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召喚された脳みそ  作者: 花束 ねる


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第32話 現在地が分かりません



 ふわふわ。


 クリスマスローズの鉢が、王宮の上空を漂っていた。


「……うーん」


 ルメは六輪の花を動かした。


 右。


 左。


 上。


 下。


「……ここ、どこだろう」


 少し前まで、王宮庭園にいた。


 ロアンがいて、クルトがいて、モリスもいた。


 鉢を浮かせる実験をしていたはずだった。


 ところが、右へ向こうとした瞬間、鉢が前方へ一回転した。


 六つの視界が一斉に回った。


 どうにか回転は止められたものの、見覚えのある景色はどこにもなかった。


「……庭園、どっちだろう」


 ルメは周囲を見渡した。


 建物。


 屋根。


 石畳。


 遠くには塔も見える。


「……王宮って、広いんだなあ」


 一年以上、王宮で暮らしていた。


 ただし、そのほとんどを局長室で過ごしている。


 脳だけだった頃は、景色を見ることもできなかった。


 王宮庭園へ出るようになったのも、植物の身体を得てからだ。


 庭園がどこにあるのか、建物との位置関係も知らない。


「……まあ、庭園を探せばいいか」


 ルメはゆっくり進み始めた。


 すーっ。


 しばらくすると、眼下に広い石畳が現れた。


 中央には、大きな噴水がある。


「……おお」


 ルメは高度を下げた。


 水が勢いよく吹き上がり、太陽の光を受けてきらきらと輝いている。


 周囲には花壇が並んでいた。


「……庭園かな?」


 ルメは噴水の周囲を飛んだ。


 きれいに刈り込まれた生け垣。


 色とりどりの花。


 白い石の彫刻。


「……きれいだなあ」


 しばらく眺めてから、ルメは周囲を見渡した。


「……ロアンさん、いないかな」


 庭師の姿は見当たらない。


 見覚えのある作業台もない。


「……違うところかな」


 ルメは花を動かした。


 遠くに、建物の向こうから緑が見える。


「……あっちにも庭園があるのかな?」


 鉢がゆっくり上昇した。


 ふわり。


     *


 その頃、王宮庭園では。


「局長の位置を確認しました!」


 モリスが魔法具を操作していた。


「中央庭園です!」


 クルトが記録板から顔を上げた。


「中央庭園ですね。移動します」

「待ってください。局長が動いています」

「どちらへ?」

「北です」


 クルトは王宮本殿の方を見た。


「……局長は、ご自身の現在地を把握しているのでしょうか」


 モリスが尋ねた。


 クルトの筆記具が止まった。


「……確認していません」


 二人は顔を見合わせた。


「追跡を続けてください」

「はい!」


 研究員たちが走り出した。


     *


 一方、ルメは。


「……おお」


 大きな屋根の上にいた。


 正確には、屋根の少し上を飛んでいた。


 目の前には、立派な塔がそびえている。


 屋根には細かな装飾が施され、窓には色鮮やかなガラスがはめ込まれていた。


「……すごいなあ」


 ルメは高度を上げた。


 ふわり。


 塔の先端が見える。


「……こんなところ、あったんだ」


 さらに進む。


 屋根の向こうに、また別の屋根。


 その向こうには、木々が広がっていた。


「……あ、庭園だ」


 ルメはそちらへ向かった。


 すーっ。


 鉢が王宮本殿の屋根を越えていく。


     *


「あっ!」


 モリスが声を上げた。


「どうしました?」

「追跡反応が消えました!」

「魔力供給は?」

「正常です。飛行魔法は継続しています!」

「最後の位置は?」

「王宮本殿の北側です!」


 クルトは北の方角を見た。


「……北庭園ですね」


 北庭園。


 王族専用の庭園だった。


 外部からの侵入を防ぐため、庭園全体に結界が張られている。


 許可のない人間や動物は通過できない。


 ただし、植物は別だった。


 風に運ばれる落ち葉や枯れ枝まで遮断していては、結界が正常に機能しない。


 そして、現在のルメの身体はクリスマスローズだった。


「……結界を通過したのでしょうか」

「可能性はあります」


 モリスが魔法具を確認する。


「北庭園の内部は探知できません。結界が外部からの追跡魔法を遮断しています」

「飛行魔法は?」

「問題ありません」

「では、局長は飛び続けている可能性がありますね」

「はい」


 クルトは記録板を開いた。


「北庭園への立ち入り許可を申請します」

「承知しました」

「王宮警備担当にも連絡してください」

「はい!」


 研究員たちが動き出した。


     *


 一方、ルメは。


「……おお!」


 眼下に、美しい庭園が広がっていた。


