第42話 揺れる春
いつも読んでいただき、ありがとうございます。
芸能界という新しい夢へ向かって歩き始めた徹ですが、学校ではいつもと変わらない中学生の日々が続いています。
そんな中、明るさが取り柄の春子に、ほんの少しだけ異変が訪れます。
何気ない日常の中で揺れ動く、それぞれの気持ちにも注目していただけたら嬉しいです。
ゴールデンウィークが終わり、学校にはいつもの日常が戻ってきた。
朝のホームルームが始まる前の教室は、生徒たちの笑い声で賑わっている。
「お土産買ってきた!」
「俺、ずっとゲームしてた。」
「いいなぁ。うちは親戚の家ばっかり。」
あちこちで連休の思い出話に花が咲いていた。
徹も席に座りながら、昨日までのことを思い返していた。
芸能雑誌を読み、CDショップを巡り、偶然見つけた新人歌手のイベント。
そして、現場をまとめていた木崎さん。
あの日見た光景は、今でも頭の中に鮮明に残っている。
芸能プロダクションを作る。
その夢は、昨日までより少しだけ現実味を帯びてきた気がした。
「おはよう、徹!」
元気な声が聞こえた。
振り向くと、達也が大きく手を振りながら近付いてくる。
「おはよう。」
「連休どうだった?」
「まあ、それなりに。」
「相変わらず反応薄いな。」
達也が笑う。
「俺なんて毎日遊びっぱなしだったぞ。」
「勉強は?」
「聞くな。」
二人が笑っていると、こずえも教室へ入ってきた。
「おはよう!」
「おはよう。」
いつものやり取り。
だが、徹は教室を見回して小さく首をかしげた。
「あれ……。」
「どうした?」
「春子がまだ来てない。」
始業のチャイムが鳴る少し前。
いつもなら一番元気に教室へ飛び込んでくるはずだった。
その時だった。
「ごめーん!」
教室の扉が開き、春子が慌てて入ってくる。
「ギリギリだったぁ。」
笑っている。
笑っているのだが、どこか違和感があった。
いつもの春子なら、もっと大きな声で笑い、教室全体を明るくするような勢いがある。
今日はどこか無理に笑っているように見えた。
「珍しいな。」
達也も不思議そうに言う。
「春子が寝坊なんて。」
「ちょっとね。」
春子は曖昧に笑い、自分の席へ座った。
ホームルームが始まる。
先生の話を聞きながらも、徹は何度か春子の方を見た。
ぼんやり窓の外を眺めている。
ノートを取る手も、いつもよりゆっくりだった。
休み時間になっても、春子は机へ座ったまま。
いつもなら真っ先に徹たちのところへ来るのに、今日は動こうとしない。
「春子。」
こずえが声を掛ける。
「どうしたの?」
「え?」
「何か元気ないよ?」
「そんなことないよ。」
笑顔を作る。
だが、その笑顔はどこかぎこちなかった。
「ほんと?」
「ほんとほんと。」
そう言うと話題を変えるように、こずえへ連休中の話を聞き始めた。
徹はその様子を黙って見ていた。
(無理してる……。)
理由は分からない。
でも、何かがあったことだけは伝わってくる。
昼休み。
四人で弁当を食べていても、春子はどこか上の空だった。
達也が冗談を言っても、少し遅れて笑う。
好きなおかずの話になっても、ほとんど口数が増えない。
「今日の春子、静かだな。」
達也が首をかしげる。
「風邪でも引いたか?」
「違うよ。」
春子は苦笑した。
「ちょっと寝不足なだけ。」
「ちゃんと寝ろよ。」
「うん。」
そう返事をしたものの、どこか元気がない。
放課後。
軽音部の練習でも、春子は何度か演奏を間違えた。
「あっ、ごめん!」
いつもならほとんどミスをしない。
顧問も心配そうに声を掛ける。
「桐谷、大丈夫か?」
「あ、はい!」
返事はする。
けれど、どこか集中できていないようだった。
練習が終わり、片付けをしながら徹は春子へ近付く。
「春子。」
「ん?」
「何かあった?」
その一言に、春子の手が一瞬だけ止まった。
ほんのわずかな沈黙。
だが次の瞬間には、いつもの笑顔を浮かべる。
「何にもないよ。」
「でも……。」
「ほんと。」
春子は笑いながらギターケースを肩へ掛けた。
「ちょっと疲れてるだけ。」
そう言うと、「また明日ね!」と手を振り、足早に音楽室を出ていく。
その背中を、徹はしばらく見送っていた。
明るく振る舞ってはいる。
でも、それはいつもの春子ではない。
何かを隠している。
そんな気がしてならなかった。
夕暮れの校舎を歩きながら、徹の胸には小さな引っ掛かりが残り続けていた。
翌朝。
五月の柔らかな陽射しが教室へ差し込んでいた。
昨日と変わらず、生徒たちは休み時間になると賑やかに話し始める。
だが、徹の視線は自然と春子へ向いてしまう。
今日も、どこか様子がおかしかった。
笑顔は見せている。
達也の冗談にも笑っている。
けれど、その笑顔はどこか力が入っていない。
