1-3 最後のエルダー
時は流れる。思い返してみると、楽しい日々であった。父は私を愛し、私も父を愛する、その姿は普通の親子のようであっただろう。だから、時折父が悲しむような、憐れむような目で私を見るのが理解できなかった。
日々はあっという間に過ぎていく。いつの間にか私の体も成長し、父と並ぶ目線になっていた。無論私は小躍りするほど喜び、父はそんな私を見て笑っていた。そうして、気付けばその日を迎えていた。
父が最期の時を過ごすことを選んだ場所、それは私が生まれた場所であった。
「今日なのか」
「ああ、間もなくだ」
何が、などとは聞くまでもなかった。
「ルクス、お前には様々なことを教えてきた。しかしまだ、お前に教えておらぬことがある」
「ああ、父よ、なんということだ!一体それは何だというのだ!あなたはまだ私に知識を授けてくれるのか!」
「落ち着きなさい。まったく、百年も経つというのに、お前はいつまで経っても変わらないな」
「そ、そうか、すまない。確かに大人として恥ずかしい振る舞いであったかもしれない」
「いや、だがそれもお前の美点の一つなのだろうな。さて、かつてお前には世界がどのように作られたか教えたな。覚えているか?」
「無論だ。かつて神が、原初と呼ばれるあらゆる可能性を秘めたものから世界を作り出した。大地も、海も、空も、星々でさえ神の作り出したもの。そして世界の営みの中で生命が生まれた」
「そうだ、世界は神の作り出したものだが、生命は神が直接作り出したものではない。しかし、例外として神が作り出した生命がある。かつてお前にも話したことがあるだろう?」
「最初のエルダー、か。しかし一体なぜ神はエルダーを作ったのだ?」
「神の意図はエルダーも知らぬ。なぜならば、誰一人として神と直接話したことなどないからだ。ただ、恐らくそうであろうという答えはある」
「なんだ、勿体ぶらずに教えてくれ」
「神は、世界を見守るものとしてエルダーを作ったのではないかと言われている。なぜだか神は直接世界に干渉できないらしい。それゆえ永き時を生きる種族に、神の代行のようなことをさせたかったのだ」
「私達が神の代行者とは、それは光栄なことだ」
「ああ、そのお役目自体は確かに身に余るほどのものだ。しかし神はある間違いを犯したのだ。とてもとても致命的な間違いだ。それは、エルダーに心を与えたことだ」
なんと奇妙なことを言うのかと思った。心がないなどと、考えるだけでも恐ろしいことだ。
「長い時の中で心が擦り切れ、壊れていく者が多かったのだ。多くのエルダーが苦しみながら死んでいった。その絶望たるや、種の断絶を願うほどのものだった」
「種の、断絶?自らの種族を滅ぼすというのか?」
「そうだ。誰も子を成すことをせず、緩やかに滅びに向かうことを決めた種族、それがエルダーだ。そして交配で生まれた最後のエルダー、種の終わりを見届けるはずだった存在が私なのだよ。疑問に思わなかったか?私とお前以外のエルダーの姿を見たことがないことを」
「いや、てっきりこことは違うどこかで生きているのではないかと思っていた」
「いいや、もう我ら以外のエルダーなどどこにもいない、いないのだよ」
そう言って父は、あの目で私を見つめた。悲しむような、憐れむような、あの目だ。
「父上、なぜだ、なぜそのような目で私を見るのだ」
「すまない、ルクス、我が息子よ。私は今喜びと絶望の狭間にいる。ああ、ああ、今なら分かるとも。なぜ父祖が滅びを選んだのかがよく分かる!」
「なんだというの一体……」
「最後のエルダーとして孤独に終わりを迎えると思っていた私が、こうして子に見送られるなどと、なんという僥倖か。ああしかし、この絶望をお前に背負わせてしまうのだ!なんと、なんと残酷な!」
「絶望?なんだそれは」
「教えたはずだ、エルダーは長き生を持つと。それは、出会ったもの全てと必ず死に別れるということ。永き時がお前を孤独にし、それを理解する者はいないということだ。心が擦り切れ、壊れようとも生き続け、やがてお前もこの地に帰り着き最期を迎える。その呪いのような生こそが、我らエルダーの絶望。かつてこの地が拠り所だと言ったな。ここはエルダーにとって終わりの象徴。ここに帰り着く時、長き苦しみが終わりを迎える。故に、この場所は拠り所なのだ」
それは残酷な現実であった。エルダーという種に約束された終わり。そして理解した、この父もそんな絶望背負いながら生きたのだ。分かち合う仲間がいない永遠にも等しい孤独。その最期の最期に、父と私は出会った。
「百年前、私は神の啓示を受けた。エルダーの始まりの地で、新たなエルダーが生まれると。最初は信じていなかった。そんな馬鹿な話があってたまるか。最初のエルダー以来、神が創ったエルダーは存在しない。それが最期になって生まれるなどと信じ難いことだった。しかしあの日、お前は確かに生まれたのだ。命の温度と、世界の祝福と共に」
「父上、あなたは……」
「ルクス、私は思うのだ。呪いのような我らの生だが、それでも命は生まれた時に世界から祝福されるのだと。だから息子よ、どうか、どうか幸せになってほしい。長く、辛い道のりなのは分かっている。それでも、幸せを願わずにはいられんのだ。私は、お前の父なのだから」
「父上っ……!」
命が霧散する気配。父の最期は目前であった。
「ありがとう、息子よ。絶望に打ちひしがれていた私にとって、お前はまぎれもない光だった。お前と共に過ごした時間は、何よりも大切な宝だ」
「ふ、ふざけるな!そんな、一人だけ満足して、やりきったような顔をして!私は、私はまだ……!」
「ああ、泣いてくれるのか、私などのために」
「何が呪いだ!何が絶望だ!馬鹿馬鹿しい!そんなわけないだろう!だって、あなたは今、幸せそうに笑っているではないか……!」
滲む視界の中、確かに父は笑っていたのだ。噛み締めるように、決して手放さぬように。
「ああ、そうだな、そうだとも。呪いなわけがなかったのだ。こんな幸せな終わりが、お前という希望に照らされながらの最期が、絶望なわけがないとも」
「なんだ、知らなかったのか父上。まったく、やはりあなたにも知らぬことがあったな!」
「ハッハッハ!これは一本取られてしまったな!最期にしれやられるとは、私も詰めが甘い」
そうして下らぬ言い合いをしている最中も、終わりは刻一刻と近づいてくる。
「ルクス、幸せになってほしいなどとはもう言わん。私に幸福を与えたお前が幸せになれぬわけがない。だから、そうだな、永い永い時の果てで、お前の話を聞かせておくれ。お前の歩んだ旅路の話を。それが私の唯一の願いだ」
「ああ、先に逝って待っていろ。もっとも待ちくたびれても知らんがな」
「なあに、あちらには先に逝った同胞もおる。彼らと酒でも飲んで、チェスでも指しながら気長に待つとするよ」
ああ、楽しげな父の声が聞こえる。
「さらばだ息子よ。長き旅路の果てで、また会おう」
「ああ、また会おう、父よ」
そして父は、笑顔で逝った。
これが最初の喪失。私の旅路の始まりだ。
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