第46話 「俺が叶えられなかった初恋」
いつも読んでいただき、ありがとうございます。
六月も終わりに近づいたある日、徹は街で懐かしい友人と再会します。
子どもの頃から知っている黒沢恒一。
久しぶりに交わす何気ない会話の中で、恒一の口から思いがけない名前が飛び出します。
それは徹にとって、遠い前世の記憶につながる名前でした。
今回は少し不思議な、二度目の青春のお話です。
六月下旬の日曜日。
梅雨の合間にのぞいた青空の下、徹は駅前の商店街を一人で歩いていた。
特に大きな用事があるわけではない。
午前中に本屋へ寄り、芸能関係の雑誌を少し見て、帰りに楽器店でものぞこうと思っていた。
学校の勉強。
軽音部。
家では芸能界について調べる時間。
二年生になってから、毎日が前より少しだけ忙しくなった。
それでも、不思議と嫌ではなかった。
前の人生では、何かを始める前から「そのうち」と考えていたことが多かった。
今は違う。
やりたいことがあるなら、できるところから始める。
それが二度目の人生で決めたことの一つだった。
「さて、帰るか」
買った雑誌の入った紙袋を持ち直した、その時だった。
「……徹?」
聞き覚えのある声に足が止まる。
振り向くと、数メートル先に一人の少年が立っていた。
少し伸びた髪。
肩から下げた鞄。
見間違えるはずがない。
「恒一?」
「やっぱり徹じゃん!」
黒沢恒一が嬉しそうに近付いてくる。
「久しぶりだな」
「久しぶりって、お前が全然連絡してこないんだろ」
「それはそっちも同じじゃないか」
「俺は忙しいんだよ」
「何が?」
「いろいろ」
「便利な言葉だな」
二人は顔を見合わせて笑った。
最後に会ったのは、まだ中学一年の頃だった。
葵と三人でカラオケへ行った時。
徹と恒一は子どもの頃からの友人だったが、中学へ進むと学校が別になった。
徹は進学校。
恒一は別の中学へ進み、それぞれの生活が始まった。
「そういや葵ちゃん、すごいな」
恒一が最初に話題に出したのは、やはり葵だった。
「この前、雑誌で見たぞ」
「グラビア?」
「そうそう。ほんとに芸能人になったんだな」
「本人はまだ全然そんな感じじゃないけどね」
「テレビにもそのうち出るのかな」
「仕事は少しずつ増えてるみたい」
「へえ」
恒一は感心したように頷いた。
「カラオケ行った時は、普通に一緒に歌ってたのにな」
「それが今じゃステージで歌ってる」
「なんか変な感じだな」
「分かる」
それは徹も何度も感じていたことだった。
少し前まで身近にいた葵が、知らない人たちから「如月葵」と呼ばれるようになっている。
「恒一は?」
徹が尋ねる。
「ギター、まだやってる?」
「まだって何だよ」
「続いてるのかなと思って」
「やってるよ。前より上手くなった」
恒一は少し得意そうに胸を張った。
「今度、文化祭とかでやるかもしれない」
「それは見てみたいな」
「来てもいいぞ」
「上からだな」
「俺の演奏を聴けるんだからありがたく思え」
「じゃあ行くのやめようかな」
「冗談だって」
昔と変わらない。
学校が離れても、話し始めればすぐに以前の空気へ戻れる。
徹は少し懐かしく感じながら恒一の横を歩いた。
「そうだ」
しばらく歩いたところで、恒一が何気なく言った。
「俺、彼女できた」
徹の足が止まった。
「……今なんて?」
「だから、彼女」
「お前に?」
「なんだよ、その言い方!」
恒一が露骨に眉をひそめる。
「もっと普通に驚けよ」
「十分驚いてる」
「失礼すぎるだろ」
徹は思わず笑った。
目の前にいる恒一は、自分が前世で名乗っていた名前を持つ少年だ。
だが、その人生はもう自分の記憶とは大きく違っている。
軽音部に入り、ギターを弾き、自分が経験しなかった中学生活を送っている。
彼女ができても、不思議ではない。
「どんな子?」
「同じ学校」
「名前は?」
「安元佳奈」
その名前を聞いた瞬間。
徹の笑顔が消えた。
「……え?」
「安元佳奈。二組の子」
恒一は何でもないことのように続けている。
しかし徹の耳には、その先の言葉がほとんど入らなかった。
安元佳奈。
忘れるはずがなかった。
前の人生。
まだ黒沢恒一として中学生だった頃。
好きだった女の子。
特別な何かがあったわけではない。
同じ学校で、時々話す程度。
笑った顔が好きだった。
廊下で見かければ、なんとなく目で追った。
近くの席になれば嬉しかった。
それだけだった。
好きだと伝えたことはない。
付き合ったこともない。
