4-1 出歯亀
フェルディナント家の敷地内には泉がある。周囲には木が生え、ちょうどよく日差しを遮ってくれる。水と木と大地、命をよく感じられるこの場所を私は気に入っていた。どうやらこれは、命を感じることに長けた種の本能のようなものらしく、エルフや竜人にも同様の習性が見られるようだ。木に背を預け、水面を見つめながらぼーっとしている時間は私の心を落ち着かせた。それこそよく居眠りをしてしまうほどに。
「んぁっ」
木の葉の隙間からちらちらと差す光で目が覚めた。同時に、肩に寄りかかる重みを感じて、動こうとした体を押し留めた。
「すー、すー」
この場所を見つけたのは、フェルディナント家に世話になり始めてからすぐのことである。当時はそれこそ四六時中私について回っていたセシリーも、ここが私の好む場所だとよく知っていた。何をするでも、話すでもなく、ただここで座っているだけなのに、セシリーは何が楽しいのかニコニコとしながら付き合うのであった。そしてこうして午睡に勤しむのも、ままあることであった。
少しの警戒心もなく安心して緩み切った顔で眠る少女は、出会った頃よりも随分と成長していた。時が止まったかのように変わらぬ私にとって、あっという間に変わりゆく人間の姿は、時に儚くも、羨ましいほどに眩しいものだった。
「よくもまあ、私のような捻くれ者にこうも懐いたものだ」
髪を撫で付けてやりながら独りごちる。思えばこの家に世話になる前は、孤独に耐えかね、目的もなくただ彷徨うだけであった。ただ生きているだけだったと言うべきか。生きながら死んでいるようなものであった。
「四年か」
二百年程前別れた父と過ごした時間、その十分の一にも及ばぬものである。しかしそのたった四年が私に再び人間らしさを取り戻させた。その中心にいたのは間違いなく、この少女と、その兄であろう。人との縁を遠ざけて悲劇に見舞われたかのように振る舞ってみても、その実人の温もりに飢えていた寂しがり屋というだけである。我がことながら、ほとほと呆れたものだ。
「助けられたのは、私も同じだな」
少女と兄の命を救い、私は彼らに心を救われた。
「絶対に礼など言ってやらんがな」
遥か歳下の子供らに救われたなどと、素直に認めるのは悔しかったからだ。肩に感じる重みと温もりが、今日に限って私を酷く感傷的な気分にさせる。かつての孤独を思うと、心が折れそうになる。
「独りは、寂しいな……」
口をついて出た弱音は、誰にも打ち明けられない心の叫びだ。いつか彼らと別れる時が来る。それが悲しいのだと心が泣いているのだ。
「独りじゃ、ないよ」
か細く響いた声に息が止まる。聞かれてしまったという焦りが身体を走る。
「独りじゃないから、私がいるから」
しかし、問い詰めるでもなくただ少女は囁くだけであった。踏み込まず、ただここにいるだけという事実が、私を慰めた。
「そうか……」
心が落ち着いていくのを感じながら、再び目を閉じた。
「ねえルクス」
「どうした?」
「お願いがあるの」
少しして、私達は目を覚ました。セシリーは何もなかったかのように朗らかに話す。
「言ってみろ」
「明日、一緒にお出かけしましょ?」
フェルディナント家が居を構えるのは、彼らの領地の中心となる町、領都である。健全な領地運営は民を豊かにし活気を溢れさせる。活気ある民は景気を良くし、そのような場所には様々な商売が生まれる。フェルディナント領都は国内でも有数の大きな町であった。そんな町の市場に私達と、そして彼らの姿があった。
「何の用かと思えば、出歯亀ではないか」
視線の先には露店を覗く一組の男女。彼らにとっては安物だが、意匠は中々悪くない装飾品を見て何事かを話していた。
「兄の逢引きを覗くとは、趣味が悪いぞセシリー」
「そんなことはないわ。私にはこうして楽しむ……見守る権利があるわ!」
「言い直したところで、取り繕えておらんではないか」
「だってルクス、お兄様ったらいつも私に相談してくるのよ。どこに行こう、何をしよう、どうすれば喜ぶんでもらえるか、って。だから言ってあげたの。レティとの付き合いももう二年にもなるのだから、いい加減自分で考えてごらんなさいな、ってね」
レティシャがフェルディナント家を訪ねてきた日から二年。二人は少しずつ親交を深めていった。レティシャがお忍びでフェルディナント家へやってくることもあれば、貴族同士の集まりではひっそりと逢瀬を重ねる。セシリーもそれを受け、レティシャこそ未来の義姉と見定めのか、いつの間にか愛称で呼び合うようになっていた。
「セシリーさんの乙女心講座を卒業できるかどうか、見定めてあげないといけないわ」
ふんす、と謎の気合を入れる少女である。
「とか言って、あの二人が気になっているだけだろうに」
「あら、ルクスにはお見通しね」
まったく、困った弟子だ。
「それにしても、全然バレないわねあの二人」
フェルディナント家は領地内での評価が高い。特に領都では一入のものである。その人気は、領都に住むもので領主一家を知らぬものいれば、それは他領からの密偵、などと揶揄されるほどである。そんな領主一家の一員エドワードと、麗しき令嬢レティシャが町人達に見咎められないのには、勿論理由があった。
「髪色を変えて、服装を変えて、たったそれだけでこうもバレないものなのね」
町で逢引きをしてみたいが、自分が町に出るとすぐにバレて騒ぎになってしまう、と悩んでいたエドワードに私が授けた解決策である。髪の色を変える、厳密には違う色に見せる髪留め型の魔道具を二人に与え、町民の格好をする。
「人というのは、親しくない者の顔つきなど案外詳しく覚えていないものさ。ましてや遠目に見ることしかない貴族など尚更だ。だから彼らは印象で覚える。立派な馬車に乗っていたとか、どんな髪色だったとか、豪奢な服装だったとか。つまりそれらを取っ払ってさえやれば、この通りだ」
店主ともあれこれと話す二人だが、ただの客としか見られていないようだ。その内エドワードが一つのペンダントを手に取り、店主に金を渡した。そしてそのままレティシャの首に回しかける。
「あら、プレゼントとはやるわねお兄様」
「ふむ、装飾品など彼女なら沢山持っているだろう。こんな露店の安物を送られて喜ぶものなのか?」
「分かってないわねルクス。確かに私達上位貴族の女はお高い装飾品なんていくつも持ってるわ。でもね、安物であっても、やっぱり想い人から送られるのは嬉しいものよ。それにね、安物だからこその利点だってあるのよ?」
「なんだそれは」
「貴族男性が貴族女性に装飾品を贈るっていうのはね、本来それ相応の意味があるの。そこに手抜きは許されないから手間とお金がかけられる。それって、貰う方にしてみたらすっごく重いし、疲れちゃうじゃない?だから安物だっていいの。貴族だなんだってめんどくさいことを抜きにして、一人の女としてみれば、好きな人が選んでくれたものを貰うのは嬉しいのよ。重くないけど、想いがこもってるなんて、素敵でしょう?」
「なるほど、そういうものか」
「っていうことを以前お兄様にも教えてあげたわ!」
「ってやっぱりお前の入れ知恵か!」
兄の面目丸潰れ、いやそもそも男女の関係において、エドワードに面目などなかったか。
「ルクスもまだまだね。あなたも乙女心講座を受けてみる?」
「遠慮しておくよ」
くすくすと、小悪魔のように笑う少女である。そんなものを受けた日には、きっとこの娘の思うような男にされてしまうのだろうと、そんな予感がするのであった。




