【10】受付嬢とポールおじさん
『―――で―――なジッケンタイが、―――はエサが―――」
『―――に―――シッパイして―――ハキした』
実験台の上、片手片足を鎖に囚われた幼竜は、じっと静かに耳を澄ました。頭上では、検査道具を手にした白衣の研究者たちが何かを話している。内容は分からない。誰も、幼竜に話しかけず、言葉を教えようともしないからだ。
―――実験体に知恵をつけさせる必要はないということか。
だが、ずっと聞き続けることで、幾つかの単語は分かるようになってきた。幸い、幼竜には前世の記憶がある。状況と発せられる音で、いくつかの単語を類推することができた。
―――『ジッケンタイ』、『エサ』、『シッパイ』、『ハキ』は分かる。でも、他は駄目だ。音だけでも覚えておこう。
誰にも気付かれることなく、幼竜は一つずつ言葉を覚えていった。そして、理解した。
『この竜の母親も間抜けだよな。自分の子を盗まれて気付かないんだから』
『まあ、まさか双子だなんて、思ってなかったんだろうさ。滅多に子供が生まれない**だからな。だからこそ、盗めたわけだが』
『出産にアイツらが立ち会えてラッキーだったよなぁ。二個ほぼ同時に出て来たから、とっさに***で一つ包んで****したらしいけど、よく持ち出せたよな』
『まあ、長年の信頼のおかげだろ。潜入した奴らは、こいつの親に最長で**代も仕え続けてるらしいぞ。今も―――』
研究員達から盗み聞いて、少しずつ知識が幼竜の中に降り積もる。
―――母竜は、仔竜が盗まれたと知らない。
―――双子だと気付いていなかった。
―――誰にも気づかれることなく、攫われた。
つまり、と幼竜は閉じていた目を開き、生まれた時からずっと眺めて続けて来た、真っ白な部屋を檻越しに眺めた。
―――助けは、こない。
どこかで、ナニカが割れる音がした。
***
水底から引き揚げられた子供は、数度嘔吐いて水を吐くと、息も絶え絶えに周囲にいる大人を見上げた。助けてくれた赤髪の女性、こちらを観察する鋭い眼光の男性、毛布を持った中年男性、その他さまざな老若男女が、心配そうに子供を見つめていた―――白衣ではない恰好で。
見たことない服装の、何か荷物を背負った大人たちが、薄い青の瞳にハッキリと映った。
―――助け、られた? 助かった? でも、
最初に脳裏を過ったのは、逃走中に垣間見た、他の『実験体』の存在だった。まだ小さな子供もいた。虚ろな目をした、誰も助けてはくれないと悟っている、沢山の瞳が、まだ、あの場所にいる。一人では、助けられないと思った。でも、もしかしたら。
「―――ジ」
掠れて、震えた声が、口から零れる。
「―――ジ、ッケ」
誰かに話しかけるのは初めてだった。
「もう大丈夫だよ。大丈夫、君は助かったんだ!」
子供に毛布を羽織らせて、安心させようとした中年男性に、子供はフルフルと首を振った。
「ジ、ケタ、イ。……ジッケン、タイ」
途切れ途切れに告げられる単語に、黒髪の男性が同色の目を見開き、子供の両肩を掴んだ。
「『実験体』か!? まさか……おい、赤の!」
大人たちの一部が集まり、何かを相談し始める。意図が上手く伝わったようだ、と肩の力を抜いた子供の腹から、クゥゥと音が鳴る。それに、彼女の横にずっと付き添っていた中年男性が、強張った顔を少し和らげた。
「……もう大丈夫だよ。君も、君が助けて欲しい人達も。もう、大丈夫。……さて、君、林檎は好きかい?」
***
ポレッタは、あの頃よりは、大分話せるようになった。だが、まだ、この人には敵わないなと思っている人がいる。
