第二話 神童(笑)
信長様が、来るかもしれない。
それを聞いてからのおれは、毎日、鍛冶場に張りついていた。
だって父ちゃんがいま打ってるの、信長様の刀なんだ。柱の貼り紙の、あの注文の刀。
ご先祖様みたいな刀を打つって決めてるおれが、見ないわけないでしょ。なんなら手伝うしかないでしょ。
「鉄之助、そこどけ」
「鉄之助、それ触るな」
「鉄之助、ふいごに近づくな」
……手伝わせてもらえない。っていうか、ふいご事件以来、なんにも触らせてもらえない。
「ねえ父ちゃん、おれも打ちたい。信長様の刀」
「十年早い」
「じゃあ横で見ながら鎚だけ」
「二十年早い」
「なんで増えるの!?」
その夜、囲炉裏のそばで、おれは聞いてみた。
「ねえ父ちゃん。うちって、ほんとに光忠様の子孫なの?」
父ちゃんの箸が、止まった。
長い間があった。それから父ちゃんは、ぽつぽつと話し始めた。あんなに長くしゃべる父ちゃん、初めて見た。
「長船光忠。鎌倉の御代の刀工で、長船派の祖よ。光忠の刀は、武将たちがこぞって欲しがる。……お城の信長様も、光忠の刀をたいそうお好みと聞く。この先、何振お集めになることやら」
「えっ、あの信長様が!? 光忠様のファンじゃん!」
「ふぁん、とはなんだ」と長兄ちゃん。
「えっと……大好きな人」
「畏れ多い言い方をするな」
次兄ちゃんが、研ぎの手を止めずに続けた。
「いまの備前の長船は、もっとすごいぞ。『祐定』を名乗る刀工だけで、六十人を超えるそうだ」
「六十人おんなじ名前!? ややこしすぎでしょ! 呼んだら六十人振り向くじゃん!」
「質も量も、日の本一の刀の里だ」と長兄ちゃん。「いまも、ものすごい勢いで打ち続けとる。この先どれだけの数になるか、見当もつかん」
「どれだけって……百万振とか?」
「……あり得るな」
「冗談で言ったのに!?」
すごい。うちのご先祖様、ほんとにすごい家だった。
おれが目をきらきらさせてたら、父ちゃんが火を見たまま、ぼそっと言った。
「……うちは、その里から流れてきた分家よ。ほんとうに光忠様の血が流れとるかは、誰にも分からん。なんで清洲におるのかも、もう誰も知らん」
「えっ。誰も知らないの!?」
「知らん。……だが、わしは信じとる」
父ちゃんは、ちょっとだけ笑った。
「たぶんな」
たぶんって何だよ。
……って、いつもなら言うところだった。でも、言えなかった。
あっちの父さんと、おんなじこと言うから。おんなじ顔で。
おれはその夜、寝床で決めた。
おれも打つ。ご先祖様みたいな刀。ぜったい打つ。
翌朝、おれは父ちゃんに突撃した。
「父ちゃん! おれ、何ができたら鎚触っていいの!?」
父ちゃんは鎚を止めて、おれをじーっと見た。長いこと見た。それから言った。
「……読み書きと、銭勘定だ」
「えっ」
「刀鍛冶は、注文の文が読めねばならん。鋼の目方も、銭の勘定もある。それができたら――考えてやる」
「ほんとに!? 約束だよ!? 言ったからね!?」
おれは飛び上がった。横で次兄ちゃんが、小さい声で言った。
「鉄之助。それはな、『あきらめろ』という意味だぞ」
「約束は約束!」
おれは台所に走った。
「母ちゃん! 寺! 手習いの寺ってどこ!?」
「あんた、急にどうしたの」
読み書きと勘定なら、任せろ。だてにあっちで習い事を三つもやってない。
寺の本堂には、子供が十人ちょっといた。一番前に、白いひげをなが――く伸ばしたおじいさんの師匠が座ってる。
「いろは、にほへと、ちりぬるを」
師匠が読んで、みんなが続ける。
おれは手を挙げた。
「師匠! それ、もう読めます! おれ急いでるんだ! 読み書きと勘定ができたら、鎚触っていいって父ちゃんが!」
「……ほう」
師匠は目を細めて、手元の手本をおれに向けた。
「では、読んでみよ」
読めた。
「名は書けるか」
書けた。ちょっと丸っこい字だけど。
「ふむ。……して、勘定とな」
「待ってました!」
おれは正座し直して、小さい声で唱え始めた。そろばん教室で最初にやらされた、気合い入れのあれだ。
「ににんがし、にさんがろく、にしがはち……」
「……おい、てつ」
隣の子が、ぎょっとした顔でおれを見た。
「なんだその呪文。やめろ。たたりがあるぞ」
「呪文じゃないし」
そのとき、師匠がすっと立ち上がった。
「坊。今のを、もう一度。大きな声で言ってみよ」
「えっ。いいの?」
立たされた。みんなが見てる。こうなったら、ちょっといい声でやるしかない。
「ににんがし! にさんがろく!」
