第2話 身体は支給されました
行政改革局長に就任して、一年が過ぎた。
魔王軍との和平成立後、王国の行政制度は大幅に見直されていた。
戦時中に膨れ上がった軍事費は削減され、各部署の業務は整理され、労働環境の改善も進んでいた。
その結果、これまで莫大な戦費に埋もれていた支出が、少しずつ目立つようになっていた。
その一つが、行政改革局長の生命維持費だった。
ただし、局長本人の労働環境は、相変わらず改善されていなかった。
「局長、本日は魔術研究所へお越しいただきます」
『何かあった?』
「お身体が完成しました」
『…………』
「局長?」
『身体?』
「はい」
『私の?』
「はい」
『……本当に?』
「試作型ですが」
脳みそは、しばらく沈黙した。
『行く』
「では、移動いたします」
『早く』
研究員は台車を押し始めた。
いつもより少し速かった。
王宮の敷地内にある魔術研究所。
研究室の中央には、大きな布をかけられた何かが置かれていた。
「こちらが、新たに開発した局長専用の身体です」
『どんな身体?』
「植物型の身体です」
研究員が布を取り払った。
そこには、赤い植物が立っていた。
高さ、およそ六十センチ。
太い緑色の茎。
細長い葉。
そして頭部にあたる部分には、赤く波打つ巨大な花。
久留米ケイトウ特有の、幾重にもひだが重なった花冠だった。
その形は、どことなく脳みそを思わせた。
足元には、二本に分かれた根が伸びている。
『…………』
「いかがでしょう」
『植物?』
「はい」
『……なぜ?』
「最終的には、生命維持費を大幅に削減できる見込みです」
『私の?』
「はい。現在の局長の生命維持には、相当量の魔力を消費しております」
『……それは把握している』
「戦時予算の削減が進み、生命維持費の割合が大きくなってまいりました」
『……そうだな』
「そこで、自力で水分と養分を吸収し、光合成によって生命活動を維持できる身体を開発いたしました」
『……合理的だな』
「ありがとうございます」
『でも、なぜ植物?』
「維持費が安いためです」
『……そうか』
研究員は資料をめくった。
「なお、開発予算は行政改革局の方針に従い、削減しております」
『……私が決めたやつか』
「はい」
『…………』
研究員は説明を続けた。
「全高六十センチ。重量は約六キログラム。頭部に重量が集中しておりますので、重心は高めです」
『……頭が重いのか』
「はい」
『……なぜ?』
「局長の現在のお姿を参考にいたしました」
『…………』
研究員は赤い花を指した。
「なお、視認性を考慮して赤色を採用しております」
『……赤いんだ』
「はい。小型ですので、踏まれないように」
『……そうか』
「こちらの身体には、発声機能もございます」
『口がないけど』
「思考を音声に変換する術式を、茎に組み込みました」
『……それは便利だな』
「また、短距離であれば自律歩行も可能です」
『歩けるの?』
「はい。ただし、本来は生命の危機に際して使用する機能です」
『……どういうこと?』
「この世界には、生存が困難になった際、根を引き抜いて移動する植物も存在します。ただし、根が深く張った個体ほど移動は困難です」
『植物が歩くのか』
「はい。ただし、移動先で再び根付ける保証もありませんので、通常は推奨されません」
『……元の世界では歩かなかった』
「それは不便ですね」
『……そうか?』
研究員は説明を続けた。
「また、移動中は根から水分や養分を吸収できません。体内の水分とエネルギーを消費するため、長時間の歩行は危険です」
『つまり、歩けるけど歩かない方がいい?』
「通常は、そのとおりです」
『…………』
「局長?」
『とりあえず、歩いてみたい』
「承知いたしました」
意識転移の術式が起動した。
透明な容器の中で、脳みその意識が薄れていく。
次の瞬間。
「……あ」
声が出た。
水晶板に文字を浮かべなくても、声が出る。
「……聞こえる?」
「はい、局長」
「……私の声?」
「はい」
「……おお」
赤い花が、わずかに揺れた。
「では、歩行試験を開始いたします」
局長は足元を見ようとした。
見えた。
目はない。
しかし、周囲の様子が分かった。
「……見える」
「視覚に相当する感覚も実装しております」
「……すごいな」
局長は右の根を持ち上げた。
一歩。
左の根を持ち上げた。
もう一歩。
「……歩ける」
「はい」
「……本当に歩ける」
「はい。成功です」
局長は研究室の端まで歩いた。
身体の向きを変えた。
また歩いた。
少し速く歩いた。
「……おお」
「局長、あまり無理は」
「走れる?」
「可能ですが、推奨は」
局長は走った。
「……おおお!」
研究員が追いかけた。
「局長! お待ちください!」
「走れる!」
「水分消費が!」
