第34話 帰還方法を確認してください
北庭園。
五人の騎士が見守る中、クリスマスローズの鉢がゆらゆらと揺れていた。
クルトはモリスに目を向けた。
「モリス、局長をお連れして戻りましょう」
「はい」
モリスはルメに向かって、両手を差し出した。
「局長、ちょっとこちらにいらしてください」
「……うん?」
モリスは両手を広げたまま待っている。
「こちらです」
ルメは花をモリスへ向けた。
ふわり。
鉢がゆっくり近づいていく。
ぽこん。
モリスの両手に収まった。
「……これでいい?」
白い花が、こてんと傾いた。
「はい。ありがとうございます」
「……何するの?」
「操作権限をこちらに戻します」
「……ここで?」
「はい。切り替えの際に操作が一時的に途切れる可能性がありますので」
「……ああ」
「この状態なら、落下しても鉢を支えられます」
「……なるほど」
モリスは鉢を支えたまま、底の魔法陣に意識を集中させた。
淡い光が広がる。
「では、操作権限を戻します」
鉢底の光が一度強くなった。
ふわっ。
鉢がわずかに沈み、モリスの手の中で止まった。
「切り替え完了です」
「……もういい?」
「はい。こちらで操作します」
モリスがそっと両手を下げた。
鉢がふわりと浮き上がる。
「……おお」
葉っぱが、ぴこっと動いた。
「……勝手に動いてる」
「はい。今は私が操作しています」
「……そうなんだ」
モリスが微笑んだ。
「では、戻りましょうか。局長」
「……うん」
鉢がゆっくりと動き出した。
「あっ、待ってください!」
リオンの声だった。
ルメは花をリオンへ向けた。
「……リオン?」
「……あの、僕も」
リオンはモリスの両手を見ていた。
「……さっきの、ちょっと羨ましかったです」
モリスが首をかしげた。
「さっきの、ですか?」
「はい。ルメ様が、モリスさんの手に乗ったのが……」
リオンは自分の両手を見下ろした。
それから、そっと差し出した。
「……僕のところにも、来ていただけますか?」
ルメは少し考えた。
「……うん。いいよ」
モリスが微笑んだ。
「では、少しだけですね」
鉢がゆっくりとリオンへ近づいていく。
ふわふわ。
リオンは両手を広げたまま、じっと待っていた。
ぽこん。
小さな両手に、鉢が収まった。
「……わあ!」
リオンの顔が明るくなった。
「……本当に来てくれた!」
ルメは花をリオンへ向けた。
こてん。
「……またね、リオン」
リオンはうれしそうに笑った。
「はい! またお会いしましょう、ルメ様!」
葉っぱが、ぴこぴこと動いた。
リオンは鉢を大切そうに支えていた。
「……かわいらしいですね」
リオンは、はっとした。
「……あっ、失礼いたしました!」
「……うん?」
「お花も、とてもきれいです」
「……ありがとう」
モリスがそっと声をかけた。
「殿下、そろそろよろしいでしょうか」
「……はい!」
リオンが両手を少し開いた。
鉢がふわりと浮き上がった。
白い花が、リオンに向かってぺこりとお辞儀した。
リオンも小さく頭を下げた。
「お気をつけて!」
「……うん」
クルトがリオンに礼を取った。
「殿下、ならびに従者の方、警護に当たられた騎士の皆様。このたびは局長がお騒がせし、申し訳ございませんでした」
クルトとモリスは、そろって頭を下げた。
ルメも花を少し下げた。
「……勝手に入っちゃって、ごめんなさい…」
リオンは首を横に振った。
「いいえ! ルメ様にお会いできて、うれしかったです!」
「……ありがとう」
「また遊びに来てください!」
「……うん」
クルトが答えた。
「次回は正式な手続きを経て、お伺いいたします」
クルトは記録板を閉じた。
「では、失礼いたします」
クリスマスローズの鉢が、ゆっくりと回廊へ向かった。
クルトとモリスも、その後に続いた。
リオンは三人の姿が見えなくなるまで、ずっと手を振っていた。
*
北庭園。
リオンはしばらく、鉢が消えた回廊を見つめていた。
従者がそっと声をかけた。
「殿下」
「……うん?」
「そろそろ、お戻りになりませんか」
「……うん」
リオンはもう一度、回廊の方を見た。
「……また来てくれるかな」
「勇者様は、またお会いするとおっしゃっていました」
「……そうだね」
リオンはうれしそうに笑った。
その少し後ろでは、五人の騎士が顔を見合わせていた。
「……隊長」
「何だ」
「我々は、勇者様を包囲していたのですね」
「……そうだな」
「しかも、花壇を見ることもお断りしました」
「……そうだな」
隊長はしばらく黙っていた。
「……警護上、必要な判断だった」
「はい」
「身元が確認できなかった以上、やむを得ない」
「はい」
別の騎士が口を開いた。
