↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
『死んだ俺が1977年に転生して、君へ繋がる人生をやり直す』  作者: れいじ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
34/54

第34話 退院の日

長かった入院生活を終え、由香里がついに退院します。


 当たり前だった日常が、どれほど大切なものだったのか。


 そして、冬休みには新たな出会いと、音楽がつないだ小さな縁が待っていました。


 少し穏やかな時間を楽しんでいただけたら嬉しいです。

 十二月の澄んだ青空が広がっていた。


 吐く息は白く、街路樹の葉もほとんど落ちている。


 今日は、長浜家にとって特別な日だった。


 由香里が退院する日。


 徹は朝から落ち着かなかった。


 病院へ着くと、由香里はすでに退院の準備を終えていた。


 病衣ではなく、久しぶりに私服へ着替えた母は、少し痩せたようにも見えたが、その表情は手術前とは比べものにならないほど明るかった。


「お待たせ」


 そう笑う姿を見た瞬間、徹はようやく実感した。


 本当に帰れる。


 あの日、手術室へ向かっていった母が、こうして自分の足で歩いている。


 それだけで胸が熱くなった。


 病室を出る前、日下部明が姿を見せた。


「長浜さん」


「先生」


 由香里は深く頭を下げる。


「本当にありがとうございました」


 日下部は静かに微笑んだ。


「お礼は必要ありません。私は医師としてやるべきことをしただけです」


 そう言うと、徹たち家族へ視線を向けた。


「退院はしますが、これで終わりではありません。定期的な検査は必要ですし、しばらくは無理も禁物です」


「はい」


 泰造が力強く頷く。


「それでも、経過は非常に順調です」


 日下部は由香里を見る。


「ここまで回復されたのは、ご本人の努力も大きいでしょう」


「ありがとうございます」


「次は外来でお会いしましょう」


 短い言葉だった。


 だが、その言葉には「もう入院する必要はない」という安心感が込められていた。


 病院を出ると、冬の冷たい風が頬を撫でた。


 由香里は空を見上げ、小さく息を吸い込む。


「やっぱり外の空気は気持ちいいわね」


「家までゆっくり帰ろう」


 泰造が荷物を持ち、優子が由香里の腕をそっと支える。


 徹は少し後ろから、その光景を眺めていた。


 こんな日が来るなんて、数か月前までは想像もできなかった。


 夕方。


 久しぶりに家族全員が同じ食卓を囲んでいた。


 湯気の立つ鍋。


 由香里の好きだった煮物。


 いつもの食卓。


 それだけなのに、今日は特別だった。


 そこへ玄関のチャイムが鳴る。


「こんばんはー!」


 聞き慣れた明るい声だった。


 優子が玄関を開けると、紙箱を抱えた葵が立っていた。


「退院おめでとうございます!」


「葵ちゃん!」


 由香里は嬉しそうに笑う。


「わざわざ来てくれたの?」


「もちろんです!」


 葵は箱を差し出した。


「ケーキ買ってきました!」


「今日は退院のお祝いです!」


 徹は苦笑する。


「相変わらず元気だな」


「元気が取り柄だからね!」


 由香里は優しく言った。


「せっかくだから、一緒に食べていきなさい」


「えっ、本当にいいんですか?」


「もちろん」


「ありがとうございます!」


 葵は満面の笑みで頭を下げた。


 食卓には笑い声が戻ってきた。


 葵が楽しそうに話し、優子が笑い、泰造まで時折笑顔を見せる。


「やっぱり家のご飯は最高ですね!」


「病院じゃこうはいきませんから」


 由香里も嬉しそうに頷いた。


「みんなで食べるご飯って、本当にいいものね」


 食事が終わり、少し落ち着いた頃だった。


 徹は部屋へ戻り、バッグの奥から小さな木箱を取り出した。


 由香里の前へそっと置く。


「母さん」


「これ」


 由香里は箱を見るなり、小さく微笑んだ。


「あら」


「返すよ」


 徹は照れくさそうに続ける。


「約束どおり」


「結局、開けなかった」


 由香里は箱を両手で包み込む。


「そう」


「開ける理由なんて、なかったから」


 その一言を聞いた瞬間、由香里の目に涙が浮かんだ。


「ありがとう」


「それが、一番嬉しい」


 徹は照れ隠しのように笑う。


「だから言っただろ」


「退院したら返すって」


 由香里は何度も頷いた。


 あの日、「もしもの時だけ」と託した木箱は、とうとう開かれることなく持ち主のもとへ戻った。


 それは、長浜家が再び当たり前の日常を取り戻した証でもあった。


 食後、テレビでは冬休みを前にした特集が流れている。


 葵はそれを見ながら、ふと思い出したように顔を上げた。


「そうだ!」


「来週からレッスンがお休みなんだよね!」


「久しぶりに自由なんだけど!」


 徹は嫌な予感がした。


「それで?」


 葵はにっこり笑う。


「徹くん、一緒に遊ぼうよ!」


 家族みんなが笑う中、徹は苦笑いしながらため息をついた。


「分かったよ」


「約束だからな」


「やった!」


 葵は子どものように喜んだ。


 その約束が、数日後に思いがけない出会いへと繋がることを、この時の徹はまだ知らなかった。


