、好きだから」
「じゃあ残そう」
春樹が即答する。
「早いな」
徹が笑うと、春樹は譜面へ視線を戻した。
「でも、まだ歌詞ないよね」
一瞬、全員が黙った。
「そこなんだよな」
達也が天井を見る。
「曲は作れても、何を歌うんだっていうね」
「誰か書けば?」
春子が軽く言う。
「春子が?」
「なんで私?」
「言い出したから」
「徹が書けばいいじゃん」
「俺?」
話を振られたところで、徹はふと思い出した。
「あ、そうだ」
「何?」
春子が顔を上げる。
「今週の日曜日なんだけど」
徹は鍵盤から手を離した。
「葵のライブイベントがあるんだ」
「葵ちゃんの?」
春子がすぐに反応した。
「うん。みんな連れてきてよって頼まれてるんだけど、どう?」
「行く」
「早いな」
「だって生でちゃんと聴いてみたいし」
達也もスティックを置く。
「俺も行く。CDは持ってるけど、ライブは見たことないし」
こずえも小さく手を挙げた。
「……私も」
春樹だけが三人を見回す。
「みんなCD持ってるの?」
「持ってるよ」
「俺も」
「私も」
春樹が少しだけ取り残された顔をした。
「……俺だけ?」
「後藤くん、遅れてるね」
「なんで責められてるんだよ」
春子が笑う。
「グラビアも見た?」
「見た」
達也が即答した。
「お前、それは早いな」
徹が呆れる。
「いや、普通に雑誌に載ってたから!」
「必死だね」
「こずえまで言うなよ!」
笑いが広がる。
そして次の日曜日。
五人は池袋のサンシャインシティへ向かった。
噴水広場の周囲には、すでにそれなりの人が集まっていた。
葵だけを目当てに来たらしい若い客もいれば、買い物途中で足を止めた家族連れもいる。
「思ったより人いるな」
達也が辺りを見回した。
「まだ大人気って感じじゃないけどね」
徹も会場を見る。
デビュー曲『風のメロディ』は、残念ながら大きなヒットにはならなかった。
ただ、葵は目立つ。
それは学校にいた頃からそうだった。
顔立ちが整っていて、笑えば人の目を引く。
グラビアにも出始めたことで、歌を知らなくても顔を見て足を止める人が少しずつ増えている。
「出てきた」
春子が言った。
ステージ脇から葵が姿を見せた。
明るい衣装。
髪には淡い青の飾りがついている。
「こんにちは! 如月葵です!」
よく通る声が広場に響く。
拍手が起こった。
「……なんか不思議な感じ」
春子が小さく呟く。
「何が?」
「去年まで普通に学校にいたのに」
「分かる」
達也も頷いた。
音楽が始まる。
葵は『風のメロディ』を歌い始めた。
徹はステージを見ながら、以前より声が安定していることに気づいた。
最初の頃より余裕がある。
客席を見る回数も増えた。
そして何より、笑顔が自然になっている。
春樹は隣で黙ったまま聞いていた。
歌が終わると、すぐに口を開く。
「ちゃんと息の使い方考えてるね。サビの前で一回抜いてるし、最後も前より伸ばしてる気がする」
「初めて聴いたのに分かるの?」
「CD借りたから」
「いつの間に」
「昨日」
さすがに早い。
その後も二曲ほど歌い、短いトークを挟んでイベントは終わった。
大歓声というほどではない。
けれど、葵が手を振ると何人も名前を呼んだ。
確実に、少しずつファンは増えている。
「長浜くんじゃないか」
声をかけられ、徹が振り向く。
木崎だった。
「木崎さん」
「来てたんだな」
「葵に呼ばれて」
木崎は徹の後ろにいる四人を見る。
「友達?」
「バンドのメンバーです」
「へえ」
徹が一人ずつ紹介すると、木崎は興味深そうに頷いた。
「葵に会ってくかい?」
「えっ、いいんですか?」
「本人もそのつもりだろうし。来て」
木崎に案内され、五人は関係者側へ入った。
少し待つと、着替えを終えた葵が出てくる。
「あっ!」
徹たちを見つけた瞬間、葵の顔がぱっと明るくなった。