「自分で動ける!」
「局長!」
研究室を一周したところで。
「……あ」
局長の身体が前に傾いた。
止まろうとした根が床を滑る。
大きな赤い花が、さらに前へ倒れ込んだ。
「……止まれない」
研究員が受け止めた。
「局長、急停止は危険です」
「……頭が重い」
「はい。重心が高いためです」
「……設計したのは誰だ」
「私です」
「…………」
研究員が局長を床に戻した。
「歩行試験はここまでにいたしましょう」
「……もう少し」
「水分の消費が激しくなっております」
「……大丈夫だろ」
局長は一歩踏み出した。
「……痛っ」
根が止まった。
「……何だ、これ」
「局長?」
「……足が、痛い?」
研究員が根を確認した。
「乾燥しております」
「……もう?」
「歩行によって水分を消費しましたので」
「……痛いんだけど」
「危険通知機能です」
「警報じゃ駄目だったのか?」
「次回の改良時に検討いたします」
「……頼む」
「予算が確保できれば」
「…………」
研究員は局長を両腕で抱え上げた。
「緊急給水を行います」
「……え?」
研究員は実験室の水槽へ向かった。
そして、局長の根を水に浸した。
「うわっ!」
「失礼いたします」
「先に言ってくれ!」
「緊急時でしたので」
しばらくして。
「……ああ」
「いかがですか?」
「……楽になった」
「水分吸収は正常です」
「……これなら、水につかってればいいんじゃないか?」
「長時間は推奨いたしません」
「なぜ?」
「根が酸素不足になります」
「……脳みそのときは平気だったぞ」
「あちらは生命維持装置ですので」
「……そうだったな」
研究員は局長を水槽から引き上げた。
「続いて、土壌への定着試験を行います」
「……土?」
「はい。植物ですので」
「……そうか」
研究所の裏手には、実験用の花壇があった。
研究員は局長を運び、根を土に差し込んだ。
「……おお」
「いかがでしょう」
「……落ち着く」
「根からの水分吸収が始まっています」
「……なるほど」
局長はしばらく黙っていた。
そして。
「……何か足りない」
「足りない?」
「……水はある。でも、何か薄い」
研究員が花壇の表示板を確認した。
「あ」
「……何?」
「こちらは無施肥実験区画でした」
「……無施肥?」
「肥料を与えない条件で、植物の生育を比較する区画です」
「……なんでここに入れた?」
「最も近い花壇でしたので」
「……そうか」
研究員は局長を引き抜いた。
「移動いたします」
「……どこへ?」
「庭師が管理している花壇です」
王宮の庭園。
よく手入れされた花壇には、柔らかい土が広がっていた。
研究員は局長の根をそっと埋めた。
「…………」
「局長?」
「…………」
「いかがでしょう」
「……うまい」
「はい?」
「……この土、うまい」
研究員は記録用紙を取り出した。
「局長は土壌の味覚評価が可能、と」
「……いや、味っていうか」
「具体的には?」
「……水がある。養分もある。空気もある」
「はい」
「……全部ちょうどいい」
「それは何よりです」
局長は葉を広げた。
日差しが降り注いでいる。
「……あったかい」
「光合成も正常に開始しております」
「……何もしなくていいのか?」
「はい。光を受けていれば光合成が進みます」
「……そうか」
しばらく、沈黙が続いた。
「局長、そろそろ研究室へ戻りましょう」
「…………」
「局長?」
「……もう少し」
「ですが、試験時間が」
「……あと五分」
「局長」
「……この土、気に入った」
研究員は記録用紙に書き込んだ。
『土壌への定着意欲、極めて高い』
やがて、初回試験の二時間が終了した。
局長の意識は、再び透明な容器の中へ戻された。
魔術装置を通じて研究員の言葉が脳みそに直接伝わり、脳みその思考は水晶板に文字として表示される。
『……次はいつ使える?』
「安全性を確認した後、次回は六時間の連続使用試験を予定しております」
『……六時間』
「はい。問題がなければ、段階的に使用時間を延長いたします」
『……そうか』
しばらくして、再び文字が浮かんだ。
『あの花壇は?』
「王宮の庭園にございます」
『……また入れる?』
「試験中であれば可能です」
『……試験以外では?』
「王宮庭園の継続使用には、管理部門への申請が必要です」
『……今回の許可は?』
「研究所の試験使用許可で対応しております」
『……なるほど』
「局長?」
『その申請書、持ってきて』
「かしこまりました」
研究員が書類を取りに向かった。
透明な容器の中で、脳みそは考えた。
身体が欲しかった。
歩きたかった。
自由になりたかった。
ようやく、その願いが叶った。
そして今。
一番欲しいものは。
『……あの土』
水晶板に、小さく文字が浮かんだ。




