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第33話 勇者様を包囲しました



 従者は宙に浮かぶ鉢を見つめた。


 六輪の白い花。


 緑色の葉。


 鉢の底には、土が少し付着している。


 従者はリオンを背後にかばったまま、慎重に尋ねた。


「……失礼ですが、お名前を伺ってもよろしいでしょうか」

「……ルメです」


 従者はわずかに目を見開いた。


 ルメ。


 その名前には、聞き覚えがあった。


 異世界から召喚された勇者には、長い間、名前がなかった。


 正確には、本人が名前を覚えていなかった。


 勇者と呼ばれ、魔王軍との和平成立後は行政改革局長と呼ばれるようになった。


 それで何の問題もなかったため、名前がないまま時が過ぎた。


 ところが最近、王宮庭園の庭師が勇者に名前をつけたという報告があった。


 ルメ。


 その名を知る者は、まだごく限られている。


 従者は、勇者が長い間、脳だけの状態で生活していたことも知っていた。


 その勇者が植物の身体を得たという話も耳にしている。


 しかし、目の前の鉢植えが本当にその人物なのかは、別の問題だった。


「……失礼ですが、ご本人であることを証明できますか?」

「……証明ですか」

「はい」

「……うーん」


 ルメは考えた。


 六輪の花が、それぞれ別の方向を向く。


「……クルトに確認していただければ分かると思います」

「クルト様、ですか?」

「……はい。行政改革局の副長です」

「……副長のクルト様ですね」


 従者は少し考えた。


 クルトの名も知っている。


 行政改革局副長を務める人物だ。


 しかし、その名を知っていることだけでは、本人の証明にはならない。


「確認が取れるまで、こちらでお待ちいただけますか」

「……はい」


 鉢がゆっくり高度を下げた。


 ふわり。


 地上から一メートル五十センチほどの高さで止まる。


 リオンの目線より、少し上。


 鉢はその高さで、ふわふわと浮いていた。


「……ここでいいですか?」

「はい。そちらでお待ちいただけますでしょうか」


 従者は回廊の方へ合図を送った。


     *


 数分後。


 北庭園に五人の騎士が到着した。


「身元の確認が必要な方がいらっしゃると伺いました」

「はい。あちらにいらっしゃいます」


 従者が視線を向けた。


 噴水の近く。


 白い花を六輪咲かせたクリスマスローズが、宙に浮いていた。


「…………」


 騎士たちは足を止めた。


「……あちらの鉢植えでしょうか」

「はい」

「……植物のようですが」

「お話しになるのです」

「……会話ができるのですか?」

「はい。行政改革局長のルメ様と名乗られています」


 騎士たちは顔を見合わせた。


「……勇者様のお名前ですね」

「はい。ただし、ご本人であることは確認できておりません」


 隊長が鉢に近づいた。


「失礼。お名前を伺ってもよろしいでしょうか」

「……ルメです」

「……ルメ様、ですか」

「……はい」


 隊長はクリスマスローズを見つめた。


 白い花。


 緑色の葉。


 普通の植木鉢。


 ただし、浮いている。


「……どのようにして北庭園へ?」

「……飛んできました」

「飛行魔法ですか?」

「……はい」

「結界は?」

「……結界?」

「北庭園には、侵入を防ぐ結界があります」

「……そうなんですね」


 隊長は少し考えた。


 結界に異常があったという報告はない。


 それなのに、身元未確認の浮遊物が王族専用の区域に入り込んでいる。


 しかも、王子のすぐそばにいた。


「身元の確認が取れるまで、こちらで警護させていただきます」

「……分かりました」


 隊長が片手を上げた。


 騎士たちが動いた。


 一人が正面に立つ。


 残る四人が左右に分かれ、鉢を中心に等間隔で位置についた。


 五人の騎士が、クリスマスローズを五角形に取り囲んだ。


「…………」


 ルメは一番の花を動かした。


 リオンと従者が見える。


 続いて、残りの五輪を動かした。


 ピコッ。


 二番の花。


 騎士。


 三番の花。


 騎士。


 四番の花。


 騎士。


 五番の花。


 騎士。


 六番の花。


 騎士。


「…………」


 六つの視界が同時に入ってくる。


 騎士が五人。


 リオンと従者が二人。


 それぞれ違う方向にいる。


 ルメは一つずつ確認しようとした。


 けれど、どの騎士がどちらにいるのか、すぐには整理できない。


「……あれ?」


 もう一度、視界を確認する。


 正面。


 右。


 左。


 後ろ。


 どの方向にも騎士がいる。


「……囲まれてる……?」


 葉っぱが、ぴこっと動いた。


 騎士たちは警戒を続けた。


 リオンが従者の背後から顔を出した。


「……あの」

「殿下、お下がりください」

「でも、ルメ様は何もしていないんだ」

「承知しております。ただし、身元の確認が必要です」

「……分かった」


 リオンは素直に下がった。


 ルメは一輪の花をリオンへ向けた。


「……リオン」

「はい、ルメ様」

「……王子様だったんだね」

「……はい」


 リオンは少し照れたように背筋を伸ばした。


「改めまして、リオン・ノイシスと申します」

「……ノイシス?」

「はい。王家の名前です」

「……そうなんだ」


 ルメは少し考えた。


「……リオンは、リオンだね」


 葉っぱが、小さくぱたぱたと揺れた。


 リオンは少し驚いたように目を瞬かせた。


 それから、うれしそうに笑った。


「……はい。リオンです」