「来てくれたんだ!」
「約束したからね」
「みんなもありがとう!」
葵は春子たちにも順番に声をかけた。
そして一通り挨拶を終えると、すぐに徹を見る。
「徹くん」
「ん?」
「どうだった?」
「よかったよ」
「それだけ?」
「前より声も安定してたし、ステージにも慣れてきたと思う」
「歌は?」
「よかったって言ってるじゃん」
「ちゃんと聞きたいの」
「ちゃんとよかったよ」
ようやく葵が満足したように笑う。
「よかった」
そのやり取りを、春子は少し黙って見ていた。
「葵ちゃん、ほんと徹の感想気にするよね」
「え?」
葵が春子を見る。
「前からそうじゃない?」
「そうかな」
「そうだよ」
葵は少し考えたあと、徹へ視線を戻した。
「だって徹くん、変に気を使わないもん」
「俺、結構気を使ってるつもりだけど」
「使ってない」
「ひどいな」
春子が小さく笑った。
少しして、話題は軽音部へ移った。
「もしかして彼が噂の春樹くん?」
「はい」
春樹は葵相手だと少しだけ声が固い。
「ボーカルなんだって?」
「……はい」
「歌ってるところ見てみたいな」
「文化祭で歌う予定です」
「文化祭?」
葵が徹を見る。
「十月にあるんだ。今、新曲作ってるとこ」
「徹くんも出るの?」
「一応な」
「いいな。見たい」
「葵は仕事あるでしょ」
「まだ予定分からないじゃん」
葵は少し頬を膨らませた。
その様子を見て、春子がふと思い出したように言った。
「そういえば、この前みんなで花火大会行ったんだよ」
「花火?」
葵がすぐに食いついた。
「うん。楽しかったよ」
「いいなあ。私、今年まだ行ってない」
「途中でみんなとはぐれちゃったけどね」
「大丈夫だったの?」
「徹と二人だったから」
葵の表情が、一瞬だけ止まった。
「……徹くんと二人?」
「うん。そのまま二人で花火見たんだ」
「そうなんだ」
葵は笑った。
けれど、その声はほんの少しだけいつもより小さかった。
春子は何も言わず、葵を見る。
徹だけは、その短いやり取りに特別な意味があるとは思っていなかった。
「人すごかったからね。探すよりその場で見た方が早かったんだよ」
「ふーん」
「何?」
「別に」
葵はそう答えると、少しだけ春子の方を見た。
その視線に気づいた春子も、わずかに笑う。
「そうだ」
葵が空気を変えるように手を合わせた。
「秋にね、次の曲が出ることになったの」
「セカンドシングル?」
「うん」
「決まったんだ」
徹が言うと、葵は嬉しそうに頷いた。
「今度は、もっとたくさんの人に聴いてもらいたい」
「今日よりいい曲なら、もっと人来るよ」
「簡単に言うなあ」
「でも葵なら大丈夫でしょ」
葵は少しだけ徹を見つめた。
「……うん」
その横で、春子は二人を静かに見ていた。
ライブを終えた葵。
隣に立つ春子。
どちらも、徹にとって大切な相手だった。
ただ。
その二人の間に、ほんの少しだけ今までとは違う空気が生まれたことを。
徹だけは、まだ何も知らなかった。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
デビューから数か月。
まだ大人気というわけではありませんが、葵も少しずつ歌手として前へ進んでいます。
そしてライブ後、徹の感想を真っ先に求める葵。
そんな葵を見つめる春子。
さらに春子から飛び出した、
「徹と二人だったから」
「そのまま二人で花火見た」
という言葉。
葵はなぜ自分がそこに引っ掛かったのか、まだ分かっていません。
春子はそんな葵の反応を見て、何かを感じ始めたようです。
そして肝心の徹だけは、まったく気づいていません。
秋には葵のセカンドシングル、そして徹たちには文化祭が待っています。
それぞれの音楽も、人間関係も、少しずつ動き始めました。




