第六話 何の踊りだ
朝めしの席で、おれは宣言した。
「両方やる! 昼まで炭切って、夕方お城に走る! 完璧!」
「お、言うねえ」と次兄ちゃん。「言っとくが、賭けは生きてるからな。三日で泣くってやつ」
「泣かないってば!」
「今日が二日目だ」
「数えてるし!」
母ちゃんが、おれの椀に汁をよそった。
「お城が先じゃなくていいのかい」
「だって炭、途中なんだもん」
父ちゃんは、何も言わなかった。何も言わないけど、汁をすする音が、ちょっとだけ「ほう」って言ってた気がした。
よし。まずは炭だ。約束もやぶらない。刀もやめない。両方やればいいんだよ、両方。
おれって天才かも。
天才じゃなかった。
仕事場に立って、鉈を持ち上げようとして、気づいた。
腕が、上がらない。
「いたたたた!? なにこれ!?」
肩が痛い。腕も痛い。なんなら、わき腹まで痛い。
きのうの炭のやつだ。体じゅうが「もう炭はいやだ」って言ってる。
でも、おれは知ってる。こういうときは、あれだ。
屈伸。伸脚。アキレス腱。肩をぐるぐる。
運動教室で、いっつもやってたやつ。やらないとコーチに怒られたやつ。体が勝手に動くんだよ、これ。
「ん、しょ。いち、に。いち、に……」
「……何の踊りだ」
声が、後ろからした。
振り向いた。
信長様がいた。
その後ろに、信勝様がいた。そのまた後ろに、長秀さんもいた。
うちの庭に。
「えええええええ!?」
おれの悲鳴と、戸口から飛び出した母ちゃんの悲鳴と、桶を落とした長兄ちゃんの音が重なった。
そこからの我が家は、たぶん清洲でいちばんうるさかった。
母ちゃんは三回おじぎして家に引っこんで、また出てきて、もう一回おじぎした。長兄ちゃんは正座したまま固まってる。次兄ちゃんだけ、なんかちょっと楽しそうだった。
仕事場から飛んできた父ちゃんは、地面に膝をついて頭を下げて、そのまま顔だけおれに向けて、ものすごく小さい声で言った。
「……様を、付けろ」
「いつも付けてるよ!」
「絶対だぞ」
「小声で言うことそれ!?」
信長様は、騒ぐ我が家をぜんぶ無視して、おれの前に立った。
「ねえ、なんでうちに!? お城は!?」
「来ないからだ」
「えっ」
信長様は、ふいと横を向いた。
「……俺は来てやったのではない。通りかかったのだ」
「うちって通り道なの!?」
信勝様が、にこにこしながら横から言った。
「ほたる、聞いてよ。兄上ね、朝から三回も『まだ来ん』って」
「言っておらん」
「言ってました。耳が赤いもの」
「言っておらん」
信勝様は、仕事場をきょろきょろ見回して、目をきらっきらさせた。
「ねえほたる、ここ、見ていい? 見るね」
「聞いてから入るまで早っ!」
信勝様は、隅っこで立ち止まった。
「これが、ふいごか! 涼んだやつ!」
「なんで知ってるの!?」
「兄上から聞いた」
「言いふらしてるじゃん!!」
信長様は、知らん顔をしていた。
あ、そうだ。先に言わなきゃいけないことがあった。
「あのね、信勝様。きのう、お城……行くって言ったのに、行けなくて。ごめん」
ちゃんと言おうって決めてたんだ。親友との、初めての約束だったから。
信勝様は、きょとんとして、それから笑った。
「いいよ。見たかったんだ、ほたるの家」
そう言って、火床の前にしゃがんだ。
黒い炭と、灰。それをじーっと見て、当たり前みたいに言った。
「ここで、ほたるは刀を打つんだね」
……あれ。
父ちゃんも兄ちゃんも「十年早い」って言うのに。
この人、ふつうに言った。打つんだね、って。
なんか、むねの奥が、くすぐったい。
「……うん!」
それだけ言った。それだけで十分だった。
「おい」と信長様。「それより、さっきの踊りはなんだ」
「踊りじゃない! 体あっためてたの!」
「あっためる?」
「これやると怪我しないんだよ。コーチが言ってた」
「こーち?」
「夢の、運動の先生」
「また夢か」
信長様は、うさんくさいものを見る目でおれを見た。見たまま、ちょっと黙った。
「……やってみせよ」
「いいよ! ほら、屈伸。いち、に。次、足の後ろのすじのばすの。で、肩ぐるぐる〜」
信長様は、半分疑った顔のまま、おれの真似をした。
屈伸。すじのばし。肩ぐるぐる。
日本一えらくなる人が、うちの庭で肩をぐるぐるしてる。何この絵。
ひととおりやると、信長様は腰の刀を、すらっと抜いた。
素振り。
ぶん。
「…………」
信長様は、自分の手を見た。
「……軽いな」
もう一回、振った。ぶん。
「ね!? なんか調子いいでしょ!?」
「黙れ。数がずれる」
「振り続けるんだ!?」
信勝様が、あごに手を当てて言った。
「つまり……弓の弦を、射る前に張り直すようなもの?」
「お前はなぜいちいち言い直すんだ」
「だって、そのほうが分かるもの」
そのとき、ずっと黙ってた長秀さんが、すっと前に出た。
「坊。もう一度、初めからやってみせよ」
「え? いいけど。屈伸、いち、に……」
長秀さんは、何も言わないで、じーっと見てた。
笑いもしないで、じーっと。
なに? なんか変だった?