「……大丈夫だよ」

「……はい、ルメ様」


 リオンは安心したようにうなずいた。


 その間も、五人の騎士は鉢を取り囲んでいた。


     *


 一方、王宮警備担当では。


「北庭園への立ち入り申請です」


 担当官が書類を受け取った。


「行政改革局から?」

「はい。局長の所在を確認したいとのことです」

「……局長?」


 担当官は別の報告書に目を向けた。


 北庭園。


 身元未確認の浮遊物。


 会話可能な植物。


 行政改革局長を名乗っている。


「…………」


 担当官は二枚の書類を並べた。


「……確認します」


 行政改革局からの連絡を取り次いだ。


「行政改革局副長のクルト様ですね」

「はい」

「局長の所在をお探しとのことですが」

「現在、飛行実験中に局長の位置を見失っています」

「……飛行実験?」

「はい」

「局長は、どのようなお姿でしょうか」

「クリスマスローズです」

「…………」

「白い花が六輪あります。鉢植えです」

「……宙に浮いていますか?」

「はい」


 担当官は報告書を見た。


 もう一度、通信具に向かう。


「……北庭園で確認されています」

「局長ですね」

「現時点では、身元の確認が取れておりません」

「すぐに伺います」


 担当官は立ち入り許可の手続きを進めた。


     *


 北庭園では。


 五人の騎士が、まだクリスマスローズを取り囲んでいた。


 ふわふわ。


「……あの」

「何でしょうか」

「……少し移動してもよろしいでしょうか」

「どちらへ?」

「……そちらです」


 ルメは一輪の花を騎士の背後へ向けた。


 隊長の背後には、大きな花壇があった。


「……お花を見たいのですが」

「……申し訳ありません。確認が終わるまでお待ちください」

「……そうですか」


 ルメは花を元の向きに戻した。


 葉っぱが、しゅんと下がった。


「……分かりました」


 そのとき。


「局長!」


 聞き慣れた声がした。


「……あっ」


 ルメは一輪の花を声の方へ向けた。


 葉っぱが、ぴこっと動いた。


 回廊からクルトとモリスが小走りでやってくる。


 クルトは記録板を持っていた。


 モリスは魔法具を抱えている。


「……クルト」

「局長、何をされているのですか」

「……囲まれてる……?」


 葉っぱが、ぱたぱたと揺れた。


「それは見れば分かります」


 モリスが口元を押さえた。


「……ふふっ」


 クルトは騎士たちに向き直った。


「行政改革局副長のクルトです。こちらは当局の局長、ルメ本人で間違いありません」


 隊長が姿勢を正した。


「……ご本人でいらっしゃいますか?」

「はい。現在、植物型身体の飛行実験を行っています」

「……飛行実験」

「操作上の問題により、予定区域から移動してしまいました」

「……なるほど」


 隊長は鉢を見た。


 ルメは一輪の花を隊長へ向けた。


「……こんにちは」


 葉っぱが、ぴこっと動いた。


 隊長は直立した。


「……大変失礼いたしました!」


 騎士たちも一斉に姿勢を正した。


「勇者様とは存じ上げず!」

「……はい?」

「ご無礼をお許しください!」

「……何かしましたか?」


 騎士たちは顔を見合わせた。


 五人で包囲した。


 移動を制限した。


 花壇を見ることも許可しなかった。


 相手は国を救った勇者だった。


「……警護上の判断とはいえ、申し訳ございません」

「……ああ」


 ルメは少し考えた。


「……リオンを守っていたんですよね」

「はい」

「……それなら、よかったと思います」


 隊長は一瞬、言葉を失った。


「……寛大なお言葉、ありがとうございます」


 ルメの葉っぱが、小さくぴこっと動いた。


 モリスが肩を震わせた。


「……ふふっ」

「モリス」

「……はい」


 モリスは口元を押さえ直した。


 クルトは記録板を開いた。


「局長、飛行操作の状況を確認します」

「……うん」

「現在地は把握できていますか?」

「……北庭園」

「はい」

「……リオンが教えてくれた」

「リオン?」


 クルトが顔を上げた。


 従者の背後にいた少年が、一歩前へ出た。


「クルト副長」

「……リオン殿下」


 クルトはすぐに礼を取った。


「殿下。局長がお騒がせいたしました」

「いいえ。ルメ様とお話しできて、うれしかったです」


 リオンは少し迷ってから尋ねた。


「……また、お会いすることはできますか?」


 クルトはルメを見た。


「局長、いかがでしょうか」


 ルメは一輪の花をリオンへ向けた。


「……うん。いいよ」


 リオンの表情が明るくなった。


「ありがとうございます!」


 葉っぱが、ぱたぱたと揺れた。


「……今度は、ちゃんと来るね」


 クルトの筆記具が止まった。


「……局長」

「……うん?」

「次回は、飛行経路を事前に申請してください」

「……今回のは不可抗力だよ」

「操作上の問題です」

「……そうなの?」

「はい。それと、現在地を確認する手段も必要です」

「……うん」

「今回の実験では、操作方法に課題が確認されました」

「……そうだね」


 クルトは記録板に書き込んだ。


「では、戻りましょう。局長、進行方向は分かりますか?」

「……うーん」

「局長?」

「……どっち?」


 鉢が困ったように、ゆらゆらと揺れた。


 クルトは記録板を閉じた。


 モリスが口元を押さえ、肩を震わせた。


「……ふふふふっ」


 五人の騎士は、まだ直立していた。





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