第三話 変な奴
「えっ、信長様!? 本物!?」
「本物だ」
しゃがんだ男は、にやっとしたまま動かない。
「やばっ。やばいって。信長じゃん。ほんとの信長じゃん」
「て、鉄之助!! 口を慎め! 信長様とお呼び申せ!!」
土下座したままの父ちゃんが、ものすごい声を出した。おれはあわてて言い直した。
「のっ、信長様! 信長様だ! ほんものの信長様!」
「様を付ければいいというものでもないわ!!」
「どっちなの!?」
信長様は、しゃがんだまま、おれの顔をのぞきこんだ。
「お前、俺を知っているのか」
「知ってるよ! だって信長様って、日本でいちばん強い武将なんでしょ!?」
「……ほう」
「それでね、ばらばらの日本を、ぜーんぶひとつにしちゃうんだよ。悪い世の中も変えちゃうんだよ。だからみんな、信長様のこと大好きなんだよ!」
一気に言った。
信長様は、何も言わなかった。
にやにやが、消えていた。
「……お前は何を言っているんだ。俺はまだ尾張国も統一できていない、うつけの若造だぞ。どうやって、天下統一するというんだ」
「えっ、知らないの? 自分のことなのに?」
「鉄之助!!」
父ちゃんの声が裏返った。でも信長様は怒らなかった。ふいと横を向いて、それから、もとのにやにやに戻って言った。
「ほう。なら、そうなんだろうな」
自分で認めた!?
「えっと……お供の人は? おひとりで来られたんですか?」
「まいてきた」
「まいて!? えらいお方なのに!?」
「えらい人だから、まけるんだ」
ちがう気がする。すごくちがう気がする。
信長様は立ち上がって、鍛冶場の中をずかずか歩き回った。火床をのぞき、柱の貼り紙の前で止まる。
「刀はまだか」
「はっ、はい! ただいま、心を込めて打っております……!」
「ふん」
父ちゃんの返事を最後まで聞かずに、信長様は隅の木の箱の前で足を止めた。あごで指す。
「これは何だ」
「ふいご! 火に風を送るやつ。……りょ、涼むのには使えないよ」
「?」
あっ。
「なぜ、涼む話になる」
「な、なんでもない。なんでもないです」
そのとき、土間に手をついたままの次兄ちゃんが、ぷるぷる震えだした。
「お、おそれながら……弟は先日、それで涼もうといたしまして……」
「兄ちゃん!? なんで言うの!?」
信長様は、ぽかんとした。それから、ぶはっと噴き出した。
「ふいごで、涼んだだと?」
「涼んでない! 涼めなかったの! 熱風だったの! 灰まみれになったの!」
「当たり前だ」
信長様は、声を上げて笑った。父ちゃんが土下座のまま、何度も何度も頭を下げてた。何に謝ってるんだ。
ひとしきり笑ってから、信長様はおれを見て、にやっとした。
「で、ふいごの神童。妙な呪文を唱えるそうだな」
「ふいごは付けないで!? あと呪文じゃないし! 九九!」
「では見せてみよ。その、くく、とやらを」
きたー! おれは胸を張って、息を吸った。
「ににんがし! にさんがろく! にしがはち――」
「もういい」
早っ!? 二の段で!?
「鉄之助。それは誰に習った」
「えっ。えっと……よこは……じゃなくて、その……」
「よこは?」
「ゆ、夢! 夢で習った! ずーっとずーっと遠い、未来の夢! 夢の中に、そろばんの先生がいて……信じてもらえないと思うけど」
信長様は、おれの顔をじーっと見た。ばれたかな、と思った。
「夢で九九を習う奴があるか」
「あるよ。おれがそう」
「……ふ。面白い夢だな」
なんか、ぎりぎりセーフだった気がする。
「で、それの何がすごい。戦で勝てるのか」
「え?」
「敵を前に、ににんがし、と唱えたら、敵は倒れるのか」
「……倒れない」
「米の勘定が早くなるだけか」
「た、たぶん」
「役立たずだな」
「役立たずって言った!? 神童に役立たずって言った!」
「言った」
「ひどい! ……で、でも、信長様だって、着物ぐちゃぐちゃだし、瓢箪じゃらじゃらだし、まげも変だし」
「鉄之助!!!」
父ちゃんが三回目の悲鳴を上げた。信長様は、おれの顔をじっと見た。
「鉄之助。お前、なぜ俺が怖くない」
「え?」
「大人は皆、俺の前では石になる。お前の親父みたいにな」
土間の父ちゃんが、びくっとした。
「えっ……怖い、です。でも、ふつうに話しかけてくれるから、つい」
「つい?」
「好奇心が、止まらなくなって……」
信長様は、ちょっとだけ黙った。それから、変な顔で笑った。
「俺が、変か」
「…………変だと思います。でも、なんか面白い」
「お前もだ。変な奴だ」
「そっちこそ」
言ってから、しまった、と思った。でも信長様は怒らずに、声を出して笑った。父ちゃんだけが、土間で死にそうな顔をしていた。
戸口が、また暗くなった。
