第44話 知らない葵
いつも読んでいただき、ありがとうございます。
六月も半ばを迎え、芸能界で少しずつ経験を重ねていく葵。
今回、徹が目にしたのは、これまで自分が知っていた葵とは少し違う姿でした。
近くにいた頃には知らなかった表情と、少しずつ広がっていく彼女の世界。
徹が何を感じるのか、ぜひ最後までお楽しみください。
六月も半ばに入り、東京には少しずつ夏の気配が近づいていた。
昼間は半袖でも過ごせそうな日が増え、教室では窓を開けて授業を受けることも多くなった。
徹の日々は相変わらず忙しい。
学校の勉強に、軽音部。
家へ帰れば、芸能界について調べたことをノートへまとめる。
芸能プロダクションを作る。
そう目標を決めてから、何気なく見ていたテレビや雑誌の見方まで変わった。
出演している歌手だけではない。
どんな番組に出ているのか。
どんな宣伝をしているのか。
新人がどうやって名前を売っていくのか。
知りたいことは、いくらでもあった。
その日も学校帰り、徹は一人で駅前の書店へ立ち寄った。
特に目的があったわけではない。
新しい音楽雑誌でも出ていないか。
それくらいの気持ちだった。
雑誌売り場へ向かい、並んでいる表紙を順番に眺めていく。
その途中で、徹の視線が止まった。
「……葵?」
一冊の芸能雑誌。
表紙の端に、小さく如月葵の名前が載っている。
その名前を見て、すぐに思い出した。
水着のグラビア撮影。
葵本人から聞いていた。
だから、掲載されることに驚いたわけではない。
徹は雑誌を手に取り、目次でページを確認する。
そして、そのページを開いた。
「……」
思わず手が止まった。
水着姿を見たから。
もちろん、それも少しはある。
ついこの間まで同じ中学校へ通っていた葵だ。実際に雑誌へ掲載された姿を見ると、どう反応していいのか分からない。
けれど、それ以上に徹の目を引いたのは、その表情だった。
最初の写真では、いつもの葵らしい笑顔を見せている。
だが、ページをめくると雰囲気が変わった。
カメラへ静かに視線を向けている。
笑ってはいない。
少しだけ目を細め、どこか遠くを見るような表情。
さらに次の写真では、髪をかき上げながら、ほんの少し口元に笑みを浮かべていた。
「こんな顔……するんだ」
思わず呟いた。
徹の知っている葵とは違った。
いつも前向きで、よく笑う。
時々慌てたり、照れたりする。
弱気になることだってある。
それが徹の知っている葵だった。
だが、写真の中にいる少女は少し大人びて見えた。
年齢まで違って見えるほどだった。
撮影のことを話してくれた時の葵を思い出す。
珍しく自信をなくしていた。
自分にできるだろうかと、不安を隠し切れない様子だった。
けれど、完成した写真にはそんな迷いを感じさせない。
「頑張ったんだな……」
自然とそんな言葉が出た。
きっとカメラマンから、いろいろな指示を受けたのだろう。
表情。
視線。
姿勢。
徹には分からない世界で、葵は一つずつ仕事を覚えている。
少し前まで同じ学校にいた少女が、今はこうして雑誌の中にいる。
不思議な感覚だった。
嬉しい。
素直にそう思う。
それと同時に、ほんの少しだけ寂しかった。
自分の知らない葵が、少しずつ増えている。
徹はしばらくページを眺めたあと、その雑誌を持ってレジへ向かった。
翌日の学校でも、葵のグラビアは話題になっていた。
「見たか?」
「見た見た。如月先輩だろ?」
「すげえよな。本当に芸能人になったんだな」
休み時間、男子たちの会話が聞こえてくる。
三月まで同じ学校にいた先輩だ。
当然、気になる生徒も多い。
「俺、雑誌買おうかな」
「お前、絶対グラビア目当てだろ」
「違うって!」
笑い声が上がる。
徹は席に座ったまま、その会話を聞いていた。
少し妙な気分だった。
みんなが話しているのは、雑誌の中の如月葵。
でも徹の頭に浮かぶのは、緊張したり、弱気になったり、照れたりする葵だった。
(同じ葵なんだけどな)
そんなことを考えていると、