「ところでほたる、修行って何するの? 見たい!」
「あ……えっと……炭切り……」
見せたくなかった。だっておれ、まだ「とん」ができないんだもん。
でも、親友が見たいって言うから。
切った。
「とんっ!」
ばきっ。ななめ。
「とんっ!!」
ぼふっ。粉。
「とおおおん!!」
つるん。鉈がすっぽ抜けた。
「…………」
「…………」
「……ほたる、強く生きてね」
「まだ二日目なの!! 二日目なんだってば!!」
信長様が、ずいっと手を出した。
「貸せ」
「えっ」
信長様は鉈を受け取って、炭をひとつ据えて――
とん。
ころん、ころん。
にぎりめしの大きさが、二つ。
「出たーー!! それ!! どうやったの!?」
「とん、と」
「あんたもか!! なんでこの家まわり、誰も説明できないの!?」
「様を付けろ」と、どこかから父ちゃんの小声がした。
信勝様が、目を輝かせて手を出した。
「俺もやる!」
「信勝様ならできるかも! 頭いいし!」
信勝様は、炭をじっくり見て、鉈の角度をじっくり考えて、それから、えいっと振った。
ぼふっっ!!
黒い粉が、ぶわっと信勝様の顔に飛んだ。
「…………」
まっくろだった。顔が、まんべんなく黒い。おれより黒い。
ぶはっ、と噴いたのは信長様だった。
「あはははは! 信勝様、顔! 顔!!」
「ほたるだって黒いよ!?」
「俺の弟は、炭にも負けるのか」
「兄上だって最初はできなかったでしょ!?」
「できた」
「嘘だ!」
三人で、げらげら笑った。
炭まみれで、げらげら。きのうは炭、にっくき敵だったのにな。
帰り際。
顔を拭いてもらった信勝様が、振り向いて言った。
「ほたる、明日はお城においでよ! 今度こそ!」
「行く! 今度こそ!」
「約束ね。二回目の約束」
信長様は「来たくば来い」とか言いながら、もう歩き出してた。耳は、見なかったことにした。
最後に、長秀さんだけが、一拍残った。
「坊」
「なに?」
「その体操……明日も、朝にやるのか」
「やるけど……なんで?」
「……いや」
長秀さんは、それだけ言って、行ってしまった。
去り際の目が、なんか、妙に真剣だった。
なんなんだ、いったい。
夕ごはん。
今日切れた炭は、きのうより少なかった。そりゃそうだよ。途中から殿様が来たんだもん。
長兄ちゃんが、うんうんとうなずいた。
「炭と戦って負けた男、改め……」
「いやな予感しかしない」
「殿に炭で負けた男」
「一発でやられたんだから、しょうがないじゃん!!」
ひとしきり笑ったあと、長兄ちゃんは父ちゃんのほうを向いて、少し声を落とした。
「……しかし、殿は、ようも気楽にお出歩きになる。お城はごたついておるというのに」
「……口を慎め」
ふうん。お城、まだごたごたしてるの?
それより明日だよ、明日。今度こそ、お城。
寝る前に、今日のことを思い出した。
親友が、おれんちに来た。
ふいごを見て、笑って、火床の前にしゃがんで、「ここで刀を打つんだね」って言った。
えへへ。明日は、何の話をしよう。
……でも、ひとつだけ。
長秀さんの、あの聞き方。
「明日も、朝にやるのか」
あれ、なんだったんだろ。
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【次回更新】明日17時予定!




