誰かの服を着た日
1999年の夏、世界が終わるなんて予言は、俺たちにとってはどうでもいい退屈しのぎのネタに過ぎなかった。ただ、あの妙にジメジメした熱気が俺たちの理性を少しずつ狂わせていたのかもしれない。
「おい、今夜、学校のプールに忍び込もうぜ」
コンビニの前、自販機の光に集まる虫を眺めながら俺はあいつを誘った。あいつは、胸騒ぎがするなんて言って、結局ノリ悪く帰っていった。
「あいつ、マジで損してるわ」
俺たちは暗闇の学校へと向かった。
フェンスを乗り越え、ひんやりとしたコンクリートの床を踏む。真夜中のプールは、昼間の喧騒が嘘のように静まり返っていた。誰からともなく服を脱ぎ捨て、全裸で水に飛び込む。
「冷てえ! 最高じゃん!」
水飛沫を上げ、抑えた声で笑い合う。背徳感と解放感が、俺たちの脳を極上の興奮で満たしていた。自分たちが世界の中心にいるような、そんな全能感すらあった。
だが、その楽園は一瞬で地獄へと変わる。
「おい! そこで何をしてる! 動くな!」
突然、暗闇を引き裂くように強烈なライトの光が差し込んだ。怒号と共に、複数の重い足音がプールサイドに響き渡る。警察だ。
刹那、血の気が引いた。全能感なんて一秒で吹き飛んだ。
「やべえ! 逃げろ!」
プールから這い上がり、パニック状態で暗闇の中の衣服へ飛びつく。まともに着ている時間なんてない。俺はとにかく誰かのTシャツとズボン(恐らく自分の)をぐちゃぐちゃに掴み、濡れた体のまま、無我夢中でフェンスへと走った。背後で誰かが派手に転ぶ音や、警察官の止まれ!という叫び声が聞こえるが、振り返る余裕なんてあるはずがなかった。
フェンスをがむしゃらに乗り越え、学校の裏手に広がる暗い農地へと飛び出す。
心臓が口から飛び出そうだった。遠くでサイレンの音が近づいてくるのが聞こえる。あちこちから警察官の怒号が響き、ライトの光が夜空をせわしなくクロスしていた。捕まったら終わりだ。親に知られる、学校にバレる、人生が詰む。
「こっちを探せ! 衣服を持って逃げた奴がいるはずだ!」
すぐ近くまで声が迫っていた。万事休す。俺は目の前にあった畑の畝の隙間へと、文字通り滑り込んだ。土の匂いと湿った草の感触が顔にまとわりつく。細い畝の間に身をすくめ、息を殺して地面に同化した。
カツ、カツ、と容赦ない靴音がすぐ近くのアスファルトを叩く。ライトの白い光が、俺の頭上を何度も通り過ぎていった。
(頼む、見つからないでくれ……!)
きつく目を閉じ、神に祈った。心臓の音が大きすぎて、警察に見つかるんじゃないかと本気で恐怖した。
それから、どれほどの時間が経っただろうか。
遠くで誰かが確保されるような騒ぎ声が聞こえた気がした。まさか、誰か全裸のまま走って逃げたのか? そんなバカな想像が頭をよぎったが、確認する術はない。
警察の気配が遠のいてからも、俺は動けなかった。体は濡れたままで、夜風が吹くたびにガタガタと震えが止まらない。畑の土が肌にへばりついて気持ち悪かったが、恐怖が勝っていた。
結局、俺はその畝の間で、まるまる2時間じっと耐え続けた。
ようやく辺りが静まり返り、遠くのサイレンも完全に消えた頃、俺は泥だらけの体をゆっくりと起こした。手元に残った服は、泥とプールの水で最悪の泥団子のようになっていた。それを震える手で無理やり身に付け、誰にも見つからないよう、影から影へと移動しながら、命からがら這うように帰宅した。
その日、あいつの胸騒ぎがしたという言葉が、予言なんかよりよっぽど当たっていたことを思い知ることになった。




