世紀末全裸王
1999年の夏、世界が終わるなんて大真面目に信じていたわけじゃない。ただ、あの妙な空気のせいで、俺たちのネジが数本ぶっ飛んでいたのは間違いなかった。
「おい、今夜、学校のプールに忍び込もうぜ」
タカシのその一言に真っ先に最高じゃん!と乗っかった。断って帰っていったあいつの冷めた目なんて、あの時の俺たちにはどうでもよかった。夜のプール、ぬるい夜風、そして誰もいない背徳感。服を脱ぎ捨てて水に飛び込んだ瞬間、俺たちは間違いなく無敵だった。
けれども、それはたちまち絶望へと変わる。
「おい! そこで何をしてる! 逃げるな!」
突然、暗闇を切り裂いて強烈なライトの光が差し込んできた。心臓が跳ね上がり、プールサイドは一瞬でパニックに陥る。
「やべえ! 逃げろ!」
みんなが悲鳴を上げながらプールから這い上がり、暗闇の中で自分の服へと飛びついた。俺も大慌てでコンクリートの上を手探りで探す。しかし、ない。いくら探しても俺のTシャツもズボンも、どこにも見当たらないのだ。
「おい、俺の服は!? 誰か間違えて持ってったろ!」
叫んだが、誰も答えない。みんな自分の服をひったくるように掴むと、蜘蛛の子を散らすようにフェンスへと走っていく。暗闇の中、焦れば焦るほど手元はおぼつかなくなり、衣服の捜索に決定的な数秒を奪われてしまっていた。俺だけ逃げ遅れた。
プールの入り口から警察官の影がなだれ込んでくるのが見えた。
「待て! 止まれ!」
目の前まで迫るライトの光。俺はもう服を諦めた。一糸まとわぬ姿のまま、がむしゃらにフェンスにしがみついた。狂ったように金属の網をよじ登り、ギリギリのところで向こう側へ飛び降りる。
着地した瞬間、辺りを見回したが、すでにタカシたちの姿はどこにもなかった。あるのは、闇と、すぐ後ろから聞こえる重い靴音だけだ。
「おい! 待て! 確保! 確保しろ!」
背後から響く警察官の怒号が、耳の奥でガンガンと鳴り響く。
もう完全にパニックだった。頭の中は真っ白になり、自分が全裸であることの恥ずかしさすら消し飛んでいた。これは絶対に面倒な事になる。その恐怖だけで、俺は夜の街へと走り出した。
生い茂る草をかき分け、気がつけば、街灯が白々と照らす広い大通りへと飛び出していた。
深夜とはいえ、遮るもののない大通りだ。一刻も早く物陰に隠れなければならない。そう思った瞬間、どこからか、鋭い悲鳴のような声が降ってきた。
「放火魔が出たぞ──っ!!」
(は? 放火魔!?)
一瞬、自分のことだとは分からなかった。それでも、その声は俺を指しているようだった。
くそっ、違う! 俺はただプールで泳いで服をなくしたバカな高校生だ! 放火魔なんて犯罪者と一緒にしないでくれ!
それとも、まさか、俺の服は燃えてなくなってしまったのか!?
いや、燃えてしまうわけがない。俺の服は一体どこにあるんだ?
俺は違うと叫びたかったが、激しい呼吸のせいで声にならない。
その時、前方約50メートルの暗闇から、ママチャリが走ってくるのが見えた。乗っているのは、いかにもな近所のおばさんだ。
全裸の男と、深夜の主婦。普通なら、悲鳴を上げて逃げ出す局面のはずだった。
だが、そのおばさんは違った。
俺の姿を視界に捉えた瞬間、おばさんの目が不動明王のようにカッと見開かれた。そしてあろうことか、自転車のハンドルをまっすぐ俺に向けて固定し、立ち漕ぎで加速し始めたのだ。
「うおおおおお!」
避ける間もなかった。おばさんは、ものすごい形相のまま、ガシャーン!!と轟音を立てて、俺に向かって自転車ごと正面衝突(渾身の体当たり)をかましてきた。
「あぶふっ!?」
凄まじい衝撃と共に、俺はアスファルトに叩きつけられた。背中を強打し、肺の空気がすべて引きずり出される。
「いやあああ! 変質者よ! 誰か来てえええ!」
自転車の下敷きになり、痛みに悶絶する俺の頭上で、おばさんが鼓膜を破らんばかりの悲鳴を上げている。体当たりしてきたのはそっちだろうが、と呪いたかったが、指一本、声一つ出せない。
「確保だ! 動くな!」
少し遅れて、息を切らした警察官たちが大挙して押し寄せてきた。
冷たいアスファルトに容赦なく顔を押し付けられ、ガチリと手錠がかけられる。
1999年の夏、世界は終わらなかった。
だけど、自転車の金属フレームの重みと、押し付けられた地面の硬さを確かに感じていた。




