【9】受付嬢と**
「ポレッタ! 悪いんだけど、これ、帰りがけに飛騎便屋に放り込んでおいてもらえない?」
友人経理から顧客宛て封書の束を渡されて、帰宅準備中受付嬢ポレッタは「りょ~」と軽く返事をした。飛騎便屋の集配所は帰り道にある。そこに荷物を預ける程度、大して時間のかかることでもないし、断る理由がなかった。
お先に失礼します、とまだ残業している面々に頭を下げ、本日業務終了受付嬢は、足取り軽く夕方の領都に踏み出す。
―――晩ごは~ん♪ 晩ごは~ん♪ 今日は何かな♪ 昨日の秋鮭のグラタン美味しかったな♪ 今日は何かな♪ キノコかな♪ 栗かな♪
機嫌よく鼻歌を歌いながら、同じように帰宅する人々で混み合うメインストリートを歩くことしばし、領都中央にある古代聖魔樹の麓に着いた。
さて、飛騎便屋は上から十二枝目だったよな、と昇降硝子箱係に声を掛けようとしたポレッタの背中に、何かがぶつかった。
『ギュッ』
思わずと言う風に漏れた鳴き声と竜気は―――ポレッタのものではなかった。
バッと振り返った背後には、目を丸くした子供がいた。ポレッタの胸くらいの背丈の少年は、どうやらよそ見をしていたらしく、申し訳なさげにペコリとポレッタに頭を下げる。肩で切り揃えられた艶のある白髪が、サラリと揺れた。
「ご、ごめんなさい。お姉さん」
「……大丈夫だよ。それより、ちょっとこっちに」
ポレッタは、少年の腕を掴み、自身の背後へと押しやった。鋭く見やるのは、帰宅時間帯の雑踏の向こう側、少年の背後に見えた、一人の女性だ。
―――まだ、こちらに気付いていない。でも、誰か探してる。……『私』、じゃ、ない。
「……あの?」
「君、探されてる。まだ距離があるけど、旅装……旅をしてる格好の女の人が通りの向こうにいる。キョロキョロして人を探してて、さっき、君と同じ背丈で、君と同色のコートを着た男の子を見つけて、呼び止めてた。……あの人、君の知り合い?」
サッと蒼褪めた少年の顔色から答えを得たポレッタは、自身の外套を脱いで彼の肩にかける。前ボタンを軽く止め、フードを被せれば、着膨れてはいるが、顔と服装を誤魔化せそうだ。そのまま少年の背を押し、昇降硝子箱係に近づいて硬貨を二枚渡す。
「すみません。上から三枝目までお願いします」
「はーい。どうぞご乗箱ください。……では、よき硝子箱の旅を」
天板と床板は銀魔鋼製だが、景色を楽しめるように四方は妖精硝子が嵌め込まれた昇降硝子箱に、まだ戸惑っている少年と共に入箱すれば、足元の金属面が青白く光り、昇降魔術陣が起動した。ゆっくりと浮かび上がる硝子の箱に、少年が思わずと言った風にポレッタにしがみつく。
「大丈夫だよ。そのまましがみついて、顔を隠しておきなさい。……ちょっと、おねーさんと一緒に、枝上でやり過ごそっか。おすすめのカフェがあるんだ。お菓子も紅茶も美味しいんだよ。そこでお茶でもしながら、事情を聞かせて欲しいな」
ポンポンと宥めるように少年の背中を叩き、ポレッタはシャツの胸元に手を当てた。布の向こう側にある緊急連絡用の通信具が仄かに発熱して、正常に起動したことをポレッタに知らせる。これでこちらの音声を翼覆役のジャンさんと共有できる。よしよし。
「それで、どうしてこんなところに一人でいるのかな。……黒竜の少年くん」
―――言い当てられた驚きに顔を上げた少年の瞳は、見覚えのある薄い青色をしていた。
***
「……可哀そうな女の子がいるから、助けてあげてってノエルに言われて」
そう言って、領主館の貴賓室で少年竜が語り始めたのは、生まれた時からの世話係である侍女を信じた少年の無謀な旅の始まりだった。
「僕が会ってあげないと、同翼の女の子が死んじゃうかもしれないって。番ってあげたら、僕の寿命を分けてあげれるって、ノエルが泣くから。じゃあ、内緒でちょっとだけ会ってみようかと思って」
そう唆されて皇国に行こうとした少年竜は、しかし、想像以上に長引く旅路に、彼の故郷と皇国が思っていたよりも離れていると知り、侍女のノエルに引き返そうと言った。だが、彼女に取り合ってもらえず、護衛と称して付き従う男たちに監視されるようになって、やっと、仔竜は自分が騙されたと気付いたらしい。
「翼覆役の叔母上が、不利な状況ならば、まず、相手を油断させなさいって言ってたから」
悪戯に抵抗せず、大人しくすることで相手の隙を作り、旅の中継地点であるこの領都で、人混みを利用して侍女たちを撒いたのだという。途中で少し涙声になりつつも、最後まで事情を説明した少年竜に、よく頑張ったと、室内にいる大人たちが口々に彼を誉めた。
「疲れているでしょうに、よく話してくれましたね。いと小さき我が同胞よ。よく頑張りました。もう大丈夫ですよ」
「よくがんばったな。先刻、其方の親竜に書簡を早竜便で出した。じきに迎えがくる。少し休んでいなさい」
「……後ほど、大陸統括機関から希少種担当官が来る。悪いが、少々聴取につきあってもらうことになるから、今のうちに少し寝ておけ」
それを聞きながら、部屋の片隅で、ポレッタは人化変化を解いた黒竜の少年を眺めていた。まだ幼体であるため、彼の鱗は真っ白だ。彼の髪と目の色は、ポレッタと同じ、幼体特有の白髪碧眼だった。
だけど、ポレッタはもう知っていた。彼女の翼覆役が教えてくれた。成体になるにつれ、あの鱗は独自の色に染まり、その多くは親竜の色を引き継ぐのだと。髪色と目の色もそれに伴い変化するらしい。
―――親竜の色を引き継ぐなら、黒色だろう。
幼竜ポレッタには前世の記憶がある。そんなものをうっかり思い出したのは、母竜の腹の中、隣にいる兄弟竜の殻に、自身の殻がぶつかった衝撃からだ。それから、まだ意識はないらしい弟竜の竜気と、時々話しかけてくる親竜の声を感じながら、彼女は殻の中で眠っていた。
―――殻の中にいて、胎から出てすらいなかったから、見てはいないけれど、聞いていたから知ってる。
幼竜ポレッタの、竜としての最初の記憶の中、調子はずれの鼻歌で、彼女はよく歌っていた。
―――私の可愛い仔竜ちゃん♪ 黒い鱗は母さん似♪ 小さく可愛い仔竜ちゃん♪ はやく卵で出ておいで♪
言葉の意味を知ったのは、ずっと後になってだけれど、その音をずっと覚えていた幼竜は、そっと目を伏せた。
一番最初に忘れるのは『声』だから、『音』だけはずっと、檻の中、誰にも聞かれないように小さな声で呟いていた。忘れないように。
―――【9】受付嬢と弟竜




