第1章 8話 イルブ=コールマン②
「でニクス様、礼の件ですが」とドレンが言う。
「分かっている。お前の仕事はヴェイン陛下に報告する」
「お願いしますね」
「ああ。ヴェイン陛下直々の勅令だからな」
「しかし、魔鉱山の落盤事故を起こすなんて、ヴェイン陛下は何を考えられてるんですかね?」
「声が高いぞ!!ドレン!!機密の仕事なのだ!!この内容は俺とヴェイン陛下、そしてお前しか知らんのだ!!」
ニクスの怒声が飛んだ。
「す、す、すみません。私としたことがうっかり」と平謝りするドレンを一瞥し、ニクスが呟いた。
「魔鉱石の採掘に陛下はご執心だ。そのヴェイン陛下が魔鉱石を減産してまで……」
ドレンにも聞こえる声だったが、ドレンはヘラヘラと愛想笑いをしているだけだ。
(こいつは使いっ走りには使えるが、言われたことしかできない男だからな)
「しかし、いいタイミングでいい能力者が見つかったものだな」とニクスがニヤリと笑った。
「ええ。5年ほど前に、とある商人が息子が能力者かもしれないと私に預けてきたんですよ」
「まさに渡りに船だな。証拠は残すなよ」
「分かってますとも。仕事が終われば記憶を消してますので」
イルブの足が震えだした。
いや、"エアノーラ"で気体化した足が震えるはずがない。
でも震えているのだ。
ラジオで聞いた。
魔鉱山での落盤事故。
今年に入って2回は起きている。
少なからず死者も出ていた。
もしかして俺が?
恐怖で足が動かなくなってきた。
その時——
「次は7月10日にD地区だな。ぬかりはないか?」
「はい。先日イルブに落盤事故が起きるよう、5、6箇所に爆弾を仕掛けるよう命令しましたので」
「そうか。落盤事故が起きたら、またこちらから連絡する」
「わかりました。陛下にもお口添えよろしくお願いします」
挨拶を交わし、ニクスとドレンは部屋を出た。
決まった。
商人の息子と言われ、他にも商人の息子がいるかもと少し期待したが——はっきりイルブと聞こえた。
ますます足が震え、立っているのがやっとだった。
でも"エアノーラ"が切れてしまうかもしれない。
ここで見つかったら命はないだろう。
心がどこかに持っていかれそうなのを踏みとどめ、窓から何とか脱出した。
部屋に戻り、少しずつ冷静になっていく。
カレンダーを見た。
今日は6月30日だ。
まだ間に合うかもしれない。
記憶を探る。何も思い出せない。
頭の中でドレンの言葉が蘇る。
「記憶を消した」——
心当たりはあった。
6月の末の頃、おそらく2,3日前の、ある日の記憶がないのだ。
いつも通り夕方5時に訓練が終わった後、気がつくと朝の3時だった。
居眠りのつもりが熟睡でもしたかと深く考えなかったが——
きっとあの日に違いないと確信した。
グレートランド歴1772年6月30日 夜7時
イルブは何事もなかったように夕食を摂った。
離れの仲間数人と一緒に食卓を囲む。
でも頭の中では、すでに脱出のシミュレーションが完了していた。
(今日、決行する。ドレンに怪しまれないよう、伏線を張っておくか)
「……なあ。俺、最近ここでの仕事が嫌になってきたよ」
ポツリと不満を漏らすと、願ってもない返事が返ってきた。
「お前もか?」「マジかよ」
同僚が食いついてくると、イルブは溜まった毒を吐き出すように続けた。
「暇なのはいいけど給料は安いし、ドレン様はケチだしな。その上、可愛い女の子との出会いもありゃしない」
半分本心、半分建前。
「違いねえな」と同僚は笑って相槌を打った。
そういう無駄話を30分程し、
ドレン邸での「最後の晩餐」が終わった。
風呂に入り、他の従者が寝静まるのを見計らってスッと起き上がった。
小銭と3回分のマナを補充できるだけの魔鉱石をポケットに入れ、立ち上がる。
離れの廊下を静かに歩き、玄関に差しかかったところで精神を統一した。
【エアノーラ】
最初に目指すのは、スラムに通じる階段だ。
そこまでは難なく行けるだろう。
問題はそこからだ。
スラムに関する知識は皆無。
人脈も何もない。
あるのは一握りのコインと魔鉱石だけだった。
門番がいようがいまいが"エアノーラ"を発動しているイルブには関係ない。
ちょっとした隙間があればいいのだ。
おしゃべりに夢中の門番を横目に、地下スラムへと移動していく。
スラム街に足を踏み入れ、"エアノーラ"を解除した。
——想像とは随分違うな。
汚く野蛮な人間の巣窟だと聞いていたが、むしろ整備されていて、地上より合理的に作られた町並みだった。
観光気分になりそうな気持ちを抑え、1,2kmか歩きこじんまりとした宿屋を見つけた。
「すみません。泊まるにはいくらぐらいかかりますか?」
「もう遅いからね。朝までなら小銀貨2枚だよ」と思ったより愛想のいい女主人が言った。
ポケットの小銭を確認する。
小銀貨7、8枚と小銭が数枚。
これからどうなるか分からないのに、無駄遣いはできない。
「すみません、少しお金が足りないので、また今度お願いします」
すると女主人が値踏みするようにイルブを見た。
「若いね。どこから来たの?」
「ヨークの上層階から来ました」と正直に答えた。
「ふーん、上層階からこんな時間に。訳ありかい?」
「そんなところです」と笑って返す。
「なら、いいよ。タダで泊めてやるよ」
「えっ、いいんですか?」
「ただし朝食も何もない、まだ掃除もしてない部屋だよ」
「ありがとうございます。ついでに少し伺ってもいいですか?」と畳みかける。
「なんだい、面倒はゴメンだよ」
「D地区はどの辺りですか?」
「蒸気機関車の駅から内回りで3つ目だよ」
「歩いたらどれぐらいかかりますか?」
「40分から50分ぐらいかね」
「分かりました。ありがとうございます」
と礼を言うとイルブは部屋に戻り束の間の睡眠をとった。
グレートランド歴1772年7月1日 朝
朝が来た。
女主人に礼を言い、宿屋を出る。
早めに出るつもりが、もう朝8時を回っていた。
D地区に向かうの決まっていたが。
でもいきなり魔鉱夫として雇ってもらえるわけがない。
たとえ雇ってもらえたとしても、仕事の合間に爆弾の除去作業などできるとは思えない。
治安隊?
魔鉱夫組合?
に駆け込むか?
でもこんな荒唐無稽な話を信じてもらえるだろうか?
下を向いて考えながら歩いていると——一人の女性にぶつかった。
40前後だろうか。
品のある金髪を後ろで束ねた、美しい女性だった。
「あっすみません」とイルブが謝ると
「こちらこそ、ごめんなさい」その女性が一言言った。
そしてその女性と目が合った瞬間、目が吸い込まれるようだった。そして女性が一言いった。
「貴方——能力者?」