二の段、三の段、四の段。途中から調子が出てきて、おれは一気に駆け上がった。
「はっぱ、ろくじゅうし! くく、はちじゅういち!」
言いきった。
本堂が、しーんとした。
師匠が、固まっていた。ひげの先っぽだけが、ふるふる震えていた。
「坊……今のは、何だ」
「九九。かけ算のうた。二が三つあったら六、みたいなやつ」
師匠の目が、ぎゅんと光った。
「では聞く。八が七つあれば」
「五十六」
「十五に、二十七を足せば」
「四十二」
「四十を、八人で分ければ」
「五」
師匠は天井をあおいだ。長い長い間があって、ぽつりと言った。
「神童じゃ」
「えっ」
「神童が来てしもうた……」
おれは首をかしげた。
「えっ、みんなできないの? かけ算」
本堂が爆発した。
「できるか!!」
「てつ、おまえ何者だ!」
「知ってるぞ。てつはちょっと前に熱で死にかけたんだ。頭が割れて、知恵が入ったんだって母ちゃんが言ってた」
「入ってない! 割れてもない!」
ちなみにおれ、そろばん教室、あっちでは下の下だった。それがこっちでは神童。なにそれ。
でも今は、そんなことよりだ。
「師匠! おれ、読み書きと勘定、できたってことだよね!? ね!?」
「う、うむ。できる、というか、何というか……」
「やった! 約束達成!」
帰り道は、全力疾走だった。
「父ちゃん!! できた!! 読み書きも勘定も全部できた!! 神童だって!! 鎚!! 鎚触っていいんだよね!?」
戸を開けるなり叫んだら、長兄ちゃんが鎚を止めて、ゆっくり振り向いた。
「……ふいごで火を煽って、鋼を駄目にしかけた奴が、神童か」
「あれは事故! 今日のは実力!」
次兄ちゃんが噴き出した。
「し、神童……ぷふっ。鉄之助が、神童……!」
「笑うとこじゃないんだけど!? それより父ちゃん! 約束!」
父ちゃんは、鎚を止めなかった。カン、カン、と二回打ってから、言った。
「十年早い」
「えええええ!? 約束とちがう!!」
「『考えてやる』と言った。考えた。十年早い」
「考えるの早すぎでしょ!? もう三日くらい考えてよ!」
「だから言っただろ、神童さま」次兄ちゃんが、にやにやしながらおれの頭をつついた。「父ちゃんの『考えてやる』は、昔からそういう意味だ」
「うぐぐ……」
母ちゃんが台所から顔を出した。
「はいはい、神童さま。飯の前に手ぇ洗いなさい」
ひどい。この家、神童の扱いが雑すぎる。
でも父ちゃんは、そのあと一回だけ、こっちを見た。ほんのちょっとだけ、口の端が動いた気がした。
……たぶん、見間違いじゃない。
それからもおれは、寺に通わされることになった。
「えっ、なんで!? おれもうできるのに!?」
「行け」
理不尽だ。
でも寺は、わりと悪くなかった。師匠はなぜか、帰り際におれを呼び止めて、干し柿をくれる。おれが刀の絵ばっかり描いても、「ほう」「ほう」といちいち眺める。
ほかの子が「師匠はてつばっかりひいきする」とむくれたら、師匠は真顔で言った。
「ひいきじゃ」
開き直った!?
帰り際は、いつも同じだ。
「また来い、坊」
そんなある日。
客と話す父ちゃんの声が、戸の向こうから聞こえてきた。
「もっぱらの噂ですわ。長船さんとこの三男坊は神童じゃと。妙な呪文で、千の数を一息に操るそうな。……お城の織田さまも、ご興味がおありのようで」
千って。九九は八十一までしかないんだけど。噂ってこわい。
織田さま。
父ちゃんの、深いため息が聞こえた。世界で二番目にこわいため息だった。
数日後の夕方。
おれは鍛冶場で灰を掃いていた。今のおれに許された、唯一の仕事だ。
ふと、戸口が暗くなった。
顔を上げると、男が立っていた。
若い男だった。着物をだらしなく着崩して、腰に瓢箪やら袋やらをじゃらじゃらぶら下げてる。髪のまげも、なんか変だ。
男は「ごめんください」も言わずに、ずかずか入ってきた。火床をのぞき、柱の貼り紙をちらっと見て、それから――おれを見た。
後ろで、がたん、と音がした。
父ちゃんが、鎚を取り落としていた。
次の瞬間、父ちゃんも長兄ちゃんも次兄ちゃんも、見たこともない速さで土間に手をついた。
「お、織田、信長さま……!」
……は?
男はおれの前にしゃがみこむと、にやっと笑った。
「お前が、噂の神童か」
「えっ、信長様!? 本物!?」
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【次回更新】明日17時予定!




