5-2 意志
会場から少し歩いた控え室。体調を崩した来賓用に整えられた部屋に私達は入った。
「ルクス、あなたどうしてそれで歩けるの?そんな、胸に刃物が刺さった状態で。みんなちょっと引いてたわよ」
「まあ、魔法でどうにかしてると思えばいいさ」
「そうなの?あなたくらいになればそんな魔法も使えるのね」
「まあな。お前達には到底無理な方法だよ」
そう、人間には到底無理な方法だ。
「これからどうするの?これ、引き抜けばいいのかしら」
「そうだな、そうしてくれ。頼めるか?」
「いいけど、以外ね。自分でやるかと思ったわ」
「自分でやると痛みで手が鈍るだろう。こういうのは誰かに、一思いにやってもらう方がいいんだよ」
「あら、あなたも痛みには弱いのね」
「痛みに喜ぶ特殊な人種になった覚えはないよ」
椅子に腰掛けながら、改めて状態を確認する。刺さりっぱなしのナイフと、肺に溜まった血で呼吸機能が落ちている。少し息苦しいが、この程度なら問題ない。
「よし、頼む」
「分かった。三つ数えたら抜くわね。三、二、一、っ!」
「ぐっ……」
引き抜かれた痛みに耐えながら命の循環を意識する。傷ついた身体を修復するために命が消費される。肉体が急速に再生する気持ち悪さを飲み込み、大きく息を吐いた。
「はぁ…………よし、これでもう大丈夫だ」
痛みも傷もなくなった。安心させようと声をかけたセシリーは、何かに驚いたような表情をしていた。
「ルクス、今の、魔法なの?」
「他に何だと思うんだ?」
「だってあなた、魔力なんて使ってなかった。あなたが使ったのは、もっと根源的なもの。命だわ」
覚悟はしていたが、こうしてバレてしまうとどう言ったものか悩んでしまう。
「お前は本当に、いい目をしているよ」
「だってルクス、あなたが昔言ったのよ。怪我を治すには命を使うって。そして怪我が大きなほど使う命も多くなる。いいえ、そもそも命を使ったからって、直ぐに治るわけがない。ねえルクス、あなたは一体、なんなの?」
取り繕っても意味がない。ありのままのことを話すしかなかった。
「昔、お前達に隠している秘密があると言ったことを覚えているか」
「ええ、覚えてる」
「その秘密がこれだ。セシリー、私は人間ではないのだよ。この世のどんな種族よりも多くの命を持って生まれた、長き時を生きる種族。私達は、私達の種族のことをエルダーと呼ぶ」
「長い時を、エルフってこと?」
「いいや、エルフよりももっとだ。エルフは千年を生きると言うが、我らエルダーは少なくとも万を生きる。具体的な数は分からないんだがな」
「どうして?」
「誰も彼も、数えることをやめてしまったらしい。長い生の中で心がすり減り、やがて生きることに絶望する。そんな奴らにとっては、何年生きるかなんてどうでも良かったんだろう」
父の死後、父の遺した手記を見つけた。そこに書かれていたのは、父が知る限りのエルダーの情報。そして父自身の絶望と、最後に出会った希望、私のことだった。
「すべて伝聞の情報だがな。私など、まだたったの三百と少ししか生きていない程度だ」
「それでも私にしてみれば十分長生きだけれど」
「いやまあそうだが、思ったよりすんなり受け入れるんだな。もっとこう、ないのか?騙されたとか、化け物とか」
かつて私の再生能力を見られた時はもっと劇的な反応をされたのだが。その上化け物として町を追われもした。
「そうねぇ、少しは驚いてるのよ?でも、ルクスだもの」
「何だそれは」
「五年も一緒にいるのにあなたちっとも変わってないじゃない。私だけじゃなくて、お父様もお母様も、激ニブのお兄様だって何かあるってとっくに気付いてるわよ。少なくとも普通の人ではないんだろうってね。でもね、あなたと過ごした時間に嘘は無かったわ。あなたは出会った時に思った通りの人だった。優しくて、温かくて、照れ屋さん。それを知ってるから、あなたが何者かなんてどうでも良かったの」
「なんだそれは。それじゃあ気にしていた私だけが馬鹿みたいじゃないか」
「やっと気付いたの?私達みんな、とっくにあなたを受け入れてるわ。だって、あなたはあなたなんだから。あなたはもう、私達の家族なの」
「家族、か」
懐かしい響きだった。失って久しい、二度と得ることもないだろうと思っていた繋がりが、いつの間にかできていた。
「ルクス、どうして話してくれる気になったの?」
「どうして、か……多分、迷っているからだ。お前の思いと向き合わなけねばならない。お前達とこれからも共にありたいと思ってもいる。しかし、それを拒む自分がいる」
私にしか分からない。誰にも理解されない苦悩だ。
