第29話 歩くために食べられなくなるところでした
「局長、次は運動機能の試験を行います」
「……運動?」
「はい。植物型身体の移動能力を確認します」
「……歩くの?」
「今回は浮遊を試します」
「……浮く?」
「はい」
クルトが鉢を指した。
「この鉢の底には、浮遊魔法の刻印が施されています」
「……鉢に?」
「はい。魔力を供給すると、鉢ごと浮遊する仕組みです」
「……じゃあ、根っこを出さなくていいんだ」
「そのとおりです」
ルメは少し考えた。
「……前は根っこで歩いたよね」
「はい。久留米ケイトウのときです」
「……結構歩けたんだけど」
「根を傷めました」
「……うん」
「その結果、庭師のロアンから厳重に注意を受けています」
「……ロアンさん、怒ってたね」
「はい」
「……今回は大丈夫?」
「鉢から出なければ問題ありません」
ルメは鉢の底を見ようとした。
6輪の花を下へ向ける。
「……刻印、見えないね」
「鉢の底面ですから」
「……そっか」
クルトが記録板を開いた。
「まずは研究室内で浮遊試験を行う予定でしたが、屋外の方が安全に試験区域を確保できます」
「……外?」
「はい。王宮庭園へ移動します」
「……おお!」
モリスが研究室の奥から台車を運んできた。
ガラガラガラ。
台車には、水の入った容器や測定器具が積まれている。
「……引っ越し?」
「試験器具です」
「……全部?」
「必要なものです」
さらに別の研究員が台車を押してきた。
ガラガラガラ。
「……結構あるね」
「屋外試験ですので」
「……これ、全部使うの?」
「必要に応じて使用します」
「……使わないものもあるんだ」
「予備の器具も含まれています」
「……そっか」
モリスがルメの鉢を持ち上げた。
「局長、運びますね」
「……よろしく」
研究室の扉が開いた。
ガラガラガラ。
ガラガラガラ。
廊下に車輪の音が響く。
ルメはそれ以上聞かなかった。
研究室の人員配置については、すでに監査の予約を入れている。
今は試験中だ。
ガラガラガラ。
王宮庭園へ続く扉が開いた。
明るい日差しが差し込んだ。
「……おお!」
モリスが鉢を庭園の作業台に置いた。
ルメは花を動かした。
すいっ。
「……あれ?」
先ほどより、さらに軽い。
ルメは茎ごと動かしてみた。
すーっ。
6輪の花が、滑らかに向きを変えた。
「……おお!」
もう一度。
すーっ。
今度は反対側へ。
「……クルト」
「はい」
「……茎ごと動かせるよ」
「自然光の影響が考えられます」
「……研究室では、こんなに動かなかったのに」
ルメは6輪の花をそれぞれ動かした。
青空。
花壇。
庭園の小道。
遠くの木々。
「……すごい。こんなに自由に動くんだ」
風が吹いた。
葉が揺れる。
「……やっぱり、庭園はいいなあ」
モリスが記録板に書き込んだ。
「屋外では花の運動反応が向上していますね」
「……うん。すごく楽」
クルトが鉢の前に立った。
「では、浮遊試験を開始します」
「……うん」
「まず、鉢を数センチ浮かせます」
「……どうやるの?」
「刻印に魔力を供給します。局長は姿勢の変化を報告してください」
「……分かった」
モリスが鉢の底にある刻印へ魔力を流した。
ふわっ。
鉢が作業台から離れた。
「……おお!」
鉢の底と作業台の間に、わずかな隙間ができた。
「浮遊を確認」
「……浮いてる!」
「はい」
モリスが少しずつ高度を上げる。
ふわふわ。
鉢がゆっくり上昇した。
「……おおお」
6輪の視界が一緒に上がっていく。
作業台が下へ遠ざかった。
「局長、視界に異常はありませんか?」
「……ないよ。でも、全部一緒に上がってる」
「鉢ごと浮遊していますから」
「……うん。面白いね」
モリスが魔力の供給を調整した。
鉢が少し右へ傾いた。
「……あ」
今度は左へ。
「……おっと」
「局長、姿勢の変化を報告してください」
「……右に傾いて、左に傾いた」
「はい」
「……ちょっと揺れるね」
「浮遊状態の安定性を確認しています」
モリスが魔力を調整した。