 整えられた花壇。


 白い石像。


 大きな木々。


 そして、中央には噴水があった。


「……あれ?」


 ルメは高度を下げた。


 ふわり。


「……噴水?」


 水がきらきらと光っている。


「……さっきのところかな」


 周囲を見渡す。


 似ている。


 けれど、少し違う。


 噴水の形も、花壇の配置も違っていた。


「……あれえ?」


 ルメは噴水を一周した。


「……違うのかな」


 庭園の奥には、大きな木があった。


 その下には、白いベンチが置かれている。


「……ロアンさん、いるかな」


 ルメは木陰へ向かった。


 すーっ。


 ベンチの近くで高度を下げる。


 そのとき。


「……どなたですか?」


 声が聞こえた。


 ルメは花を動かした。


 木の向こうに、一人の少年が立っていた。


 年齢は九歳くらいだろうか。


 上質な布で仕立てられた服を着て、背筋を伸ばしている。


 少年は宙に浮く鉢を見つめた。


「……浮遊魔法ですか?」

「……うん」

「術者の姿が見えませんが、遠隔操作でしょうか」

「……魔力は研究員が送ってくれてるよ」

「では、移動の操作も?」

「……それは私がやってる」

「……私?」


 少年の視線が鉢の周囲を探した。


「どちらにいらっしゃるのですか?」

「……ここだよ」


 ルメは葉っぱを一枚動かした。


 ピコッ。


 少年の目が大きくなった。


「……今、植物が話しましたか?」

「……うん」

「……あなたが?」

「……そうだよ」


 少年はしばらく六輪の花を見つめた。


「失礼ですが、魔法生物の一種でしょうか」

「……違うよ」

「では、魔法で意思を与えられた植物ですか?」

「……それも違うかな」

「……そうですか」


 少年は少し考えた。


「では、どのような方なのでしょうか」

「……行政改革局長です」

「……行政改革局長?」


 少年の表情が変わった。


「魔王を退けられた、あの勇者様ですか?」

「……うん」


 少年は姿勢を正した。


「失礼いたしました。勇者様とは存じ上げず」

「……気にしなくていいよ」

「以前から、一度お会いしたいと思っておりました」

「……そうなの?」

「はい。先生から、勇者様が国を救ってくださったと習いました」


 少年は丁寧に頭を下げた。


「お名前を伺ってもよろしいでしょうか」

「……ルメです」

「ルメ様ですね」


 少年は顔を上げた。


 そして、六輪の白い花を見つめた。


「……ルメ様」

「……うん?」

「そのお姿は、何かの実験なのでしょうか?」

「……うん。飛行実験をしていたんだ」

「飛行実験……」


 少年は宙に浮く鉢を見上げた。


「なるほど。植物の身体で飛ぶ実験なのですね」

「……そうだね」


 少年は少し考えた。


「……もう一つ、伺ってもよろしいでしょうか」

「……うん」

「なぜ、植物の身体を選ばれたのですか?」

「……予算の都合かな」

「……予算、ですか?」

「……うん。人間の身体を作るには、いろいろ必要だから」

「……人間の身体を、作る?」


 少年は首をかしげた。


「……ルメ様は、もともと人間のお姿ではなかったのですか?」

「……うん。脳だけだったんだ」

「……脳?」


 少年は一瞬、言葉を失った。


「……脳みそだけ、ということですか?」

「……うん」

「……身体は?」

「……なかったよ」

「……それで、生きていられるのですか?」

「……うん。保存液の中にいたから」

「……保存液?」


 少年は口を閉じた。


 予算の話をしていたはずだった。


 けれど、いつの間にか、想像もしていなかった話になっている。


 何を尋ねればよいのか、少年には分からなかった。


「……僕が習った勇者様のお話とは、少し違います」

「……そうなの?」

「はい。魔王を退けられ、今も王宮で国のために働いてくださっていると」

「……うん。間違ってないよ」

「ですが、脳だけのお姿だったとは聞いておりません」


 少年は視線を落とした。


「……以前、お会いしたいとお願いしたことがあります」

「……そうなんだ」

「ですが、今はお相手できないと言われました」

「……うん」


 少年は考え込んだ。


 脳だけだったから、会えなかったのだろうか。


 けれど、それなら、なぜそう教えてくれなかったのだろう。


 少しの沈黙が流れた。


「……ルメ様」

「……うん?」

「その頃は、どのようにお過ごしだったのですか?」

「……普通に仕事をしていたよ」

「……普通に?」

「……うん」

「局長室で、ですか?」

「……そうだよ」

「外へ出ることは?」

「……ほとんどなかったね」

「……退屈ではありませんでしたか?」

「……仕事はたくさんあったから」

「……そうですか」


 少年は少し考えた。


「……外に出たいと思うことはありませんでしたか?」

「……どうして?」

「……え?」


 少年は戸惑った。


「庭園を散歩したり、景色を眺めたり……」