「私はお前達よりもずっと長く生きる。私は必ずお前達を失い、その痛みに耐え、それからもずっと生きていかなければならない。なんて残酷な現実だ。私が生きる限り、それは幾度も繰り返される。私はそれに耐えられるのか?いずれ私も絶望に押し潰され、終わりを望むようになるのではないか?ならば、大切なものなど作らない方が良いのではないか。そう思う、思うのに、望むことをやめられないんだ。孤独は嫌だと、誰かと共にありたいと。だがその思い出が、いずれ私を苛みまた私は孤独になる」
「ルクス……」
「時は私を置き去りにする。私一人だけが、いつまでも過去に取り残される。世界は私を忘れていく。私が終わるその時まで、私は一人だ。なあ、どうすればいい。私はどうすれば、幸せになれる」
私が幸せになれぬ訳がないと父は言った。けれど今の私にはその言葉を信じられない。何のために私は生まれ、生きているのだ。
「悲しいのね、ルクス。孤独は嫌で、悲しいのも嫌で、心を押し殺してる寂しがり屋」
「ああそうだ。私は、こんなにも弱い」
己の情けなさを強く実感する。この家で過ごした時間が、たった五年間の幸せが、私の心を蝕んだ。本当に、考えるのも嫌になる。いっそ消えてしまえたならどれほど……ああ、そうか、ようやく分かった。父が私に憐れむよう目を向けた理由が、エルダーという種族が、滅びを選んだ理由が、ようやく本当の意味で理解できた。
こんな思いをするならば、生まれなければよかった。
「そんな顔をしないで」
ふと、温もりに包まれた。人の温もりだ。しかし、冷たい何かが落ちてくる。
「泣いているのか、セシリー。どうしてお前が泣くんだ」
「だって、だって、悔しくて仕方がないの!あなたの苦しみを分かってあげられないのが、あなたを救う方法が分からないのが、悔しくて悔しくて、たまらない。こんなにも、あなたを思っているのに」
「ああ、泣かないでくれセシリー。お前を苦しませたい訳ではないんだ。お前が泣くと、私も悲しくなる」
分かっていたんだ、お前が私に向ける気持ちも、成長するお前に私が惹かれていたことも。だから今こんなにも苦しい。
「なあ、生きるとは何だ。生きる意味とは、何なんだ……分からない、私には何も」
「あなたの抱える苦悩がどれほどのものかは分からない。だけどあなたと過ごす時は、私にとっては何より掛け替えの無いものよ。ねえ、私と過ごすこの時間は、あなたにとって意味の無いもの?」
意味が無い?そんなこと……
「そんな訳がないだろう。師として教え導き、友として語らい、家族として暮らし、男としてお前に惹かれた。この日々に意味が無いなんて、そんな訳がない」
「ええ、私も同じ。先のことなんて分からない。けれど今、あなたと共にいて、あなたを愛している。それが私の幸せ」
言葉の雨が降ってくる。私の心に、汚泥のようにまとわりついた絶望を洗い流すように。
「意味じゃないのよ、きっと。大切なのは意志なのよ」
「っ!」
ああ、まったく本当に、私はなんと馬鹿なのだろう。この娘にそう言ったのは、他ならぬ自分だろうに。
「生きる意志、幸せになるっていう意志。それがあるなら、あなたはきっと大丈夫」
「そうか、意志か」
「きっといつか、意志が世界を変えるのよ。ねえルクス、あなたは今、どうしたい?」
「私は、生きたい。別れの悲しみが待っていようと、お前達と、お前と共に生きたい。今はただ、それだけでいい」
「じゃあ、約束。私が死ぬその時まで一緒よ。お婆ちゃんになって、シワシワになったからって捨てたりしたら許さないんだから」
「ああ、誓うよ。お前の最後まで共にいると。そしてきっと、私が終わるその時まで、君を永遠に愛すると」
考えてみれば単純だ。いつかの悲しみのために、今の幸せを諦めるなんて、そんなことは馬鹿げている。そんな死んだように生きるのなど、真っ平ごめんだ。いつかの後悔をしないために、今を全力で生きるのだ。それがきっと、人として生きるということ。お前達から教わった、私にとっての希望の光。
「ねえルクス?こういう時、どうするべきか、あなたは知ってる?」
私を映す潤んだ瞳は、この世の何よりも綺麗だった。
「大切なんだ、誰よりも。守りたいんだ、何よりも。だからどうか、これからも、私と共に生きてくれ」
私に足りなかったのはたったこれだけのこと。ただ意志を、願いを言葉にするだけで、世界は私に微笑むのだから。
「ええ、この命尽きるまで、私はあなたを愛してる」
近付く影は重なった。言葉を交わし、思いを交わし、口付けを交わし、私達は結ばれたのだ。