「徹」
隣から声がした。
春子だった。
「何?」
「葵先輩の雑誌、見た?」
「見たよ」
「やっぱり」
「やっぱりって何だよ」
「絶対見ると思ってたから」
春子は少しだけ笑う。
「綺麗だったね、葵先輩」
「うん」
徹が素直に頷くと、春子は一瞬だけこちらを見る。
何か言いたそうだったが、すぐにいつもの笑顔へ戻った。
「私もあんな大人っぽい顔できるのかな」
「まだ十四歳だろ」
「徹も十四歳じゃん」
「そうだけど」
「なんか最近、徹って自分が十四歳なの忘れてない?」
「……気をつけます」
「何その言い方」
二人で笑った。
その日の夜。
夕食を終え、自分の部屋で芸能関係のノートを整理していると、由香里の声が聞こえた。
「徹、電話よ」
「誰?」
「葵ちゃん」
徹はすぐに立ち上がり、電話のところへ向かった。
受話器を取る。
「もしもし?」
『徹くん?』
「うん」
『今、大丈夫?』
「大丈夫だよ。どうした?」
『うん……』
葵にしては珍しく歯切れが悪い。
少しの沈黙のあと、恐る恐るという感じで聞いてきた。
『ひょっとして……もう見た?』
何のことか、すぐに分かった。
「雑誌?」
『……うん』
「見たよ」
『そっかぁ……』
声が急に小さくなった。
徹は思わず笑ってしまう。
『ちょっと、なんで笑うの?』
「ごめん。なんか安心した」
『安心?』
「雑誌の葵、俺の知らない人みたいだったから」
『えっ?』
電話の向こうで葵が戸惑っている。
『どういう意味?』
「悪い意味じゃないよ」
徹は昼間に見た写真を思い出す。
「こんな顔するんだって思った」
『どんな顔?』
「少し大人っぽかった」
しばらく返事がなかった。
「葵?」
『……それ、褒めてる?』
「褒めてるよ」
『本当に?』
「本当に」
すると受話器の向こうから、小さく息を吐く音が聞こえた。
『よかったぁ……』
その声は、徹のよく知る葵そのものだった。
『撮影の時、すごく緊張したんだよ』
「そうは見えなかった」
『ほんと?』
「うん。ちゃんと芸能人に見えた」
『ちゃんとって何よ』
「褒めてるって」
『徹くんの褒め方、分かりにくい』
葵が笑う。
雑誌の中にいた大人びた少女と、今こうして話している葵。
同じ人なのに、まるで違って感じる。
でも、どちらも葵なのだろう。
『あ、そうだ』
葵が思い出したように声を上げた。
『徹くん、次の日曜日って空いてる?』
「日曜日?」
『うん。イベントに出るの』
「イベント?」
『歌も歌うよ』
少し間があった。
『もしよかったら……来てくれる?』
徹は迷わなかった。
「行くよ」
『ほんと!?』
声が一気に明るくなる。
「せっかくだし、ちゃんと見てみたい」
『じゃあ、詳しい場所と時間、また連絡するね』
「分かった」
『絶対だよ?』
「行くって」
『約束ね』
電話を切ったあと、徹は部屋へ戻った。
机の上には、今日買った雑誌が置かれている。
ページを開く。
そこには、少し大人びた表情でカメラを見つめる葵がいた。
そして次の日曜日には、写真ではない葵がステージに立つ。
徹は机の横に掛けてあるカレンダーへ目を向けた。
日曜日の日付に、小さく丸をつける。
芸能人として歩き始めた葵が、今度はどんな顔を見せてくれるのか。
徹は少しだけ、その日が楽しみになっていた。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
今回は、雑誌のグラビアを通して、徹が「自分の知らない葵」と出会う回になりました。
撮影前はあれほど不安そうだった葵ですが、完成した写真の中では少し大人びた表情を見せています。
それでも電話をすれば、恥ずかしがったり、徹の感想を気にしたりするいつもの葵。
芸能人として少しずつ成長していく姿と、変わらない部分。その両方を描いてみました。
そして、次の日曜日には葵が出演するイベントへ。
写真ではなく、ステージに立つ葵を見た徹は何を感じるのか。
次回もよろしくお願いします。




