第2章 5話 その頃のドレン
グレートランド歴1772年7月2日 午前11時
まさか、あの小僧が……
5年も面倒を見て、手塩にかけて育て、やっと戦力になったというのに。
ドレンは、3階から見える男子寮と、庭を手入れしている小間使いを見て、忌々しく思った。
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——その3時間ほど前——
ドレンはベッドから出て、自室に用意された簡単な朝食と紅茶を口にしながら、前日に同じ部屋で行われたニクスとの会談を思い出していた。
イルブに、D地区の魔鉱山に荷物を持って行ってくれと指示し、魔鉱山の地図と爆弾を渡した。イルブは、指示通りD地区魔鉱山に荷物(爆弾)を置いてきた。
(7月10日に爆弾が爆発し、落盤事故が誘発されれば——今度こそニクス伯爵は、俺を子爵にしてくれるだろう……)
そんな皮算用に、ドレンは思いを馳せていた。
朝食のパンを食べ終え、紅茶を飲み干そうとティーカップを持った——その時、ドアがノックされた。
「誰だ?」
威厳のない声で偉そうに言う。
「ドフレです」
「何だ?」
「イルブの奴なんですけど……」
「分かった。入れ」
不機嫌に言うと、ドアが開いてドフレが封筒を1つ片手に入ってきた。
ドレンは、嫌な予感がした。いや——ドフレのやや緊張した顔と封筒を見て、察しがついた。
確認の為に聞く。
「どうした?」
ドフレは言いにくそうに言った。
「イルブがいなくなりました」
予想通りの答えだったが、ドレンは憤った。
「お前たちは、イルブが普段と違った事に気が付かなかったのか?」
誰かに当たらずにはいられなかった。ドフレは、昨日の会話を思い出して言う。
「昨日、仕事の不満を漏らしてたんですけど……昨日の今日だったんで……」
「……いい。その封筒は、イルブの書き置きなんだな?よこせ!!」
ドフレから差し出された封筒を奪い取る。乱暴に封を開け、中身を確認した。
『この生活に疲れました。もっと僕に合う仕事を探します。
——イルブ=コールマン』
ドレンは、愕然とした。
5年という時間をかけ、少なからず給料を渡し、食事や生活の面倒を見てきた。
それが——たった1行の文章と署名だけ。
腸が煮えくり返る。その空気を感じ取ったドフレが慌てて言った。
「それでは私は、庭の手入れをしてきます」
逃げるように部屋から出ていく。
ドアが閉まった瞬間——ドレンは、手に取ったティーカップをそのまま床に叩きつけた。
パリーン。
砕け散るティーカップを見て、奥歯を噛み締める。
「イルブの奴め……」
小さく呟いた。
今、ドレンの脳内を2つの思いが交錯していた。
1つは、イルブの不義理への怒り。
もう1つは、またニクスから落盤事故の誘発依頼が来た時の対策だ。
また手を打たないとな……
一旦腰をかけて、廊下に向かって怒鳴った。
「誰か?誰かおらんか?」
しばらくして、ノックの音がした。
「入れ!」
ドアが開き、最近雇ったオレンジ色の髪の女中——テスが入ってきた。息が少し上がっている。
「遅い!何分待たせるんだ!!」
廊下で作業中だったのだろうが、そんな事はドレンには関係なかった。
「ティーカップを落としてしまった。掃除してくれ」
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グレートランド歴1772年7月11日 午前12時
ドフレの報告から、4時間ほど経っただろうか。さすがのドレンも、少し落ち着いてきた。
そろそろ昼のラジオがニュースを放送する頃だ。
自慢の大理石のテーブルとセットになった、成金趣味丸出しの白いソファーに腰をかけ、ドレンはその時を待った。
10分ほど待っただろうか。
ラジオが流れる。
無機質な音の後、アナウンサーの声がいつもと違う——悲しげな、沈痛なトーンで始まった。
「大変な事故が起こりました。7月10日午前10時、魔鉱山のD地区で落盤事故が発生しました。詳しい事は分かっておりませんが、現場担当者の話によりますと、死者が数名出ているようです。事故が起こったのは、D地区の第6ブロックです。現場担当者は『なぜこのような事故が起きたか理解出来ない』と話している模様です。亡くなったのは、グレッグ=スミスさん、ジグル=グラスゴーさん、ジョルカ=カーティスさん、ゾッド=チャンさん。今のところ4名の死亡が確認されています。引き続き、詳細が分かり次第ご報告いたします」
「次は明るいニュースで——」
そこまで聞いて、ドレンはラジオを切った。
(取り敢えず、落盤事故の計画は遂行された)
安堵した。が、問題はこれからだ。
またドレンは考えた。どこかに良い駒はいないか。イルブに代わる駒は——
そうそういる訳がない。
ドレンの能力は、対象者の記憶を改竄する"フォールスメモリー"だ。人を騙す事は容易い。
しかし、命令を——人に見つからず魔鉱山に爆弾を仕掛けるという命令を——実行し遂行できる人間など、そうそういないのだ。
(ニクス様の指示は、能力者でないと遂行できない。能力の中でも——姿を消せる能力でないと)
何度考えても、イルブという人間は貴重な存在だった。
ドレンは、もっと給料を上げれば良かったと——見当違いの解決策で後悔していた。
とりあえず、あのコルブ=コールマンという商人の家に帰っていればいいが——と、淡い期待を寄せる。
そこで、ドレンは自室の机の引き出しの鍵を開け、煙草を取り出した。
(もう煙草はやめた筈なのに)
不安と焦燥から、煙草でも吸わずにはいられなかった。
煙草の煙をくゆらせ、天井を見上げて思案していると——
蒸気式通信機のベルが鳴った。最近開発された、蒸気に振動を与えて音にする最新の機械だ。まだ貴族及び一部の成功した商人の家にしか設置されていない。
その自慢の通信機の受話器を取り、丁寧に返答する。
「はい。ドレン=イコスセコです」
通信機が設置されている家は限られている。その中で、ドレンは最下層の人間だ。
電話の相手は、ニクスだった。
「はい、ニクス様。はい。D地区の落盤事故も予定通り。はい」
へつらいながら返事をする。
「はい?……暫く落盤事故の計画は中止する?」
「分かりました。いえいえ、何も安心なんかしてません。また何かありましたら、いつでもこのドレンをお使いください」
通信機を切った。
なぜ計画が中止になったのか、ドレンには知る由もなかった。
ただ——イルブがいなくなった事を踏まえると、正直ホッとするだけだった。
煙草の灰が、自慢の大理石のテーブルに落ちているのが目に入った。
「おい。灰皿がないぞっ!!」
自分が煙草をやめて、灰皿がいらなくなった事を女中に伝えた事をすっかり棚に上げ——
また、叫んだ。
毎週 月曜 木曜 18時投稿予定です。
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十条 閃




