第2章 4話 ガルドの算段
イルブは、ガルド邸の客室でじっとしていた。
前回この部屋に来たのは、1週間ほど前だっただろうか。
あの時の事を思い返す。
(あの時は、必死だったな……)
ドレンの話を盗み聞きしてしまい、D地区の落盤事故を知らなかったとはいえ——気づけば片足どころか、どっぷりと関わってしまっていた。
よかった。本当に、よかった。
イルブは心の中で、ガルドに感謝した。
あの時、ガルド——いや、リアに出会っていなければ、今頃ラジオか新聞で落盤事故の知らせを聞いていただろう。死者も、親しくなったジョルカやジグルを含め、20名ほど出ていたはずだ。
そう思いを馳せ、グッと目を閉じた。
客室に案内されて、30分は経っただろうか。
改めて、部屋の中を見渡す。
壁と机は無垢の木材で茶色に統一され、床にはエンジ色の5m角ラグカーペットが敷かれている。窓際には豪華な机が1卓あり、ペン立てが1つ。その横の壁には、どこかで見かけたような絵画のレプリカが1枚飾られている。
正直に言えば、ドレンの部屋にあったような大理石のテーブルや、ロココ調のシャンデリアはない。お金は、ドレン邸よりかかっていないだろう。
それでも——ガルドの質実剛健な人間性が、この部屋のインテリアに滲み出ていた。
イルブは、贅を尽くしたドレンの部屋より、この部屋の方に好感を覚えた。
さらに5分ほど経った頃、扉がノックされた。
「はい」
イルブが返事をして扉を開けようとする——より先に、扉が開いた。
ソラだった。
「イルブさん、お父さんが呼んでるので、一緒にリビングに行きましょう」
「は、はい」
イルブは返事をした。
客室からリビングへの、短い道中。今はソラの後ろ姿しか見えない。
——だが先ほど、ソラが客室に入ってきた瞬間、イルブはかなり動揺していた。
キッチンでの自己紹介のときから、そうだった。胸が少し締め付けられるような気持ちになっていた。
イルブは、中流階級の子が通う初等学校に通っていた。ドレンの小間使いになってから転校したとはいえ、やはり中流階級の学校だった。
だが——どの学校にも、ソラほど可愛く、品のある女の子はいなかった。
一時、ドレン邸で雇われていた女中のテスに惹かれかけた事はある。でもこんなに胸が高鳴る事は、なかった。
後ろ姿しか見られないのが、残念だった。
そうして短い2人だけの時間が過ぎ、リビングに通される。
ソラに促されるまま、イルブはジョルカの隣に座った。ソラは、ジョルカを挟んだ向こう側にいる。
落盤事故が起きた、この同じ日に——女の子に心を揺さぶられるなんて。
自分はどうかしている。不謹慎だとは思う。
それでもイルブは、自分の気持ちが高鳴るのを抑えられなかった。
イルブがソラに誘導されるまま、ジョルカの隣に座ると——ピンと張り詰めた空気に、少し緊張した。
先ほどの食事中も重い空気だった。だが今は、その重さが段違いだ。
(この30分ほどの間に、何があったのかな?)