何かを考え込んでいるような表情を、時折見せていた。
(やっぱり気になるな……。)
昼休みになっても、春子はどこか上の空だった。
弁当を食べ終えると、一人で窓の外を眺めている。
その姿を見ていた徹は、ますます胸の引っ掛かりが大きくなっていった。
放課後。
ホームルームが終わり、生徒たちが次々と教室を出ていく。
徹も鞄を持って立ち上がろうとした、その時だった。
「徹。」
小さな声だった。
振り返ると、春子が少し緊張した表情で立っている。
「少しだけ時間ある?」
いつもの明るい笑顔ではない。
どこか不安そうな瞳だった。
「ああ、大丈夫。」
徹が頷くと、春子はほっとしたように小さく笑った。
「ありがとう。」
二人は校舎裏へ続く中庭まで歩いた。
放課後の校庭では、運動部の掛け声が響いている。
吹奏楽部の演奏も風に乗って聞こえてきた。
そんな賑やかな音とは対照的に、二人の間には静かな空気が流れていた。
春子はしばらく黙ったまま、足元へ視線を落としている。
徹も急かさず、言葉を待った。
やがて春子が、小さく息を吐く。
「徹ってさ。」
「ん?」
「ちゃんと人の話、最後まで聞いてくれるよね。」
少し照れたような笑顔だった。
「だから……徹に相談したかった。」
その言葉に、徹は少し驚いた。
春子は友達も多い。
こずえにも相談できるだろうし、女子同士の方が話しやすいこともあるはずだ。
それでも、自分を選んでくれた。
その事実が、少しだけ嬉しかった。
「俺でよければ聞くよ。」
「うん。」
春子は何度か頷いた。
だが、なかなか続きが出てこない。
制服の裾を指先でつまみ、何度も言葉を探している。
「笑わない?」
「笑わない。」
「本当に?」
「約束する。」
徹が真っすぐ答えると、春子は安心したように肩の力を抜いた。
そして、小さな声で口を開く。
「実はね……。」
一度言葉を切る。
頬が少し赤くなっていた。
「この前……。」
春子はゆっくり顔を上げた。
「男の子に、告白されたの。」
その瞬間だった。
徹の胸が、ドクンと大きく鳴った。
一瞬、時間が止まったような感覚。
頭の中が真っ白になる。
「……そうなんだ。」
ようやく、それだけ返す。
春子は小さく頷いた。
「同じ学年の子なんだけど……。」
「急に呼び出されて。」
「好きだから付き合ってほしいって。」
困ったように笑う。
「私、びっくりしちゃって。」
「何て返事したらいいか分からなくて……。」
春子らしいと思った。
誰かを傷付けることが苦手な女の子だ。
だからこそ、一人で抱え込んでしまったのだろう。
「まだ返事は?」
「してない。」
春子は首を横に振る。
「少し考えさせてって言ったの。」
その言葉を聞いて、徹は胸をなで下ろした。
だが、その理由が自分でも分からなかった。
返事をしていない。
ただ、それだけなのに安心している。
(……なんだ、この気持ち。)
前の人生では、恋愛も経験した。
誰かに相談されることもあった。
だから、こんなことで動揺するはずがないと思っていた。
それなのに。
今は胸の奥が落ち着かなかった。
春子が誰かと付き合う。
そんな光景を想像しただけで、心のどこかがざわつく。
「徹?」
春子が不安そうに顔を覗き込む。
「あ……ごめん。」
徹は我に返った。
「ちょっと考え事してた。」
「やっぱり変な相談だった?」
「そんなことない。」
徹はゆっくり首を横へ振る。
「大事なことだから。」
春子は安心したように笑った。
「よかった。」
「実はね。」
「誰にも相談できなくて。」
「こずえにも言えてないの。」
その言葉を聞き、徹は改めて思う。
春子は、自分を信頼してくれている。
だから話してくれたのだ。
その信頼に応えたい。
そう思う一方で、自分の胸の中に生まれた感情が何なのか、まだ整理できずにいた。
「徹。」
「うん?」
「どうしたらいいと思う?」
その問いに、徹はすぐ答えることができなかった。
春子の幸せを考えるべきなのか。
それとも、自分の胸の奥でざわめくこの気持ちと向き合うべきなのか。
答えはまだ見つからない。
五月の風が二人の間を静かに吹き抜けていく。
徹は春子の真剣な表情を見つめながら、ゆっくりと口を開こうとした。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
今回は、芸能界の話から少し離れ、中学生らしい青春を描いてみました。
いつも元気な春子だからこそ、その小さな変化に徹が真っ先に気付く。そして、春子もまた、誰よりも信頼できる相手として徹を選びました。
一方の徹も、自分でも気付いていなかった感情と向き合うことになります。
二人の関係がこれからどのように変わっていくのか、次回も見守っていただけると嬉しいです。