今度の男は、ちゃんとした身なりだった。着物もまげも、ぴしっとしてる。男は土間のみんなに軽く頭を下げてから、信長様に言った。
「殿。また黙って城を出られましたな」
「長秀か。早かったな」
「お姿が見えぬと、城は大騒ぎでございます」
丹羽長秀、と男は名乗った。怒ってるのかと思ったら、そうでもないらしい。すごく慣れてる感じだった。
長秀さんは、信長様の少し後ろに、すっと立った。それきり何もしゃべらない。
でも、なんか、さっきからずっと、おれを見てる気がする。
「おい、変な子。外に出ろ」
「鉄之助だよ」
「鉄之助。出ろ」
庭に出ると、信長様はいきなり腰の刀を抜いた。父ちゃんが「ひっ」と言った。
戸の隙間から、長兄ちゃんと次兄ちゃんの目玉が、こっそりのぞいてた。
ぶん、と振る。
風が、ちょっと遅れて来た。
「すごっ! 信長つよ……信長様、強っ!」
「これが、戦で勝つということだ。九九では人は斬れん」
「まだ九九のこと言ってる」
信長様は、もう二、三回、刀を振った。
今度は、見えなかった。途中から、刀が消えた。びゅん、て音だけが、あとから追いかけてくる。
「どうだ」
「すごい! やばいやばい! テレビみたい! てか、テレビよりすごい!」
「……てれび?」
「ヒーローの必殺技! しゅばっ、て消えて、気づいたら悪いやつが倒れてるの! あー、スローでもう一回見たい!」
「お前は何を言っているんだ」
きた。でも止まらない。だって本当にすごいんだもん。
「あと風! いまの風、新幹線! ホームで帽子が飛ぶやつ!」
「しんかんせん。ほーむ。……帽子?」
信長様の眉が、だんだん変な形になっていった。戸の隙間の目玉が、二組とも、まんまるになっていた。
「も、申し訳ございませぬ! 倅は、熱を出して以来、時々わけの分からぬことを……!」
父ちゃんが叫んだ。信長様は手で制して、おれを見た。
「それも、あれか。夢の話か」
「そう! 夢! ずーっと遠い、未来の夢!」
「夢には、その、ひーろー、とやらがいるのか」
「いるよ! すっごく強いの! でも、本物の信長様のほうが強いと思う。だって、ほんとに風が来たもん」
「当たり前だ」
信長様は、ふん、と鼻を鳴らした。ちょっとうれしそうだった。
そこへ、横から長秀さんが、すっと出てきた。
「少し待て。坊、もう一度言ってみよ。その、てれび、とは何だ」
「えっとね、四角い箱! 遠くのものが映るの。相撲とか」
「箱に、遠くの相撲が映る……」
「で、新幹線はね、ものすごく速くて、みんなで乗れる……箱?」
「乗るのも箱か。坊の夢は、箱ばかりだな」
「言われてみれば!?」
長秀さんは、笑わなかった。かわりに、どんどん聞いてきた。ひーろーとは何だ。必殺技とは何だ。すろーとは何だ。
「だから、ゆっくりもう一回見るやつ! ……あっ、それ瓢箪? ねえ、中身なに? お酒? 振っていい?」
おれはもう、信長様の腰の瓢箪のほうが気になっていた。だって変な形なんだもん。ひょうたんなのに、ぼこぼこなんだもん。
「だめだ」
「けち」
長秀さんは、ちょっとだけ目を細めて、おれを見ていた。それから信長様のほうへ向き直って、小さく言った。
「殿。この子の頭の中には、私の知らぬ言葉が、山ほど詰まっておるようですな」
「変な言葉ばかりだぞ」
「ええ。異国の書物のようで。……私には、一文字も読めませぬが」
長秀さんは、なんでか、ちょっと楽しそうだった。
「読める御方が、おられるやもしれませぬな」
「……ふん」
信長様は刀を納めて、袴の砂を払った。
「ねえ、もっかい! さっきの、もっかい!」
「俺は見世物ではない」
そう言ったわりに、もう一回だけ振ってくれたの、おれは見た。
帰り際。
信長様は戸口で立ち止まって、振り向いた。
「おい、鉄之助」
「は、はい」
「また来い。城に来い」
「えっ。なんで? おれ、役立たずなんでしょ」
「役立たずだ」
「じゃあなんで?」
信長様は、ちょっとだけ黙った。それから真顔で言った。
「知らん」
「知らんって何!?」
「俺が知るか。だが、来い」
うしろで、ばたっと音がした。父ちゃんが土間に手をついていた。土下座なのか、腰が抜けたのか、どっちか分かんなかった。
信長様はもう、すたすたと歩き出していた。
その背中に長秀さんが追いついて、小さく言うのが、聞こえた。
「……信勝様にも、会わせてみますか」
「…………ふん」
信長様は、ふん、としか言わなかった。でも、いやだとは言わなかった。
信勝様?
誰だろう。
でも、なんでだろう。その名前を聞いたとき、なんか、ちょっとだけ、わくわくした。
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【次回更新】明日17時予定!