「……ああ」

「そうしたいと思うことは?」

「……考えたことなかったなあ」

「……考えたことが?」

「……うん。目もなかったし」

「……目も?」

「……うん」

「……何も見えなかったのですか?」

「……そうだよ」

「……不便ではありませんでしたか?」

「……不便?」

「はい」

「……何を見る必要があったの?」

「…………」


 少年は答えに詰まった。


 庭園の花。


 空の色。


 窓から見える景色。


 見たいものはいくらでもある。


 けれど、目の前の勇者は、何を見る必要があったのかと尋ねている。


「……何も、見たいと思わなかったのですか?」

「……見たいって、どういうこと?」


 少年は口を開きかけた。


 けれど、すぐに閉じた。


「……今は、見えるんですよね?」

「……うん」

「……いかがですか?」

「……面白いよ」


 ルメは葉っぱを一枚動かした。


 ピコッ。


「……見えると、いろんなものがあるんだね」


「…………」


 少年は何か言いかけた。


 けれど、言葉が出てこなかった。


 目の前の勇者は、六輪の花を楽しそうに動かしている。


 少年はただ、その姿を見つめていた。


 やがて、静かに頭を下げた。


「……お話しくださって、ありがとうございます」

「……うん?」


 ルメは葉っぱを一枚動かした。


 ピコッ。


 少年はそれを見て、少しだけ笑った。


「申し遅れました。僕はリオンと申します」

「……リオン?」

「はい。よろしくお願いいたします、ルメ様」

「……よろしく、リオン」


 ルメは葉っぱを伸ばした。


 リオンは少し驚いた様子で、その葉にそっと指先を触れた。


 ピコッ。


 しばらくして、ルメは思い出した。


「……あの、リオン」

「はい」

「……ここって、どこかな」

「北庭園です」

「……北庭園?」

「はい」

「……王宮庭園じゃないの?」

「王宮庭園の一つです」

「……一つ?」


 リオンは少し首をかしげた。


「王宮には、複数の庭園があります。こちらは王宮本殿の北側にある庭園です」

「……そうなんだ」

「東庭園、西庭園、南庭園もあります」

「……そんなに?」

「はい。それぞれ、利用できる者も異なります」

「……へえ」


 ルメは六輪の花を動かした。


「……じゃあ、ロアンさんのいる庭園は?」

「ロアンさん?」

「……庭師さんなんだけど」

「どちらの庭園を担当している者ですか?」

「……そこまでは知らないんだ」

「……ご存じないのですか?」

「……うん」


 リオンは少し考えた。


「では、どちらから飛んでこられたのでしょうか」

「……庭園」

「……どちらの?」

「……王宮庭園」


「…………」


 リオンは六輪の花を見つめた。


「……ルメ様」

「……うん?」

「もしかして、道に迷われたのですか?」


 ルメは周囲を見渡した。


 右。


 左。


 上。


 下。


 どこを見ても、見覚えのない景色だった。


「……うん」


 葉っぱが一枚、ゆっくり下がった。


「……そうみたい」


 リオンは少し考えた。


「でしたら、僕がご案内いたします」

「……いいの?」

「はい。王宮の庭園でしたら、場所は把握しております」

「……おお」


 ルメの葉っぱが、ぴこっと持ち上がった。


 そのとき。


「リオン殿下!」


 回廊から声がした。


 リオンが振り返った。


「……見つかってしまいました」


 従者が足早に近づいてきた。


「お探ししました。次の授業が始まっております」

「もう少し待ってくれないかな」

「なりません。お戻りください」

「でも、勇者様が道に迷っているんだ」

「……勇者様?」


 従者はリオンの視線を追った。


 宙に浮かぶ鉢。


 その瞬間、従者はリオンを自分の背後へ引き寄せた。


「殿下、お下がりください!」


 北庭園には、許可のない人間や動物の侵入を防ぐ結界が張られている。


 正体不明のものが、王子のすぐそばにいる。


 従者は鉢から目を離さず、リオンを背後にかばった。


「何者だ。どうやってここへ侵入した!」

「待ってくれ。危険な方ではないんだ」

「……殿下。それを証明する手段がおありですか?」

「……それは」


 リオンは言葉に詰まった。


「北庭園は王族専用の区域です。身元の確認できない相手に、殿下自ら近づいてはなりません」

「……うん。すまない」


 リオンは少し視線を落とした。


 従者の言うことは正しい。


 相手が勇者様だと名乗ったからといって、それだけで信用してよいわけではない。


 六輪の白い花が、ぴこっと動いた。


「……こんにちは」


 従者の警戒がさらに強まった。


「……植物が、しゃべった?」


「行政改革局長のルメ様なんだ」

「……行政改革局長、でございますか?」


 従者の顔色が変わった。





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