「……しかし、勇者様は怒っていらっしゃいませんでしたね」
「むしろ、殿下を守ってくれてよかったと……」
隊長は回廊の方を見た。
「……ああ」
従者が騎士たちに向き直った。
「皆様、ご対応ありがとうございました」
「いえ。殿下の安全を守るのが我々の務めです」
隊長は姿勢を正した。
「しかし、勇者様とは……」
従者もうなずいた。
「私も驚きました。お話は伺っておりましたが、まさか鉢植えのお姿でいらっしゃるとは」
「……しかも、空を飛んでおられました」
「……はい」
しばらく沈黙が続いた。
そのとき。
「ねえ」
リオンが振り返った。
「勇者様、かわいらしかったね」
「…………」
隊長が固まった。
従者も返事に困った。
「……殿下」
「なあに?」
「勇者様でいらっしゃいますので……」
「うん。知ってるよ」
リオンは両手をそっと丸めた。
「……でも、僕の手に乗ってくれたんだ」
従者はその小さな手を見つめた。
「……左様でございましたね」
リオンは満足そうにうなずいた。
「また来てくれたら、今度もこうして待っていよう」
リオンは小さな両手をそっと差し出した。
隊長は何も言わなかった。
五人の騎士も、何も言わなかった。
ただ、従者だけが小さく微笑んだ。
*
王宮庭園へ戻る途中。
「……クルト」
「はい、局長」
「……ごめんね」
「何についてでしょうか」
「……迷子になっちゃって」
「……はい」
「……迎えに来てもらっちゃった」
「その点については、戻ってから報告をいただく予定でした」
「……うん」
クルトは記録板を開いた。
「局長、今回の飛行実験には、いくつか問題があります」
「……うん」
「まず、北庭園の結界を通過したことで、位置確認の魔法具が機能しなくなりました」
「……そうだね」
「結界内への進入は想定されていませんでした。今後は飛行範囲を明確に制限する必要があります」
「……うん」
「そして、王族専用区域への無断立ち入りです」
「……ごめん」
「今回は偶発的なものでしたが、警護の騎士を出動させる事態になりました」
「……うん」
「局長が行方不明になれば、行政改革局全体の業務にも影響します」
「……そうだね」
クルトは筆記具を止めた。
「局長。ご自身の立場を、もう少し自覚してください」
「……はい」
しばらく沈黙が続いた。
鉢がふわふわと進んでいく。
「……クルト」
「はい」
「……今後は気をつけるよ」
「お願いいたします」
「……うん」
「ですが、無事に戻られたことには安堵しています」
「……ありがとう」
クルトは記録板に視線を戻した。
「操作権限の切り替えについても、安全な場所を確保する必要があります」
「……うん」
「今回の実験結果は、戻ってから改めて検証します」
「……分かった」
クルトは筆記具を置こうとした。
「……あ、クルト」
「はい、局長」
「……もう一つ、分かったことがあるんだけど」
「何でしょうか」
ルメは少し考えた。
「……ぽこんってすると、喜んでもらえる」
「…………」
クルトの筆記具が止まった。
モリスが口元を押さえた。
「……ふふっ」
「局長。それは飛行実験の検証項目ではありません」
「……そうなの?」
「はい」
「……でもね」
クリスマスローズの花が、少し下を向いた。
「……リオン、すごくうれしそうだったんだ」
「はい。私も拝見しました」
「……笑ってたんだよ」
「……はい」
「……私が手に乗ったら、笑ってくれた」
クルトは筆記具を置いた。
「……局長」
「……うん?」
「それが、うれしかったのですか?」
「……うん」
葉っぱが、ぴこっと動いた。
「……私、今まで分からなかったから」
「…………」
「……誰かが喜んでても、見えなかったんだよね」
クルトは黙っていた。
「……仕事してても、ちゃんと役に立ってるのかなって」
「局長の功績は、十分に評価されています」
「……うん。知ってはいるんだ」
白い花が、ゆっくりと揺れた。
「……でも、今日は自分で見られたんだ」
「…………」
「……リオンが笑ってくれたの」
しばらく、誰も話さなかった。
モリスも、もう笑っていなかった。
クルトは記録板に目を落とした。
そこには、今回の飛行実験で発生した問題が並んでいた。
結界による位置情報の遮断。
王族専用区域への無断立ち入り。
操作権限の切り替え。
「……局長」
「……うん?」
「それは、…よかったですね」
「……うん!」
葉っぱが、ぱたぱたと揺れた。
クルトは記録板を閉じた。
「……ただし」
「……うん?」
「次回からは、迷子にならない範囲でお願いいたします」
「……はい」
モリスが口元を押さえた。
「……ふふっ」
クリスマスローズの鉢は、三人とともに王宮の南庭園へ戻っていった。




