第9話 職場環境の改善を要求します
行政改革局長は、職場環境に不満を抱いていた。
行政改革局、局長室。
一定に保たれた室温。
清潔な設備。
定期的に交換される脳脊髄液。
生命維持に必要な条件は、すべて整っている。
一年以上、何の不満もなかった。
昨日までは。
『……あのさ』
「はい」
『この部屋って、窓あったっけ?』
「あります」
『……開く?』
「開きます」
『……そうなんだ』
研究員は書類をめくった。
「何か問題でも?」
『……風、入るかな』
「換気をご希望ですか?」
『うん。ちょっと』
「空調設備は正常に稼働しています」
『……そうだね』
研究員は記録板を確認した。
「室温、湿度ともに適正範囲内です」
『……日当たりは?』
「日当たり、ですか」
『うん』
「局長室の照明に問題はありません」
『……太陽の方』
「…………」
研究員は少し考えた。
「局長の生命維持に、日光は必要ありません」
『……知ってる』
必要がないことは、理解していた。
そもそも脳には葉も根もない。
光合成もできない。
脳脊髄液の状態は管理されている。
土壌も不要である。
合理的だった。
『……でも、昨日は暖かかったんだよね』
「何がでしょうか」
『日差し』
「植物身体の感覚ですね」
『うん』
研究員が記録板に書き込んだ。
「身体接続解除後も、感覚記憶が継続しているようです」
『……それって問題?』
「現時点では不明です」
『……そっか』
ルメは考えた。
昨日まで、局長室は快適だった。
今日も設備は何一つ変わっていない。
変わったのは、自分の方だった。
『……じゃあ、職場環境の改善を提案したい』
「承知しました。具体的には?」
『まず、日照条件の確認』
「はい」
『それから、風通し』
「はい」
『水はけも』
「……水はけ?」
研究員の筆が止まった。
「局長、ここは局長室です」
『……うん』
「生命維持設備用の排水設備はあります」
『……そうなんだ』
「ただし、土壌はありません」
『……だよね』
ルメは少し考えた。
『……土って、持ち込める?』
「何に使用するのでしょうか」
『……まだ決めてない』
「用途不明の土壌は、局長室に持ち込めません」
『……そうか』
研究員は記録板を置いた。
「局長」
『……何?』
「昨日の植物身体が、気に入られたのですね」
『……うん』
否定する理由はなかった。
『土が柔らかかった』
「はい」
『水も吸えた』
「はい」
『風が吹くと、身体が揺れるんだ』
「記録しています」
『……あれ、よかったな』
「…………」
研究員は、しばらく黙っていた。
『……あのさ』
「はい」
『そういえば、名前を聞いてなかったね』
「私の名前でしょうか」
『うん』
「クルトです」
『……クルトさん?』
「敬称は不要です」
『……じゃあ、クルト』
「はい、局長」
ルメは少し考えた。
『……一年以上、一緒に仕事してるのにね』
「はい」
『今まで聞かなかったんだ』
「はい」
『……気にならなかった?』
「業務上、支障はありませんでした」
『……そっか』
確かに、支障はなかった。
報告は正確だった。
指示も伝わった。
必要な仕事は、すべて滞りなく進んでいた。
それでも、名前を知ったことで、何かが少し変わった気がした。
『……クルト』
「はい」
『……これからもよろしく』
「承知しました」
クルトは記録板を持ち直した。
「次回の実証試験については、現在調整中です」
『……うん』
「それまでは、通常業務をお願いいたします」
『……わかった』
書類の読み上げが再開された。
王宮内の設備管理。
備品の発注手順。
各部署の予算配分。
いつもの仕事だった。
『……ちょっと待って』
「はい」
『今、設備管理って言った?』
「はい」
『王宮庭園も対象?』
「庭園の維持管理は、別部門の管轄です」
『……そうなんだ』
「何かご提案が?」
『……いや、ちょっと気になって』
クルトは書類をめくった。
「庭園の管理費についても、必要であれば資料を取り寄せられます」
『……お願いできる?』
「承知しました」
翌日、庭園の管理資料が届いた。
クルトが内容を読み上げる。
土壌改良費。
灌水設備の維持費。
樹木の剪定費。
季節ごとの植栽計画。
『……植栽計画って、誰が決めてるの?』
「庭園管理部門です」
『ロアンさんも関わってる?』
「確認いたします」
『……うん』
ルメは考えた。
植物には、それぞれ適した環境がある。
日差しを好むもの。
日陰を好むもの。
乾燥に強いもの。
水分を多く必要とするもの。
先日、自分が経験したのは、そのほんの一部だった。
『……庭園の土壌って、全部同じなのかな』
「場所によって異なります」
『……調べてる?』
「定期的に調査しています」
『……その資料も欲しい』
「承知しました」
クルトは記録板に追記した。
「局長、庭園管理部門の業務調査を開始されるのですか?」
『……いや』
「では、何のために?」
『……ちょっと、知っておきたくて』
クルトは首をかしげた。
「何をでしょうか」
少し間があった。
『……住み心地のいい場所』
クルトの筆が止まった。
「……局長」
『何?』
「庭園への転属を希望されているのですか?」
『……まだ、そこまでは考えてない』
「まだ?」
『……うん』
クルトは記録板を見た。
「職場環境改善の要望として、記録しておきます」
『……お願い』
その日の業務終了後。
クルトは、局長から提出された改善要望を整理した。
日照条件の調査。
風通しの確認。
土壌の性質。
排水設備。
植栽計画。
最後に、要望の目的を記入する欄があった。
クルトは少し考えた。
そして、一行を書き加えた。
行政改革局長の将来的な居住環境の検討。
なお、現時点において、局長に根は存在しない。




