第30話 同じ土ではありませんでした
王宮庭園での運動機能試験は、まだ続いていた。
ルメは作業台の上で、6輪の花を日差しに向けていた。
「……気持ちいいなあ」
すーっ。
茎がゆっくり動く。
「局長、根は動かしていませんね」
「……うん」
「鉢から出ないでください」
「……分かってるよ」
クルトが記録板に書き込んだ。
そのとき、庭園の小道から声がした。
「おう、持ってきたぞ!」
ロアンが戻ってきた。
両手には、土の入った容器を一つずつ持っている。
「……ロアンさん!」
「ほら。お前が気に入ってた土だ」
ロアンが片方の容器を作業台に置いた。
黒っぽく、柔らかそうな土だった。
「……おお!」
ルメは6輪の花を下へ向けた。
久留米ケイトウだった頃、庭園で根を伸ばした土。
あの感触を、もう一度味わえる。
「……これこれ!」
ロアンはもう一つの容器も作業台に置いた。
「……そっちは?」
「あとで使う」
「……はい」
ロアンが鉢を手元に寄せた。
「じゃあ、一度出すぞ」
「……え?」
「土に入りたいんだろ?」
「……はい!」
「ただし、自分で根っこを動かすなよ」
「……はい」
ロアンは鉢の縁を軽く叩いた。
鉢を傾け、土ごとゆっくり引き出す。
根の周りには、元の土がまとまって付いていた。
「……おお」
「根鉢は崩さねえ。根っこを傷めたら元も子もねえからな」
「……はい」
ロアンは用意した土を別の鉢に入れた。
中央に、根鉢が収まるだけの穴を作る。
ルメをそっと据えた。
周囲に土を足し、隙間を埋めていく。
最後に、鉢を軽く揺すって土を落ち着かせた。
「ほら、どうだ」
ルメは根元に意識を向けた。
「……おお!」
懐かしい土だ。
あの庭園の土。
以前、根を伸ばしていた場所と同じものだった。
けれど。
「……あれ?」
ルメはもう一度、根元の感覚を確かめた。
「……ん?」
何かが違う。
「……ロアンさん」
「なんだ?」
「……前と、ちょっと違う気がします」
「そりゃそうだろ」
「……え?」
「お前、今はクリスマスローズだぞ」
「……はい」
「前はケイトウだったろ」
「……はい」
「身体が違うんだから、同じ土でも合うとは限らねえんだ」
「……土は同じなのに?」
「そうだ」
ルメは考えた。
確かに、土は懐かしい。
けれど、久留米ケイトウだった頃のような、しっくりくる感覚がない。
「……なんででしょう」
「ケイトウとクリスマスローズじゃ、育ち方が違うからな」
ロアンは二つ目の容器を引き寄せた。
「こっちは、今のお前に合わせた土だ」
「……クリスマスローズ用?」
「そうだ」
「……おお!」
ロアンは二つの土を指した。
「ケイトウは一年草だ。暖かい時期にぐんぐん育って、花を咲かせる」
「……はい」
「クリスマスローズは多年草だ。何年も根を生かして、季節を越す」
「……何年も」
「そうだ。だから土の管理も違う」
ロアンはクリスマスローズ用の土を手に取った。
「こっちは水はけと通気性を考えてある。根が長く生きられるようにな」
「……根が長く」
「水が溜まりっぱなしじゃ根が傷む。かといって乾きすぎても困る」
「……難しいですね」
「肥料のやり方も違うし、土の酸度も考えなきゃならねえ」
「……同じ植物なのに?」
「植物だからって、全部同じに育てられるわけじゃねえんだよ」
ルメは二つの容器を見比べた。
「……じゃあ、こっちの土の方がいいんですか?」
「今のお前にはな」
「……なるほど」
ロアンが再び鉢を手に取った。
「じゃあ、こっちに替えるぞ」
「……はい!」
ロアンはルメを根鉢ごと慎重に取り出した。
今度も、根の周りの土は崩さない。