卒業とともに自然と会わなくなり、いつしか遠い思い出になった。
その安元佳奈が。
今、目の前にいる恒一の彼女になっている。
「……マジか」
徹の口から、思わず本音が漏れた。
「何が?」
恒一が不思議そうに見る。
「いや……」
徹は顔を伏せた。
おかしい。
嫉妬しているわけではない。
今さら佳奈に特別な感情が残っているわけでもない。
それでも、どうしても笑いが込み上げてくる。
「なんだよ」
恒一が警戒する。
「お前、なんか変だぞ」
「ごめん」
「絶対なんかあるだろ」
「ないって」
「じゃあ何で笑ってんだよ」
徹は肩を震わせながら答えた。
「いや……お前、やるなと思って」
「だから何がだよ!」
恒一の声が商店街に響き、近くを歩いていた人がちらりとこちらを見る。
「声でかいって」
「徹が変なこと言うからだろ」
「悪かった」
「全然悪いと思ってない顔だぞ」
徹は笑いながら首を振った。
前の人生の自分が、何もできないまま終わらせた初恋。
今の恒一は、その相手と普通に付き合っている。
それがなんとも可笑しかった。
「どうやって付き合ったの?」
「どうって……」
恒一は急に少し照れた。
「普通だよ」
「普通じゃ分からない」
「俺から言った」
徹はまた足を止めた。
「告白したの?」
「そうだけど」
「自分から?」
「だからそう言ってるだろ」
恒一は面倒くさそうに答えたあと、徹の顔を見る。
「お前、なんでそんな驚くんだよ」
「ちょっと意外だっただけ」
「好きだったら言うだろ、普通」
その言葉が、不意に胸へ残った。
好きだったら言う。
前世の自分には、それができなかった。
頭の中でいろいろ考えて、結局何もしなかった。
「で?」
恒一が今度は楽しそうな顔になる。
「何が?」
「徹は?」
「俺?」
「彼女」
「いないよ」
「じゃあ好きな子」
徹の返事が止まった。
春子の笑顔が浮かんだ。
告白されたことを相談された時、胸がざわついた。
その相手を断ったと聞いて、ほっとした。
その直後。
雑誌を見ながら大人びていく葵を感じた。
電話では、いつもの葵の声に安心した。
「……」
「いるな」
恒一がニヤッと笑う。
「何も言ってないだろ」
「今の間で分かった」
「勝手に決めるなよ」
「誰?」
「言わない」
「同じ学校?」
「しつこい」
「俺だけ話したのずるくない?」
「聞いてないのにお前が勝手に話したんだろ」
「冷たいなぁ」
恒一は笑いながら徹の肩を軽く叩いた。
「でもさ」
少しだけ真面目な表情になる。
「好きなら、ちゃんと言った方がいいぞ」
「経験者は違うな」
「なんだよ、その言い方」
「参考にしとく」
「絶対馬鹿にしてるだろ」
二人は再び笑った。
やがて交差点で立ち止まる。
「じゃあ俺、こっちだから」
「またな」
「今度はちゃんと連絡しろよ」
「恒一もな」
「あと、文化祭来いよ」
「覚えてたら」
「絶対忘れる気だろ!」
恒一が手を振りながら離れていく。
徹はしばらく、その背中を見送った。
同じ黒沢恒一という名前。
けれど、あいつは自分ではない。
自分が選ばなかったことを選び、自分が歩かなかった青春を歩いている。
前の人生で言えなかった言葉を、今の恒一は言えた。
そして、自分にはなかった未来を作っている。
「……すげえな」
今度は笑わずに呟いた。
二度目の人生を歩いているのは自分だ。
けれど、目の前の恒一もまた、自分の知らない人生を一度きりで懸命に生きている。
徹は再び歩き出した。
頭の片隅には、恒一の最後の言葉が残っていた。
好きなら、ちゃんと言った方がいい。
簡単に言ってくれる。
それでも。
今度の人生では、何も言えないまま後悔するのだけは嫌だった。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
今回は久しぶりに恒一が登場しました。
今の恒一が付き合っていたのは、安元佳奈。
彼女は、徹が前世で黒沢恒一だった頃に片思いしていた女の子でした。
前世では想いを伝えることすらできなかった相手に、今の恒一は自分から告白して付き合っている。
同じ名前を持ちながら、自分とはまったく違う青春を送っている恒一を見て、徹も少し思うところがあったようです。
そして恒一から言われた、
「好きなら、ちゃんと言った方がいいぞ」
という言葉。
春子、そして葵。
二度目の人生を歩く徹は、今度こそ自分の気持ちとどう向き合っていくのか。
次回もよろしくお願いします。




