第38話 夢への第一歩
葵がついにデビューの日を迎えます。
華やかに見える芸能界ですが、その第一歩は決して派手なものではありません。それでも、夢へ向かって歩き続けたからこそ迎えられた特別な一日です。
徹たちも約束を果たすため、放課後の街へと向かいます。
ぜひ最後までお楽しみください。
四月二十四日。
二年生になって二週間あまりが過ぎ、新しいクラスにも少しずつ慣れてきた放課後。窓の外では、桜の花びらがすっかり姿を消し、若葉が春の日差しを浴びてやわらかく揺れていた。
終礼のチャイムが鳴ると、教室は一気に賑やかになる。
「よし、帰ろうぜ」
達也が鞄を肩に担ぐ。
「今日は約束の日だね」
春子が徹の方を見て微笑んだ。
「そう。早く行こう。」
徹は机の中から鞄を取り出した。
今日は、如月葵のデビュー日だった。
電話越しの少し不安そうな声が思い浮かぶ。
『ちゃんと私のCDが並んでるか見てきて!』
『もし一枚もなかったら立ち直れない』
冗談交じりに笑っていたけれど、本当は誰よりも不安だったのだろう。
だから徹は約束した。
『絶対ある。安心しろ。』
その言葉を確かめるために、今日ここへ来た。
「如月先輩のCD、俺もちょっと楽しみなんだよな。」
達也が歩きながら言う。
「卒業式の日もすごかったもんね。」
こずえも頷く。
「学校中で話題だったよね。芸能人になる先輩なんて初めてだし。」
「本当にデビューするなんてすごいよね。」
春子は嬉しそうに笑った。
「病室で会った時も頑張ってたけど、ちゃんと夢を叶えたんだ。」
「努力してきた結果だよ。」
徹は静かに答えた。
駅前へ続く商店街には、学校帰りの学生や買い物客が行き交い、どこからか流行歌が聞こえてくる。
四人は最初に、駅前で一番大きなCDショップへ入った。
店内には人気歌手のポスターが並び、新譜コーナーには色とりどりのCDが所狭しと並んでいる。
「新人なら、この辺かな。」
春子が棚を眺める。
徹もタイトルを一枚ずつ目で追っていく。
だが、探している『風のメロディ』は見当たらない。
「こっちにもないよ。」
こずえが首を横に振った。
「店員さんに聞いてみる。」
達也が近くの店員へ声を掛ける。
「すみません。如月葵さんの『風のメロディ』ってありますか?」
店員は申し訳なさそうな表情で端末を確認した。
「申し訳ありません。本日は入荷しておりません。」
「そうですか。ありがとうございました。」
店を出ると、達也が苦笑する。
「大きい店だからあると思ったんだけどな。」
「店によって違うんだね。」
こずえが少し残念そうに言う。
徹は店の看板を振り返った。
(……まだ一軒目だ。)
そう自分に言い聞かせる。
きっと、どこかには並んでいる。
「次、行こう。」
四人は再び歩き始めた。
二軒目は商店街の奥にある昔ながらのレコード店だった。
入口には色褪せた映画音楽のポスターが貼られ、店内には演歌や歌謡曲のレコードがぎっしり並んでいる。
「こういう店なら置いてあるかもしれない。」
春子が期待を込めて棚を見回す。
徹たちも手分けして探した。
新譜コーナー。
女性歌手。
新人。
どこを探しても、『風のメロディ』の文字はない。
店主へ尋ねると、白髪交じりの店主は少し考えてから答えた。
「新人さんかい? 悪いねぇ。うちは注文が入った分しか仕入れてないんだ。」
「そうですか。」
店を出る頃には、空は少しだけ夕暮れの色を帯び始めていた。
「二軒ともないなんて……。」
こずえが小さくつぶやく。
達也も腕を組む。
「新人だから、まだ扱う店が少ないのかもしれないな。」
その言葉に、徹も現実を感じていた。
人気歌手なら、店に入った瞬間に大きく並べられている。
けれど、デビューしたばかりの新人は違う。
夢への第一歩は、決して派手なものではないのかもしれない。
それでも。
「まだ探そう。」
徹は迷わず言った。
「約束したから。」
春子は笑顔で頷く。
「もちろん付き合うよ。」
「俺も最後まで探す。」
達也が力強く言う。
「四人で見つけよう!」
こずえも笑顔を見せた。
三軒目のCDショップは、隣町の駅前にある比較的新しい店だった。
ガラス張りの入口をくぐると、明るい照明が店内を照らし、壁一面に並んだCDケースがきらりと光る。
