第50話 「中学二年の夏を、もう一度」
いつも読んでいただき、ありがとうございます。
夏休みに入った徹たち。
勉強、競馬、音楽、そして将来のこと。
いつも先のことばかり考えている徹ですが、春子から聞かれたのは、とても単純な質問でした。
「夏休み、何して遊びたい?」
今回は、徹が少しだけ未来から離れて、今を楽しむお話です。
七月下旬。
終業式が終わり、ようやく夏休みに入った。
教室では、帰りのホームルームが終わった瞬間から空気が変わっていた。
「海行こうぜ!」
「花火大会いつだっけ?」
「宿題なんて八月の終わりでいいだろ!」
あちこちから浮かれた声が飛び交う。
徹は机の中を整理しながら、その様子を少し離れた気分で眺めていた。
夏休み。
言葉だけ聞けば懐かしい。
けれど、徹の頭に浮かんでいるのは遊びではなかった。
高校より先へ進めている勉強。
経営について読む本。
競馬の記録整理。
芸能界について調べる時間。
そして、五人になったDIGITAL FANTASYの練習。
やりたいことはいくらでもある。
「徹」
目の前で手を振られ、徹は顔を上げた。
春子が呆れた顔をしている。
「何?」
「さっきから呼んでるんだけど」
「ごめん。考え事してた」
「また?」
「またって何だよ」
「徹って、いつも何か考えてるじゃん」
春子はそう言うと、隣の机へ腰を預けた。
「で、夏休み何するの?」
「いろいろ」
「何その答え」
「勉強もしたいし、バンドもあるし」
「違う違う」
春子が手を振る。
「遊び」
「遊び?」
「夏休みに何して遊びたいかって聞いてるの」
徹は答えようとして、口を閉じた。
「……」
「ほら」
「何が?」
「今考えたでしょ」
「考えるだろ」
「普通、夏休みに遊びたいことなんてすぐ出るよ」
「そういうもの?」
「そういうものです」
春子は妙に偉そうに頷いた。
その後ろでは達也が鞄を肩に掛けながら笑っている。
「徹、ほんとに中学生か?」
「中学生だよ」
「じゃあ海とかプールとか言えよ」
「なんで決められなきゃいけないんだ」
「夏だから」
理屈になっていない。
けれど春子も当然のように頷いている。
「じゃあ海ね」
「俺、まだ何も言ってないけど」
「花火も行こう」
「増えた」
「夏祭りも」
「さらに増えた」
「いいじゃん。夏休みなんだし」
その言葉に、徹は少しだけ黙った。
夏休みだから遊ぶ。
あまりにも単純で、今の自分には逆に新鮮だった。
前の人生では、夏休みなんて遥か昔に終わっていた。
そして人生をやり直してからは、未来を変えることばかり考えている。
勉強しておこう。
金を作ろう。
知識を増やそう。
失敗しないようにしよう。
そんなことばかりだ。
(中学二年の夏休みに何がしたいか、か)
それだけを考えたことは、一度もなかったかもしれない。
「じゃあ明日、みんなで出かけようよ」
春子が言った。
「急だな」
「暇でしょ?」
「決めつけるなよ」
「暇?」
「……午後なら」
「ほら」
春子が勝ち誇ったように笑った。
翌日。
駅前に集まったのは、DIGITAL FANTASYの五人だった。
「暑っ!」
達也が駅を出た瞬間に叫ぶ。
「まだ午前中だよ」
こずえが小さく言う。
「午前中でこれなら午後どうなるんだよ」
「溶けるんじゃない?」
「春子、怖いこと言うな」
春樹は少し離れたところで、五人を見回していた。
バンドに加入してからまだ日が浅い。
春子やこずえにも以前より慣れてきたとはいえ、学校の外で一緒に出かけるのは初めてだった。
「後藤くん、今日は静かだね」
春子が言う。
「普通だよ」
「音楽の話したら変わるよ」
徹が横から口を挟む。
「長浜くん、余計な説明しなくていいから」
「じゃあ楽器屋行こう!」
春子が宣言した。
春樹が反応する。
「楽器屋? どこの? 駅の向こうの店? あそこ最近キーボードの新しいの入ったって聞いたけど、あとエフェクターも」
達也が目を丸くした。
「本当に変わった」
「だから言ったでしょ」
「……聞こえてるから」
春樹が少し恥ずかしそうに前を歩く。
最初に向かったのは楽器店だった。
店へ入った瞬間、それぞれ自然に散っていく。
春子はギター。
こずえはベース。
達也はドラム用品。
徹はキーボード。
そして春樹は店内を落ち着きなく見回していた。
