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記録官の断章 〜解体される怪異〜  作者: 早河縁
第三章 定義解体篇
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第七話 矛盾する記録

 人間が同じ出来事を記録したとしても、その内容が一致するとは限らない。


 それは記憶の誤差だけでは説明できない場合がある。

 むしろ、記録という行為そのものが、観測した事実ではなく、「どの事実を採用するか」という選択の結果である以上、その差異は必然とも言える。


 同一の問題に対する四つの報告書。

 それらの内容が異なっていると気がついた。

 もとより、四人も同一の問題に対する記録をつけていること自体、極めて稀なのだが。


 気がついてしまった以上、記乃には、これらの問題をほどく義務があった


(再現できるかどうか)


 結城記乃は、問題となっている現場──

 後宮内の一角にある井戸の前に立っていた。


 石組みの古い井戸は、使用頻度こそ低いものの、完全に放置されているわけではなく、周囲の地面も踏み固められている。


 だが、そこにはひとつだけ、明確な違和感があった。

 水面が、異様に静かだった。

 風が吹いているにもかかわらず、わずかな揺らぎしか生じない。


 そして、井戸を覗き込んだ者の中には、「水面に顔が映らなかった」と証言した者がいた。

 それが、今回の騒動の発端だった。


 ──ある者は「自分の顔が消えた」と言い。

 ──ある者は「知らない顔が浮かんだ」と言い。

 ──ある者は「何も異常はなかった」と記録している。


(同一現象に対して、観測結果が分岐している)


 記乃は井戸の縁に手をかけ、ゆっくりと内部を覗き込んだ。

 昼間の光では、特に異常はない。

 水面には、自身の顔が問題なく映り込んでいる。


(条件が不足している)


 記録の発生時間は、いずれも夜間。

 さらに、証言者の多くは「灯りを持っていた」と記されている。


 記乃は灯りを用意させた。

 揺らぎのある油灯。

 周囲に証言者を配置する。

 それぞれ、異なる記録を残した者たち。


「まず、同じ条件を再現します」


 静かに告げ、灯りを井戸の縁に近づける。

 すると、水面に映る像がわずかに歪む。

 次に、灯りを少し離す。

 今度は、像が暗くなり、輪郭が曖昧になる。

 さらに、角度を変える。


 その瞬間。


「……っ」


 ひとりが息を呑んだ。


「どうしましたか」

「……顔が……」


 井戸の中を指差す。

 記乃は同じ位置から覗き込む。

 水面には、確かに顔が映っている。

 だが、それは完全な像ではない。

 光の反射が不安定なため、目や口の位置がわずかにずれて見える。

 結果として、別人のように見える。


(像の歪み)


 記乃は紙片(メモ)に記す。


 ──水面反射不安定。

 ──光源位置依存。

 ──輪郭崩壊。


 別の証言者に位置を変えさせる。


「……見えません」


 即答だった。


「顔が、ですか」

「はい。暗くて、映っていないように見えます」


(光量不足による視認不能)


 さらに、別の者。


「……顔があります。知らない人です」


 声が震えている。


(既知像との差異による異物認識)


 記乃は静かに息を吐いた。


(再現成立)


 同一の井戸。同一の水面。

 だが、光の位置、角度、心理状態によって、見え方は大きく変わる。

 それ自体は説明できる。

 それでも──


(……記録の差異は、ここでは説明しきれない)


 問題は、その先にある。

 なぜ、原因の記述が分かれたのか。


 それから、記録作成者を順に呼び出す。


「なぜ、異常なしと判断しましたか」

「再現性がなかったためです。私が確認した際には、通常通りの反射しか見られませんでした」


(安定化志向)


 次の者にも訊ねる。


「なぜ、精神的要因と記録しましたか」

「証言者が強い恐怖を示していたためです。視覚よりも心理状態を優先しました」


(心理優先)


 また、次。


「なぜ、原因不明としましたか」

「……判断を下せる材料が不足していましたので」


(責任回避)


 さらに。

 もう一人。

 記乃はその人物の記録を取り上げる。


「なぜ、あなたは〝異常現象〟と記述したのですか」


 その人物は、一瞬だけ視線を逸らした。


「……その方が、通りやすいからです」

「通る?」

「はい。上に報告する際、原因不明よりも〝異常(イレギュラー)〟とした方が、対応が早くなることがあります」


 記乃はわずかに目を細めた。


(……意図的な変換)


 紙片に記す。


 ──処理速度優先。

 ──誇張表現採用。


(すべてが繋がる)


 同一現象。

 観測条件による認識差。

 そして、その上に重なる。

 立場。都合。目的。

 記録は、事実の写しではない。


(……選択された、記録の矛盾)


 翌日。


「……つまり」


 真壁が低く言う。


「事実はひとつだが、記録は複数存在する、ということか」

「はい」

「そして、そのどれもが、完全には正しくない」

「はい」


 記乃は頷く。


「さらに」


 紙片を一枚差し出す。


「最も現象に近い記録は、採用されていません」

「……なぜだ」

「扱いにくいためです」


 即答だった。


「説明が複雑で、責任の所在が曖昧になるため、より単純な記述が優先されたと推測されます」


 真壁はしばらく黙り込んだ。


「……正しいものほど、使われない、か」

「はい」

「皮肉な話だな」

「事実です」


 廊下を歩く。

 夏の乾いた空気が漂っている。

 変わらない環境。

 だが、記乃の中ではひとつの認識が書き換わっていた。


(記録は、必ずしも正しさだけでは機能しない)


 正確であること。再現可能であること。

 それだけでは足りない。


(使われる形でなければ、意味を持たない)


 紙片を取り出す。


 ──正確性と採用性は別。

 ──記録は選択される。

 ──意図が介在する。

 ──完全な客観は存在しない。


 万年筆を収める。


(……記録において、なにを残すべきか)


 問いは残る。

 だが、その前提は変わった。


 記録とは、事実を固定するものではない。

 事実がどのように変形されるかを、追跡するためのものでもある。


 記乃は静かに歩き出した。

 その足取りは変わらない。


 だが、見ているものは、確実にひとつ増えていた。


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