「ここが最後かな。」
達也が店内を見渡す。
「きっとあるよ。」
春子は自分に言い聞かせるように微笑んだ。
徹は頷くと、新譜コーナーへ足を向ける。
人気歌手のCDが並ぶ棚を通り過ぎ、その隣にある小さな新人コーナーへ目を向けた。
その瞬間だった。
「あっ……。」
思わず声が漏れる。
棚の一番下。
小さなスペースに、見覚えのある笑顔が並んでいた。
淡い青空を背景に、優しく微笑む少女。
タイトルは、『風のメロディ』。
「……あった。」
徹はゆっくり近づいた。
春子たちも駆け寄る。
「本当だ!」
春子が嬉しそうに声を上げる。
「これが如月先輩のCDか。」
達也がケースを手に取る。
「写真もすごくかわいいね。」
こずえが笑顔になる。
棚には五枚ほど並べられていた。
大きな宣伝はない。
手書きの小さなPOPに、
『新人デビュー 如月葵 風のメロディ』
と書かれているだけだった。
それでも徹は、その小さなスペースが妙に誇らしく見えた。
(ここから始まるんだな。)
誰もが最初は新人。
最初から大きく扱われる人なんて、ほんの一握りだ。
それでも、この棚に並ぶために、葵は何年も努力を重ねてきた。
徹はケースをそっと手に取った。
「約束は、守れそうだ。」
その言葉に春子が微笑む。
「きっと葵さんも安心するね。」
「ああ。これを見たら喜ぶと思う。」
達也も一枚手に取る。
「せっかくだし、俺も買うよ。」
「私も。」
こずえも笑顔で続く。
「卒業した先輩の記念だもん。」
「私も買う。」
春子も迷わずレジへ向かった。
四人が会計を済ませ、店を出ようとした時だった。
一人の若い女性が新人コーナーの前で足を止めた。
少し棚を眺めると、『風のメロディ』を一枚手に取り、そのままレジへ向かっていく。
徹はその後ろ姿を静かに見送った。
「知らない人だね。」
こずえが小さく言う。
「そうだな。」
徹は少し笑った。
「俺たちだけじゃない。」
三人が徹を見る。
「葵の歌を聴こうとしてる人がいる。」
春子も嬉しそうに頷いた。
「そうだね。」
「これから、少しずつ増えていくといいな。」
達也が言うと、こずえも笑顔で続ける。
「きっと増えるよ。」
夕焼けに染まり始めた街を歩きながら、徹は紙袋の中のCDをそっと見つめた。
病室で初めて聞いた歌声。
あの日は、まだ夢の途中だった。
その夢が、今日、本当の形になった。
長浜家へ帰ると、玄関から由香里が顔を出した。
「おかえり。どうだった?」
徹は紙袋からCDを取り出し、笑顔を見せる。
「ちゃんと並んでたよ。」
由香里はほっと胸をなで下ろした。
「よかった。」
そこへ優子も二階から降りてくる。
「買えた?」
「うん。」
ジャケットを見た優子は目を輝かせた。
「葵ちゃん、すっかり歌手だね。」
「うん。」
徹は静かに頷く。
「でも、本当の勝負はこれからなんだと思う。」
由香里が優しく微笑んだ。
「だからこそ、お祝いしてあげなくちゃね。」
「あっ、そうだった!」
優子が手を叩く。
「サプライズパーティー!」
テーブルの上には、折り紙や色画用紙、色とりどりのリボンが並べられていた。
「ケーキは明日受け取りに行くわ。」
由香里が楽しそうに言う。
「飾り付けは私がやる!」
優子も張り切っている。
「俺は?」
徹が尋ねると、二人は顔を見合わせて笑った。
「徹は葵ちゃんを連れてくる係。」
「一番大事な役目ね。」
徹も思わず笑みを浮かべた。
「わかった。」
窓の外では、夕焼けが街を優しく包み始めていた。
夢への第一歩を踏み出した少女は、まだ知らない。
明日、自分を待っている小さなサプライズを。
長浜家では、一人の少女の新たな門出を祝う準備が、静かに始まっていた。
第38話を読んでいただき、ありがとうございました。
今回は葵のデビュー当日を描きました。
何店舗もCDショップを回り、ようやく『風のメロディ』を見つける場面は、「夢は一歩ずつ形になっていく」ということを表現したかったシーンです。新人だからこその現実と、それでも確かに夢が始まった瞬間を感じていただけたら嬉しいです。
そして次回はいよいよ長浜家でのサプライズパーティー。家族や仲間たちが、葵の門出をどのように祝うのか、ぜひ楽しみにお待ちください。




