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記録官の断章 〜解体される怪異〜  作者: 早河縁
第四章 新生篇
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第三話 夕餉

 人間というものは、食事の場で本性が出る。


 どんな言葉を選ぶか。

 どんなものを好むか。

 だれへ先に酌をするのか。

 どの話題で笑い、どの沈黙を避けるのか。

 そういう些細な振る舞いの積み重ねが、その家の空気を形作ってゆく。


 だからこそ、人間は祝い事のたびに食卓を囲むのだろう。

 そういった席では、その家の輪郭がはっきりするものだ。


 化野の家から結城家へ戻るころには、空はすっかり夕暮れの色へと沈み始めていた。

 車窓の外では、仕事を終えた人間たちが家路を急いでいる。

 夕餉の支度の匂いが町のあちこちから漂い、昼間の熱を抱えた石畳の上を、ぬるい風がゆっくり流れていた。


「じゃ、またねえ」


 結城家の門前で車を止めた化野は、いつもの軽い調子で手を振った。


「また近いうちに、密記殿とも話を詰めなきゃだし」

「はい。今日はありがとうございました」

「いやいや。楽しかったよ」


 化野はいつもの軽薄そうな笑みではない、柔らかな笑顔を浮かべていた。


「記乃ちゃん、思ったよりずっと、暮らしに向いてる人間だったし」


 記乃は少しだけ首を傾げた。


「そうでしょうか」

「そうだよ。利便性で家を評価する十七歳、なかなかいないって」

「もうすぐ十八です」

「あっはは! 問題はそこじゃないんだけどねえ。いいね。君らしいよ」


 そう言い残し、化野は車を発進させた。

 黒塗りの車体が夕暮れの道へ溶けてゆく。


 記乃は、その後ろ姿を少しだけ見送ってから、門をくぐった。

 家へ入ると、すでに夕餉の支度が整い始めていた。

 廊下には出汁の匂いが漂い、台所からは鍋の煮える音が聞こえてくる。障子越しの灯りは柔らかく、外の夕闇とは違う種類の温度が家の中へ満ちていた。


 居間へ足を踏み入れる。

 密記は、いつもの位置へ座っていた。そして、偵記もいつもの定位置。


「おかえり」


 密記が笑う。


「おかえりなさい、お姉様」


 記子も、ぺこりと頭を下げた。

 だが、どこか落ち着かない様子だった。

 膝の上で指先を揃え、背筋をぴんと伸ばしている。緊張しているのだろう。

 聞けば、昨日の晩に密記から「大事な話がある」と聞かされていたらしい。


 さらに、兄と記乃が結婚できないと知ってから、ずっと落ち込んでいるということも、昨日、密記から聞いていた。


 記子は、基本的に感情が素直だ。

 好きな人間には幸せでいてほしいし、理不尽な障害には露骨に不満を抱く。

 だからこそ、兄と姉が制度によって阻まれている現状が、許しがたかったのだろう。


 やがて、サトが夕餉を運んでくる。


「今日は、ちゃんと買い出ししておきましたからねえ」


 どこか得意げだった。

 卓へ並べられる料理は、普段より明らかに豪勢だった。


 密記の好むマグロの刺身。偵記の好むタチウオの塩焼き。記乃の好きなイワシの甘露煮。記子の好きなブリの照り焼き。

 魚料理がこれだけたくさん並んでいる光景は、少々奇妙である。

 煮物に味噌汁、香の物まで、丁寧に揃っている。


 さらに、酒瓶を置くとき、サトは少し誇らしげに言った。


「これは、旦那様に頼まれましてね。ちょいと奮発した酒ですよ」

「おお、ありがとうサトさん」

「ただ、ちゃんと値切りましたから」

「そこはさすがだなあ」


 密記が笑う。

 その空気は穏やかだった。

 だが、食事を始める前に、密記は記子へ向かって静かに言った。


「記子。まずは、話をしておこうか」


 記子が、こくりと頷く。

 本来なら酌を始めるところだったのだろう。  手に持っていた徳利を、素直に卓へ戻した。

 密記は、一度、偵記を見た。


「この一週間、偵記がな、ずっと制度を調べていたんだ」


 記子が、驚いたように兄を見る。

 偵記は、少し気まずそうに目を逸らした。


「新しい制度があるらしくてね。遺伝子検査の結果次第では、戸籍を訂正できる可能性があるそうなんだ」


 密記は、難しい話を子どもへ説明するように、丁寧に言葉を選んでいた。


「つまり、記乃は一度、結城家の籍を抜くことになる」


 記子の顔が少し強ばる。

 だが密記は続けた。


「ただし、それで終わりではない。一定期間が経てば、そのあと偵記と記乃が正式に婚姻できる可能性があるんだ」


 静かな沈黙。

 記子は、言葉を整理するように数秒考え込んだ。

 そして。

 ぱっと、顔が明るくなる。


