第1章 5話 国の歴史
定時のチャイムが鳴り、着替えを済ませて外に出ると——
イルブの姿はなかった。
(先に帰ったか)
一人で蒸気機関車に乗り込み、帰宅の途につく。
家に帰ると、テーブルでソラが母と談笑していた。
「お帰りお兄ちゃん」と笑顔を向けてくる。
「ああ、ただいま。今日は勉強はいいのか?」
「うん。今日は課題が出なかったから、ゆっくりしてるよ」
といたずらっぽく微笑んだ。
キッチンから母が顔を出す。
「お帰りジョルカ」といつもの笑顔だ。
「ただいま、母さん」
「今日もお疲れ様。キャベツが安かったから、今日はロールキャベツよ」
「そうなの?やったぁ」とソラがはしゃいだ。
着替えを済ませ、ラジオを聞きながらソラと他愛ない話をして夕食を待っていると——
親父が神妙な面持ちで帰ってきた。
この顔で帰ってきた時は、だいたい悪い話が出る。
3人とも同じ認識だったのだろう。
談笑がピタリと途切れた。
「ただいま」と親父が無愛想に言った。
誰も返事をしなかった。
家族4人でロールキャベツを食べながら、数分が経った頃。
親父が口を開いた。
「ヴェイン王が、魔鉱石の採掘促進とそれに伴うスラムへの増税を考えているらしい。さらに魔鉱革命を更に進化させ、隣国への侵攻も視野に入れているようだ」
誰も言葉を返さなかった。
(戦争が起きるのか?)
母も、ソラも不安そうな顔をしている。
4人とも同じ気持ちなのだろう。
ロールキャベツの湯気だけが、静かに立ち上っていた。
楽しいはずだった団欒が、終わった。
少しの沈黙の後、親父が重々しく口を開いた。
「前王がご逝去され、我が国グレートランド王国は変わった」
俺が生まれる前の話だから、歴史で習った程度の知識しかない。
昔のグレートランド王国は農業、漁業、林業、酪農——いわゆる第一次産業が盛んな、自然豊かな国だったらしい。
それがざっと40年前、ボルト氏が発明した魔鉱機関によって国の形が変わった。
いや、正確には現国王ヴェインが変えた。
最大のきっかけは約20年前だ。
この国の地下深くに大量の魔鉱石が埋蔵されていることが発見されたのだ。
当初、魔鉱石は貴重品で燃料に使えるものじゃなかった。
一部の貴族がアルカナ(特殊能力)を使うためのマナ(魔力)を補充するためだけのものだった。
それに目をつけたヴェインが魔鉱石を燃料として扱うスチームテクノロジーを開発・推進し、「魔鉱革命」と銘打って社会を一変させたのだ。
「現国王ヴェインは、魔鉱石に取り憑かれている。他国を侵略してでも手に入れたいと思っているかのようだ……」
ソラが心配そうに親父を見た。
「やだ。戦争が起きるの?私、人が傷つくの嫌い」
「分からん。しかしヴェインならやりかねん」
そして親父は少し声を落とした。
「昔からあいつは、気に入った物は何でも手に入れないと気がすまない奴だったからな……」
「親父?」と聞こうとした瞬間——
「あなた!!」と母が親父をたしなめた。
ガルドは我に返ったように顔を上げ、堰を切ったように続けた。
「とにかく、ヴェインが国王になって私腹を肥やしてるのは王と一部の貴族だけだ!そんな事に国民を巻き込んではならんのだ!!」
(ここまで熱くなる親父は珍しい)
でも(戦争となれば事が事だからな)と納得もした。
俺も思った。
(人の役に立つと思っていた仕事が、人を殺すための仕事になるなら——魔鉱夫なんてやってられないぜ)
「確実に戦争になるのか?」と親父に聞いた。
親父は一息ついて、俯いた。
「俺の見立てでは、1年以内に70%の確率で戦争になる」
答えは聞こえた。
でも今の俺に、できることは何一つなかった。
胸の動悸が止まらない。
昨日の事故とは、まったく異質の恐怖だ。
当然だ。事故と戦争じゃ、訳が違う。
親父の言葉が頭をよぎる。
「私腹を肥やしてるのは王と一部の貴族だけだ!」
全くだぜ。
見ず知らずの人間のために、俺は汗水垂らして仕事してるのかよ。
今までは自分のため、家族のために働いてきたつもりだった。
でも親父の言葉を聞いて、行き場のない怒りが込み上げてきた。
ギリっと奥歯を強く噛んだ。
そんな時、ドアをノックする音が聞こえた。
返事もせずドアを開けると——ソラだった。
「ちょっといい?」
部屋に招き入れると、少しの沈黙の後、ソラが口を開いた。
「私たちどうなるのかな?少し怖いな……」
当然だ。
家族全員、戦争の経験なんてない。
漠然とした不安は誰だってあるだろう。
ましてソラは13歳の女の子だ。
どう声をかけてやればいい?
「大丈夫だ」?
「俺がついてる」?
何を言っても陳腐な気がして、言葉が出てこなかった。
時間が経って、やっと出た言葉が——
「心配するな。お前は将来のことを考えて、今まで通り勉強を頑張れ」
それだけだった。
「うん」とソラは頷いて、軽く微笑んだ。
しばらくして、ソラが言った。
「お兄ちゃん覚えてる?私がヨーク公立学校に進学を目指すことになった時、初等学校の男の子から絡まれそうになったのを、お兄ちゃんが守ってくれたの」
——あの日のことだ。
通学路を歩くソラに、同級生3人が周りを囲むように近づいていった。
「おい、ソラ。お前、進学するのかよ?」と一人が冷やかすように言った。
ソラは黙っていた。
「なんだよ、俺らスラムの人間は無視かよ!!」
「そうだよな、あんな立派な豪邸に住んでるんだもんなw そりゃ俺達なんて無視だよなw」
「豪邸でも同じスラムだけどなw」
「おい、聞いてるのかよ」
それでもソラは我慢していた。
「お前の兄貴だけは落ちこぼれなんだなw 俺達と一緒、魔鉱夫だもんなw」
その瞬間、ソラの我慢が限界に達した。
「私の事は——!!」
言い返そうとしたその時。
3人の背後に、仕事終わりのジョルカが立っていた。
180cmを超える体。
魔鉱夫としては線が細い方でも、12、13歳の子供からすれば別の話だ。
身長差は30cm、中には40cmある同級生もいた。
3人は明らかに動揺した。
「なんだソラ、この同級生は友達か?」
「うん、同じクラスの男の子よ」
「そうか」
鋭い目で3人を見て、静かに一言だけ言った。
「うちのソラが世話になってて悪いな。これからも仲良くしてやってくれ」
蛇に睨まれた蛙だった。
「……分かりました」
小さく答えた3人は、一目散に別の道へ消えていった。
「ありがと」とソラが一言言った。
「俺は仲良くしてやってくれと言っただけだぞ」
ジョルカは微笑んだ。
「そんな事あったかな?」と惚けてみせると、ソラは笑った。
「お兄ちゃんっていつもそうだよね。いつも私がしたいことを後押ししてくれる」
そして少し真剣な顔になって言った。
「私ね、やっぱり魔鉱医学の道を勉強したいな」
「なら最初の敵は親父だな。戦争より手強いぞ」と軽口を叩く。
「そだね。まずはお父さんと戦わなくっちゃ」
笑うソラの頭をポンポンと叩いて、「ああ、俺はソラの夢を応援するぞ」と言った。
不安なのはソラだけじゃない。
俺だって不安だ。
でも——元気づけられたのは、俺の方だった。