「すごいな……」
「楽しそうだね」
徹が言うと、春樹が振り返る。
「こういう店、何時間でもいられる」
「分かる」
「長浜くん、あれ見た?」
すぐに新しい機材の話が始まる。
二人で鍵盤の前へ行き、音を確かめていると、春子が後ろから覗き込んできた。
「また二人で難しい話してる」
「音の話」
「それが難しいって言ってるの」
「桐谷さんもギターの話になると同じじゃない?」
春樹が返す。
春子が少し驚いた顔をした。
「お、普通に返してきた」
「……何?」
「後藤くん、だいぶ慣れたね」
春樹の顔がわずかに赤くなる。
「バンドのメンバーだから」
それだけ言って、また鍵盤へ視線を戻した。
徹は何も言わず、少しだけ笑った。
昼は近くのファストフード店へ入った。
五人でテーブルを囲み、ハンバーガーを食べながら、夏休みの話になる。
「俺、海行きたい」
達也が言う。
「私は花火」
春子。
「……人多いところはちょっと」
こずえ。
「じゃあ花火駄目じゃん」
「離れたところからなら」
「後藤くんは?」
春子に聞かれ、春樹は少し考えた。
「ライブとか行きたいかな」
「夏休みまで音楽なの?」
「桐谷さんも人のこと言えないでしょ」
「確かに」
二人が笑う。
春子が今度は徹を見る。
「徹は?」
「俺?」
「昨日の続き。何して遊びたい?」
また、その質問だった。
勉強でもない。
将来のためでもない。
ただ、自分が今年の夏に何をしたいか。
徹は窓の外へ目を向けた。
強い日差し。
道を歩く学生たち。
店の前では、小さな子どもがジュースを持って走り回っている。
「……花火かな」
「ほんと?」
春子が嬉しそうに身を乗り出す。
「久しぶりにちゃんと見たい」
「じゃあ決まり!」
「また勝手に」
「みんなも行くよね?」
「行く!」
達也は即答。
こずえも小さく頷いた。
春樹は、
「俺も……まあ」
と言いかけ、
「行きたい」
と言い直した。
「じゃあ五人で花火ね」
春子は満足そうだった。
その後も街を歩き、CDショップを覗いたり、冷たい飲み物を買ったりしているうちに、気づけば夕方になっていた。
「今日、結局何もしてないな」
帰りの駅へ向かいながら徹が言う。
「したじゃん」
春子が隣を歩く。
「楽器屋行って、ご飯食べて、CD見て」
「それだけだよ」
「それが遊ぶってことでしょ」
春子は笑った。
「楽しくなかった?」
徹は少し考えた。
予定を立てたわけでもない。
何かを勉強したわけでもない。
将来の役に立つ何かを手に入れたわけでもない。
それでも。
「……楽しかったよ」
「でしょ?」
春子が嬉しそうに笑う。
少し前を歩いていた春樹が振り返った。
「長浜くんと桐谷さんって、仲いいよね」
「え?」
徹と春子の声が重なった。
「いつも一緒に話してるから」
「軽音部で一緒だし」
徹が答える。
「それだけ?」
「それだけって?」
「いや、別に」
春樹はそれ以上何も言わず、達也のところへ行ってしまった。
春子も少し黙っている。
「……変なこと言うね、後藤くん」
「ね」
二人はそれだけ言って歩き続けた。
けれど帰宅してからも、徹の頭には春樹の言葉が少しだけ残っていた。
春子とは仲がいい。
それは確かだ。
一緒に音楽をやって、一緒に笑って、気づけば隣にいることも増えた。
(それだけ、か)
自分で言った言葉なのに、なぜか引っ掛かる。
徹は机の上に置いたカレンダーへ目を向けた。
今度の予定は、花火大会。
中学二年の夏休み。
未来のためではない予定が、一つ増えた。
それを少し楽しみにしている自分がいることに、徹はもう気づいていた。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
今回はDIGITAL FANTASYの五人で、初めて学校の外へ。
何か特別なことをしたわけではありません。
楽器屋へ行って、ご飯を食べて、CDを見て、くだらない話をする。
でも徹にとっては、そんな普通の一日こそ、これまであまり経験してこなかった時間なのかもしれません。
そして春樹の何気ない一言。
「長浜くんと桐谷さんって、仲いいよね」
徹は「それだけ」と答えましたが、なぜかその言葉が引っ掛かっているようです。
次は、五人で花火大会へ。
中学二年の夏は、まだ始まったばかりです。