鉢の揺れが収まった。
「……止まった」
「姿勢が安定しました」
クルトが記録板に書き込んだ。
「浮遊状態での視覚認識に問題なし」
「……私、何もしてないけど」
「今回は鉢の浮遊試験です」
「……モリスが動かしてるんだよね」
「はい」
「……じゃあ、私の運動機能は?」
「次の段階で確認します」
「……そっか」
鉢がゆっくり作業台に戻された。
ことん。
「……着陸」
モリスが小さく笑った。
「はい。着陸しました」
ルメは庭園を見渡した。
花壇には、柔らかそうな土が広がっている。
久留米ケイトウだった頃、あの土に植えられた。
根を傷めたあとだった。
最初は動けなくなったことが不満だったけれど、土の感触はとてもよかった。
「……ねえ、クルト」
「はい」
「……ロアンさん、いるかな」
「庭園管理部門に確認します」
「……久しぶりに会いたいな」
ルメは花壇へ花を向けた。
「……あそこの土、よかったんだよね」
少し湿っていて、柔らかくて。
根を伸ばすと、気持ちよく身体を支えてくれた。
今の鉢の土も悪くない。
でも、あの土は特別だった。
「……ちょっとだけ」
ルメは根元に意識を向けた。
うんしょ。
鉢の土が少し盛り上がる。
うんしょ、うんしょ。
根元が持ち上がり始めた。
「……もうちょっと」
「おう、クルト。今日はずいぶん大荷物だな」
庭園の小道から声がした。
ロアンが園芸道具を片手に歩いてくる。
「屋外での運動機能試験です」
「今度は何を動かすんだ?」
「クリスマスローズです」
ロアンが作業台に目を向けた。
「ほう。ずいぶん小せえな」
「……ロアンさん!」
「ん?」
ロアンが足を止めた。
「……お久しぶりです!」
「……おい、まさか」
ロアンが鉢に近づいた。
「……ルメか?」
「……はい!」
「お前、今度はクリスマスローズになったのか」
「……そうなんです」
ロアンは6輪の白い花を眺めた。
「……前はケイトウだったのになあ」
「……今度は花が6つあるんですよ」
ピコピコピコピコピコピコッ。
6輪の花が一斉に動いた。
「こりゃまた、ずいぶん賑やかになったなあ」
ロアンが笑いながら鉢をのぞき込んだ。
そして、笑顔が止まった。
「……おい」
「……はい?」
「お前、何やってんだ?」
「……え?」
ロアンが鉢の土を指した。
「根っこ、浮いてんじゃねえか!」
「……あ」
「また抜け出そうとしてんのか!」
「……ちょっと、あそこの土に入りたくて」
ロアンが花壇を見た。
「あそこの土?」
「……はい。前に植えてもらったとき、すごくよかったから」
ロアンは一瞬黙った。
それから、鉢に向き直った。
「だったら最初から言え!」
「……え?」
「土が気に入ったんなら、こっちで用意してやる!」
「……本当ですか?」
「ただし、勝手に根っこ抜くんじゃねえぞ!」
「……はい!」
ロアンは鉢を手元に寄せ、根元を確認した。
「ったく。お前、根っこを何だと思ってんだ!」
「……私の足?」
「足だけじゃねえだろ!」
「……え?」
「根っこは水も養分も吸うんだぞ! 傷めたら飯も水も取れなくなるだろうが!」
「……あ」
「歩くために飯食えなくなってどうすんだ!」
「…………」
「分かったか!」
「……はい」
モリスが口元を押さえている。
クルトは記録板に書き込んだ。
「局長の自発的な脱鉢行動を確認」
「……それ、記録するの?」
「はい」
「……怒られたことも?」
「はい」
ロアンが振り返った。
「おい、クルト!」
「はい」
「お前もちゃんと見てろ!」
「承知しました」
「研究する前に、根っこの大事さを教えとけ!」
クルトの筆記具が止まった。
「……承知しました」
ロアンは鉢を作業台に戻した。
土を軽く整える。
「あとで、あそこの土を少し持ってきてやる」
「……ありがとう、ロアンさん」
「礼はいいから、じっとしてろ」
「……はい!」
ルメは6輪の花をゆっくり空へ向けた。
暖かな日差しが降り注いでいる。
「……やっぱり、庭園はいいなあ」
「根っこは動かすなよ!」
「……はい」