クリスマスローズ用の土を鉢に入れ、深さを調整する。
ルメを据え直し、周囲に土を足した。
「ほら。これでどうだ」
ルメは根元に意識を向けた。
「……あ」
先ほどとは違う。
根の周りを支える土の感触。
隙間の具合。
水分の伝わり方。
まだ元の土が根に付いているけれど、周囲の環境が変わったことは分かる。
「……おお!」
ルメは6輪の花を動かした。
ピコピコピコピコピコピコッ。
「……こっちの方がいい!」
ロアンが笑った。
「そりゃよかったな」
「……すごいですね、ロアンさん」
「土を合わせただけだ」
「……でも、こんなに違うんですね」
「そりゃそうだろ。根っこが飯食ってんだから」
ルメは少し考えた。
「……根っこって、足じゃないんですね」
「まだ言ってんのか!」
「……はい」
モリスが口元を押さえた。
ロアンはため息をついた。
「いいか。根っこは水も養分も吸う。身体を支える役目もある」
「……はい」
「歩くためだけに使うもんじゃねえ」
「……はい」
「だから、勝手に抜くなよ」
「……分かりました」
ロアンは鉢の状態を確認した。
「根鉢は崩してねえが、植え替えたばかりだ。しばらく無茶な動きはさせるなよ」
クルトが記録板を開いた。
「承知しました。運動機能試験の内容を調整します」
「そうしろ」
ロアンは鉢の周囲を片付け始めた。
ルメは、最初に持ってきてもらった土を見た。
「……ロアンさん」
「なんだ?」
「……前の土も、持ってきてくれたんですね」
「お前が気に入ってたんだろ」
「……はい」
「だったら、一度試してみりゃいいと思ったんだ」
「……そっか」
ロアンは残った土の容器を持ち上げた。
「身体が変わりゃ、合う土も変わる。それだけのことだ」
「……はい」
ルメは6輪の花をゆっくり空へ向けた。
青空が広がっている。
暖かな日差しが降り注ぐ。
以前の身体で気に入った土。
今の身体に合った土。
どちらも、ロアンが用意してくれた。
「……ありがとう、ロアンさん」
「礼はいい。ちゃんと育てよ」
「……はい!」
クルトが記録板に書き込んだ。
「植物型身体の土壌環境変更による感覚差を確認」
ルメが顔を向けた。
「……ねえ、クルト」
「はい」
「……これ、職場環境の改善だよね」
「土壌環境のことですか?」
「……うん。身体に合わない環境じゃ、仕事にならないよ」
「確かに、植物型身体の維持には適切な土壌環境が必要です」
「……でしょ?」
クルトは記録板に一行書き加えた。
「勤務環境改善項目として記録します」
「……おお!」
ロアンが顔を上げた。
「おい、クルト」
「はい」
「こいつの土の管理、誰がやってんだ?」
「研究室です」
「だったら、ちゃんと植物に合わせろよ」
「承知しました」
「分かんねえことがあったら聞きに来い」
「ありがとうございます」
クルトはさらに記録板に書き込んだ。
「植物型身体の土壌管理について、庭園管理部門との連携を開始」
ロアンの手が止まった。
「……おい」
「はい」
「なんで俺の仕事が増える話になってんだ?」
「専門的な知識が必要ですので」
「そりゃそうだが」
「今後もご協力をお願いします」
ロアンはルメを見た。
6輪の白い花が、こちらを向いている。
「……よろしくお願いします、ロアンさん」
ロアンはしばらく黙っていた。
「……ったく」
残った土の容器を持ち上げる。
「根っこだけは大事にしろよ」
「……はい!」
ロアンが庭園の小道を歩いていく。
ルメはその背中を見送った。
「……いい人だなあ」
クルトが答えた。
「はい。植物管理の専門家です」
「……そういう意味じゃないんだけど」
モリスが小さく笑った。