「あれ、いらっしゃい、ポレッタちゃんと……ああ、君! 昨日、大通りを女の人達と一緒に歩いていた子だよね。おじさんのこと分かるかな。あの時は急に話しかけてごめんね。ちょっとだけ、気になることがあったんだ。おいで、特等席に案内しよう。……ここ、常連さんだけを案内する個室なんだ。他の人は入って来ないから、ゆっくりしていってね。中庭が見えるかい? そう、あの木の上に白い孔雀がいるだろう? 他にも色んな動物がいるから、ケーキセットを用意している間、探してみてごらん。……ポレッタちゃん、ちょっとこっち、手伝ってもらえるかな。……あの子と一緒にいた女の人達、ちょっとヴィクトリアさんに頼んで指名手配しちゃってるんだけど、不味かったかな? ……夕飯の買い出しに出掛けた時に、すれ違ったあの子の表情がどうにも気になって、手を繋いでいた女の人に話しかけたんだ。そしたら、話してる間にあの子が消えちゃって、女の人と、一緒にいた護衛みたいな人達も大慌てでさ。あの子を探すのを手伝いますって言ったんだけど、断られて、走ってどっか行っちゃったんだ。それで、もしかしたらあの子、何かトラブルに遭ってる可能性があると思って、念のためにヴィクトリアさんのお店にお邪魔して、全員の特徴と、連れ去りの可能性を伝えてあったんだけど、余計なお世話だったかな。……あ、大丈夫だった? よかったぁ」
さりげなく黒竜少年と護衛騎士たちを個室に残し、ケーキセットを運ぶ手伝いという名目で店頭へと移動しながら受けた説明に、沈黙拝聴受付嬢ポレッタは、さすがポールおじさん、略してさすポーと尊敬の眼差しを彼に向けた。受付嬢として見習いたい対人観察眼である。
―――グッジョブです、ポールおじさん。ご領主様に仔竜誘拐犯の捕縛を命じられた騎士様達が、半刻で該当者を連れ帰った理由が分かった。早過ぎでは? と思っていたが、なるほど、ヴィクトリアさんのところの酒場地下にある『VIP席』に案内されていたのか。
青少年の健全な育成に悪いという理由で、誘拐犯に関する情報をほぼ教えて貰えていない過保護反対幼竜は、すごいなポールおじさん、と感心していた。領都随一の『僕また何かやっちゃいましたか』系主人公ポールおじさんの目に留まったのが、誘拐犯の運の尽きだった。
なお、誘拐事件を受けて過保護度が増し、ここにも付き添ってきていた翼覆役ジャンは、一体いつ息継ぎをしているんだ、この人族、とポールおじさんの人知を超えた心肺能力に慄いていた。
***
シゴデキ☆パティシエのポールおじさんは、今日も冴えわたった腕をしていた。秋の味覚大好受付嬢ポレッタは、ケーキセットのトレーに乗せられた宝石のようなモンブランに目を輝かせる。それをニコニコと眺めていたポールおじさんは、試作品だよと言って、カートにもう一つケーキを乗せた。こちらもモンブランだ。
「こっちは栗のと土台を変えてみたんだ。サクサクに焼いたクレープ生地を重ねて台にして、その周りに砕いた生地と生クリームを塗してあるよ。食感が変わって楽しいかなって。良かったら感想を聞かせてね」
ポレッタはホクホク顔でケーキセットを乗せたカートを押して個室へと戻った。黒竜少年がこちらを振り返り、あの茂みにリスがいて、あの池の畔に、岩に擬態した大きな鳥がいると指差す。楽し気な笑顔に、先日保護した時の陰りはない。
―――この仔が無事で、本当に良かった。
捕まった誘拐犯がどうなるかなど知ったことではないが、とポレッタはモンブランの栗にフォークを突き刺した。
―――アイツら、まだ、諦めてなかったのか。
口に入れた栗を噛み砕き、幼竜は誰にも聞こえぬ小ささで『グルルゥ』と唸った。