 数日後。


 学校は冬休みに入り、街もすっかり年末の雰囲気に包まれていた。


 吐く息は白く、商店街にはクリスマスソングが流れている。


 約束どおり、徹は葵と駅前で待ち合わせをしていた。


「お待たせ!」


 葵はマフラーを首に巻き、嬉しそうに駆け寄ってくる。


「寒いのに元気だな」


「寒いから動くの!」


「意味が分からない」


「徹くんは分かんなくていいの」


 そう言って笑う姿は、病院で初めて会った頃と何も変わっていなかった。


 二人は商店街を歩きながら、店先に並ぶ雑貨を眺めたり、本屋へ立ち寄ったりと、のんびりした時間を過ごす。


「レッスンは本当に休みなのか?」


「うん。今年は先生もお休みなんだって」


「だから久しぶりにゆっくりできるの」


「寮にいても暇だから」


 葵は両手をポケットに入れながら笑う。


「たまには普通の中学生みたいに遊びたかったんだ」


 その言葉に、徹は少しだけ考えた。


 歌手を目指して東京へ来てから、葵は学校とレッスンを行き来する毎日だった。


 周りから見れば明るく元気でも、きっと努力を重ねているのだろう。


「今日は思いきり遊べばいい」


「うん!」


 その時だった。


「徹?」


 聞き覚えのある声に振り向く。


「恒一」


 紙袋を片手に持った恒一が、驚いた表情で立っていた。


「偶然だな」


「本当だね」


 恒一は徹の隣にいる葵へ視線を向ける。


「あっ、この子が前に話してた……」


「如月葵さん!」


 葵はにこっと笑って頭を下げた。


「初めまして!」


「初めまして。黒沢恒一です」


 恒一も笑顔で答える。


「徹くんからいろいろ聞いてる!」


「絵も見せてもらったよ!」


 恒一は少し照れくさそうに笑った。


「あんな昔の絵まで見られたのか」


「すごく上手だった!」


「ありがとう」


 少し立ち話をしたあと、恒一が時計を見る。


「せっかくだし、どこかで話さない?」


「賛成!」


 葵が真っ先に手を挙げた。


 三人は近くの喫茶店へ入った。


 温かいコーヒーの香りが店内に広がっている。


 それぞれ飲み物を注文し、他愛のない話が始まった。


 学校のこと。


 冬休みのこと。


 将来の夢。


 自然と話題は音楽へ移っていく。


「恒一くんもギター弾くんでしょ?」


「うん。趣味だけどね」


「いいなあ!」


 葵は目を輝かせる。


「私、ギター弾ける人って憧れるんだ」


「葵ちゃんは歌なんだよね?」


「うん!」


 恒一は笑いながら言った。


「文化祭で歌ったって聞いたよ」


「めちゃくちゃ緊張した!」


「でも評判だったらしいね」


 徹が頷く。


「本当にすごかった」


「徹くんまで」


 葵は照れ笑いを浮かべた。


 恒一は少し考えてから言う。


「一度ちゃんと聴いてみたいな」


「えっ?」


「葵ちゃんの歌」


 葵は徹を見る。


 徹も恒一を見る。


 そして同時に笑った。


「じゃあ」


 徹が立ち上がる。


「カラオケでも行くか」


「行く!」


 葵は勢いよく立ち上がった。


 三人は喫茶店を出て、すぐ近くのカラオケ店へ向かった。


 部屋へ入ると、葵は少し緊張した様子でマイクを握った。


「なんか文化祭より緊張する」


「なんで?」


「二人しか聴いてないから」


 徹は思わず笑う。


「普通は逆だろ」


「そうかなあ」


 曲が始まる。


 葵は静かに息を吸い込み、歌い始めた。


 部屋いっぱいに澄んだ歌声が響く。


 文化祭の体育館とは違う。


 目の前で聴く歌声には、不思議と人を引き込む力があった。


 歌い終わると、部屋は少しの間静まり返る。


 最初に拍手をしたのは恒一だった。


「すごい」


 その一言に、葵は照れくさそうに笑う。


「えへへ、ありがとう」


「歌が本当に好きなんだね」


「うん!」


 迷いのない返事だった。


「歌ってる時が一番幸せ!」


 恒一は優しく頷いた。


「きっと、その気持ちが歌に出てるんだろうね」


 徹も隣で頷く。


「だからみんな聴き入るんだ」


 葵は照れながら笑った。


「今日は褒められてばっかりだ」


「たまにはいいだろ」


「すごくいい!」


 三人の笑い声が小さな部屋に響いた。


 窓の外では、冬の夕日がゆっくりと街をオレンジ色に染め始めていた。


 それぞれ違う道を歩き始めた三人。


 けれど、この日交わした音楽の時間は、これから先も忘れられない思い出になっていくのだった。

第34話を読んでいただき、ありがとうございました。


 今回は、由香里の退院という一区切りと、久しぶりに穏やかな日常を描いた回でした。


 木箱も約束どおり由香里のもとへ戻り、ようやく長浜家に本当の意味で笑顔が戻ってきました。


 そして後半では、恒一と葵が初めて顔を合わせます。


 三人を結びつけたのは音楽でしたが、同時に三人には石丸家という不思議な縁があります。


 今回はあえてそのことには深く触れませんでした。


 今はまだ何気ない出会いでも、この時間がこれから先の物語にどんな影響を与えていくのか、少しずつ描いていきたいと思っています。


 次回も楽しんでいただけたら嬉しいです。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。