■第12話 遠くなる景色
人は成長すると、少しずつ違う道を歩き始める。
毎日会っていた友達。
同じ景色を見ていたはずの相手。
それでも時間は、静かに距離を作っていく。
変わっていくもの。
それでも変わらないもの。
春は、その両方を連れてくる季節だった。
中学生になった。
新しい制服。
少し大きめの通学鞄。
真新しい校舎。
桜が舞う坂道を歩きながら、俺は妙な感覚になっていた。
人生二度目の中学生活。
前の人生でも通ったはずなのに、今はまるで別世界のようだった。
通っている学校も違う。
周囲にいる人間も違う。
そして何より、自分自身が違う。
黒沢恒一だった頃の俺は、もっとぼんやり生きていた。
毎日をなんとなく過ごし、勉強もそこそこ、将来も曖昧だった。
だが今の俺は違う。
未来を知っている。
いや、正確には“知っていた”。
最近は、それすら少し怪しくなっている。
競馬の結果が記憶とズレた。
見えたはずの未来も、完全ではない。
石丸家の蔵で読んだ言葉。
魂は近き縁へ還る。
あれ以来、自分が本当に何なのか分からなくなる瞬間が増えていた。
中学の教室は静かだった。
受験を経て入ってきた生徒が多いせいか、全体的に落ち着いている。
授業のレベルも小学校とは比べものにならない。
だが、それでも俺には簡単だった。
むしろ問題は別にある。
人との距離感だった。
「長浜って、なんか大人っぽいよな」
「わかる。先生みたい」
クラスメイトが笑いながらそんなことを言う。
悪意はない。
だが、言われるたびに少し苦しくなる。
大人っぽいんじゃない。
本当に中身が大人なのだ。
同級生たちが夢中になっている話題にも、うまく入り込めない。
テレビ番組。
アイドル。
ゲーム。
合わせることはできる。
でも、心のどこかが冷静だった。
それに最近は、人の感情が妙に分かりすぎる。
誰が無理して笑っているか。
誰が誰を苦手に思っているか。
誰が孤立しかけているか。
視線や声色だけで、なんとなく伝わってくる。
前はここまでじゃなかった。
石丸の血。
あの言葉が頭から離れない。
放課後。
俺は一人で駅前を歩いていた。
夕方の商店街は、学校帰りの学生や買い物客で少し賑わっている。
そんな中、後ろから声が飛んできた。
「徹!」
振り返る。
恒一だった。
制服姿のまま、自転車を押している。
「久しぶりだな」
「そんなでもないだろ」
俺が言うと、恒一は笑った。
「学校違うと全然会わねーよ」
それは本当だった。
家は近い。
だが、小学校の頃のように毎日顔を合わせることはない。
環境が変わるだけで、人との距離はこんなにも変わるのかと思う。
「そっちはどう?」
「普通」
「絶対普通じゃないだろ、お前」
「なんでだよ」
「なんか頭良さそうな学校だし」
恒一は苦笑しながら言った。
その口調に嫌味はない。
本当にそう思っているだけだ。
「そっちは?」
「うるさい」
「お前らしいな」
「だろ?」
恒一は嬉しそうに笑う。
変わらない。
少し安心した。
俺ばかりが別の方向へ進んでいる気がしていたから。
「そういやさ」
恒一が自転車を押しながら言った。
「軽音部見に行った」
「軽音?」
「ギターとかやるやつ」
少し意外だった。
いや、でも意外ではないのかもしれない。
恒一は昔から、何かを表現するのが好きだった。
絵もそうだ。
頭の中にあるものを、形にしたがる。
「なんかさ、かっこよかったんだよ」
「へえ」
「文化祭の映像見せてもらって、ズドンって来た」
その言い方が、妙に恒一らしくて笑ってしまう。
「ギターやるのか?」
「まだ分かんない。でも気になる」
恒一は少し照れたように頭を掻いた。
「絵描く時と似てる気がするんだよな」
「似てる?」
「うん。なんか、頭の中のモヤモヤを外に出す感じ」
その言葉を聞いた瞬間、胸の奥が少しざわついた。
モヤモヤを外に出す。
願い。
感情。
石丸家の血が持つもの。
それが創作に繋がっているような気がした。
だが、今の俺にはまだ分からない。
ただの偶然かもしれない。
「徹はなんかやってんの?」
「ピアノ」
「マジで?」
「少しだけ」
「なんかお坊ちゃんっぽいな」
「偏見だろ」
二人で笑う。
その時間だけは、不思議と昔に戻れた。
転生も、石丸家も、未来の不安も忘れられる。
だが、そんな時間は長く続かない。
突然、頭の奥がずきりと痛んだ。
「っ……」
一瞬だけ視界が揺れる。
自転車。
ブレーキ音。
転ぶ男子生徒。
映像はすぐ消えた。
「徹?」
恒一が怪訝そうに見る。
「大丈夫か?」
「……平気」
最近増えている。
未来なのか、予感なのか分からない断片。
以前よりも自然に頭へ入り込んでくる。
「顔色悪いぞ」
「寝不足」
「ちゃんと寝ろよ」
恒一はそう言って笑った。
その時だった。
商店街の向こうで、自転車のベルが鳴る。
次の瞬間。
「うわっ!」
男子中学生がバランスを崩し、派手に転倒した。
周囲がざわつく。
俺は息を止めた。
さっき見えた通りだった。
恒一も驚いた顔でそちらを見る。
「危な……」
俺は何も言えなかった。
偶然。
そう思おうとしても、回数が増えすぎている。
この力は、確実に強くなっていた。
帰宅後、俺は机に向かっていた。
参考書を開いても集中できない。
頭の中では、ずっと恒一の言葉が回っていた。
頭の中のモヤモヤを外に出す。
絵も。
音楽も。
恒一は昔から、何かを作り出そうとしている。
それは、前世の俺もそうだったのだろうか。
だとしたら、俺はなぜ途中でやめてしまった。
なぜ諦めてしまった。
机の端には、一枚の紙が置かれていた。
恒一が前にくれた絵。
あの少女だ。
長い髪。
吸い込まれそうな目。
どこか寂しそうな笑顔。
前よりも、さらに顔がはっきりしている。
なぜ恒一は、この少女を描くのだろう。
まだ会ったこともないはずなのに。
まるで、ずっと探しているみたいに。
俺は絵を裏返した。
そこには、鉛筆で小さく文字が書いてある。
『いつか会える気がする』
胸がざわつく。
だが、その正体はまだ分からない。
石丸家と関係があるのか。
ただの偶然なのか。
それとも――。
「……何なんだよ」
思わず呟いた。
未来はズレ始めている。
能力も強くなっている。
石丸家の秘密もまだ見えない。
なのに恒一だけは、何かを感じ取るように絵を描き続けている。
俺だけが知っているつもりだった。
だが、本当は違うのかもしれない。
知らないところで、何かはずっと繋がっている。
窓の外では、春の夜風が静かに揺れていた。
遠くで電車の音が聞こえる。
中学生になって、景色は少し変わった。
でも、答えはまだ見えない。
俺はただ、その見えない何かに引っ張られるように、生き続けていた。
第12話を読んでいただきありがとうございます。
今回は中学編スタートということで、
徹の孤独や、恒一との少しずつ変わっていく距離感を中心に描きました。
そして恒一の中では、少しずつ“表現したい”という気持ちが芽生え始めています。
絵だけではなく、音楽へ。
その感情が、この先どんな未来へ繋がっていくのか。
次回もよろしくお願いします。