「……っ!」


 椅子から立ち上がりそうな勢いだった。


「それって!」

「うん」


 密記が笑う。


「可能性が出てきた、ってことだな」


 その瞬間、記子の顔が、本当に嬉しそうに綻んだ。


「ふしぎ……!」


 胸元で手を組む。


「自分のことじゃないのに、自分のことみたいに、うれしいですっ」


 その言葉には、一切の打算がなかった。

 ただ、大好きな兄と姉が幸せになれるかもしれない。その事実だけで喜んでいる。


 記乃は、その顔を見ながら思う。

 この子は、本当に真っ直ぐだ。

 だが、次の瞬間。

 記子の表情が、少しだけ曇った。


「……でも」


 不安そうに記乃を見る。


「お姉様、このおうちを家を出るんですよね?」

「戸籍上は、そうなるな」


 密記が答える。


「じゃあ……もう、会えなくなるんですか?」


 声が小さい。

 その不安は、記乃にも理解できた。


 家族というものを、記子は誰より大事にしている。 だからこそ、「籍を抜く」という言葉を、そのまま別れと結びつけてしまったのだろう。


 だが、密記はすぐに首を振った。


「それは違うぞ」


 穏やかな声だった。


「籍が結城家から離れるだけだからな。出入りできないとか、会えないって話じゃない」


 記子が瞬きを繰り返す。


「……本当に?」

「もちろん」


 密記は笑った。


「むしろ、いままで通りだ。家族であることは変わらない」


 その言葉を聞いて、記子は、ようやく安心したように息を吐いた。

 一方、偵記は酒を口へ運びながら、ぼそりと呟く。


「まあ、記乃の出自を、さらに誤魔化すことになるんだから、手放しに喜べるもんじゃねえけどな」


 たしかに、その通りではある。


 戸籍を動かす。母親役を立てる。出生情報を書き換える。

 やっていることだけ見れば、相当に危うい。

 だが──


「いまさらですよ」


 記乃は、けろりと言った。

 まるで、大した問題ではないとでも言うように。


「私の出生自体、最初から誤魔化し続けた結果みたいなものですし」


 あまりにも淡々としている。

 記子が少し困った顔をした。


「お姉様、そういうこと、もっと気にした方が……」

「気にしても、出生は変わらないからね」


 記乃は冷静だった。

 その姿を見て、密記が苦笑する。


「お前は、本当にそういうところ、妙に割り切ってるなあ」


 その流れの中で、記乃は少し間を置いてから口を開いた。


「父上」

「ん?」

「化野さんから、提案を受けました」


 密記が視線を向ける。


「後宮から籍を抜くなら、そのまま化野家へ住まないか、と」


 卓の空気が、少し静まる。

 だが。


「いいんじゃないか?」


 密記は、驚くほどあっさり言った。

 偵記も頷く。


「記乃がいいなら、それでいいと思う」


 記子も、小さく手を上げた。


「わたしも賛成ですっ」


 記乃は、少し目を瞬かせた。

 もっと反対されるかと思っていたからだ。


「……いいんですか」

「むしろ」


 密記が笑う。


「後宮へいるより、その方が、この家へ帰ってきやすいだろう?」


 記乃は、その言葉へ小さく息を止めた。

 ああ。

 この人たちは、本当に。

 最初から、「結城家から離れる娘」としてではなく、「帰ってくる娘」として考えているのだ。


「それに、化野さんなら、記乃を雑には扱わないだろうしな」


 偵記が言う。


「……まあ、変な人だけど」

「否定はできません」


 記乃が真顔で返す。

 そのやり取りに、記子がくすくす笑った。


「では、明日」


 記乃は言った。


「真壁さんへ相談してみます。通いで記録官補佐を続けられるものなのか」

「ああ、それがいいだろうな」


 密記が頷く。

 話がまとまった途端、空気が一気に軽くなった。


「じゃあ、今度こそ!」


 記子が徳利を持ち上げる。


「お祝いですねっ」


 その声へ、密記が笑う。


「そうだなあ。今日は祝い酒だ」


 酒が注がれる。

 湯気の立つ料理が並ぶ。

 記子が笑い、密記が酒を飲み、偵記が呆れたように息を吐きながらも、どこか嬉しそうに盃を傾ける。


 その光景を見ながら、記乃は思う。

 家族というものは、案外、脆い。

 血縁ひとつで壊れることもあるし、戸籍ひとつで他人にもなる。


 けれど同時に。

 食卓を囲み、笑い、帰る場所を共有する時間は、そう簡単には消えないのかもしれなかった。


 卓の中央では、サトが奮発して買ってきた酒瓶が、琥珀色の光を受けて静かに輝いていた。


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