イルブが席に座って1分ほど経ち、ようやくガルドが重い口を開いた。
「イルブ君、待たせたね」
「いえ、とんでもありません」
改めて、ガルドが口を開く。
「イルブ君、今日の落盤事故で怪我人は1人出てしまったが……」
わざとらしく笑顔を見せ、ジョルカを見た。
「んだよ!」
ジョルカが不貞腐れたように返事をする。
「あっ、あのジョルカさんの怪我は、僕の不注意なんで……」
イルブが慌てて言いかけると、ガルドが笑った。
「いいんだ、いいんだ。イルブ君が来てくれてなかったら、ジョルカは今頃天国だったかもしれんのだから。ガハハ」
イルブは、空気が重いと思ったのは気のせいだったか、と思い直した。
「そこでだ、イルブ君」
ガルドが、じっとイルブを見る。
「このまま誰も死者が出ていない事を、どう思うかね?」
「?」
意味が分からなかった。
「死者が出なかった事は、いい結果だと思いますが?」
「うん。大変良いことだ」
そしてガルドは言った。
「だが——ドレンは、どう思うかな?」
「!!」
イルブは、ガルドが言わんとしている事を理解した。
その表情の変化を確認して、ガルドがイルブに提案する。
「イルブ君。君は、ドレン邸から逃げ出した。そして落盤事故が起こったが、死者も怪我人も出ていない……」
一息ついて、ガルドはイルブを見る。
「……」
何も言葉が出てこない。
誰も死ななかった。怪我人も出なかった。それでいいと思っていた。
だが事は、そう単純ではなかった。考えが浅かった。
ガルドが先手を打ってくれていたのを、イルブも理解した。
「つまり——僕が逃げ出して、落盤事故が起きなかったら、僕が裏切ったのが明らかになる。それを避ける為に、わざと落盤事故を起こしたって事ですか?」
察しのいいイルブを見て、ガルドがニッと笑った。
「この事は、儂自身、想定内なんだ」
「なぜ、儂が君に爆弾除去を命じず、爆弾の場所と逃げ道をジグルと協力して探せと命じたのか……」
イルブは、ガルドという人間の思慮深さに感服した。
ガルドは前かがみになっていた姿勢を止め、椅子の背もたれに体を委ねて言った。
「勿論、理由はそれだけじゃない。まぁ——落盤事故が起きてくれた方が、儂も都合が良かったからな」
察しのいいイルブでも、最後の部分は意味が分からなかった。
(落盤事故が、都合がいい?)
疑問は残った。それでもガルドが、自分の都合が悪くならないよう考えてくれているのは理解できた。
「ここからなんだが……ジョルカ、お前は落盤事故で死んだ事にする。ジグルにも、言ってある」
ジョルカも、ガルドの話を聞いて目的と計算高さを理解した。
(やっぱり親父は、1枚も2枚も上手だ。親父は、立て続けに起きた落盤事故を不審に思っていた。そこにイルブが来た。そして、それを利用した。俺が死んだ事にすれば、奴らの目的は達成されたも同義。もう落盤事故は起こらない)
ガルドは、ジョルカの顔を見て、作戦の意味を理解してくれたのを無言で確認した。
「ジョルカ、死んだお前が普通に生活してたら——おかしくねぇか?」
「おかしいかもしれないけど、どうしようもねぇだろ?」
「どうしようもないが、生きてる事が相手にバレる事態は、極力避けたい。いや、絶対に避けなくてはならない」
「……」
ジョルカは黙って、ガルドの言葉を待った。
「ジョルカ——お前は明日から、アッシュと名乗れ。アッシュ=ジョーカーだ!!」
「アッシュ=ジョーカー……」
これから自分の名前となる名を、ジョルカは静かに呟いた。
「そうだ。アッシュは、異国の言葉で『灰』——破壊されて残る物という意味だ。この今の世界を灰にする。そしてジョーカーも異国の言葉で『切り札』という意味だ」
「お前は今から——この腐った世界を灰にする切り札になるんだ!!」
今まで慣れ親しんだジョルカという名前が変わる事に、抵抗はあった。それでも、ひとまず受け入れる事にした。
ガルドが、今度はイルブを見た。
「イルブ君、そういう事だ。これからジョルカの事は、アッシュと呼んでくれ」
「はい。と言っても——僕は今まで先輩と呼んでたので、問題ないと思います」
「それなら、そのままでいい」
ガルドは、2人の頼もしい若者を見渡して、言った。
「さて——ここからは、俺達のフェーズだ」
毎週 月曜 木曜 18時投稿予定です。
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ジョルカたちの行く末を、ぜひ見届けていただけると嬉しいです。
十条 閃




