表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
記録官の断章 〜解体される怪異〜  作者: 早河縁
第三章 定義解体篇
42/59

第四話 皇后の命令《後編》

 制度に手を入れるという行為は、紙の上に線を引き直すことでは終わらない。


 むしろ、その線の内側にいる人間と、外側に置かれている人間、その双方の認識を書き換える必要がある。


 そして、それは一度の命令や布告で完了するような性質のものではなく、抵抗と反復と、時間によってようやく形を持つものだ。


(……わかっている。わかっているが、面倒事には違いない。とにかく、時間が要る)


 翌日。

 官付の執務室は、いつも通り整えられていた。

 窓から差し込む光は一定で、机の上の書類は無駄なく整列している。筆記具の位置も、紙の重なりも、すべてが管理された配置にある。


 その中で、久世は珍しく、椅子に深く体を預けていた。

 肘を机につき、指先で額を押さえ、思考の流れを無理やり固定しようとするかのように、しばらく動かない。


 やがて、静かに扉が叩かれた。


「失礼いたします」


 従者である、三浦伊織の声だった。


「入れ」


 短く応じると、扉が開き、三浦が静かに室内へ入ってくる。

 姿勢はいつも通り整っている。

 だが、その視線は、久世の状態を一目で把握していた。


「……お顔色が、よろしくありませんね」

「そう見えるか」

「ええ。明らかに」


 遠慮はない。

 だが、そこに無礼は含まれていない。

 ただ必要な事実をそのまま置いただけだ。


 久世は、小さく息を吐いた。


「昨日、皇后に呼ばれてな」

「……なるほど」


 それだけで、三浦の中でも大筋は理解されたらしい。


「記乃さんの件でしょうか」

「話が早いな」

「おおよその流れは、想定できます。それに、遅かれ早かれ話は来ると、勝手ながら考えてはおりましたから」


 淡々とした返答。

 久世は椅子から身を起こし、背もたれに体重を預ける形へ戻る。


「制度の話になった」

「はい」

「女性官僚の是非についてだ」


 三浦は、わずかに目を細めた。


「……皇后様らしいお話ですね」

「そうだな」


 久世は苦笑する。


「まったく、逃げ道を一切用意してくれない」

「逃げ道が必要な話ではない、というご判断でしょう」

「その通りだ」


 あっさりと認める。

 沈黙が、わずかに落ちる。

 そのあと、三浦が口を開いた。


「恐れながら」


 三浦は、一拍置いて告げる。


「私も、皇后様と同意見です」


 久世は、視線を横へ流した。


「……だろうな」


 否定はしない。

 する意味がないと、理解している。


「俺もそう思う」


 ゆっくりと、言葉を置く。


「優秀な人材を、性別だけで排除することは、合理性に欠ける。明らかな損失だ」

「はい」

「あいつは、その典型だ」


 机の上に置かれた書類の束へ、視線を落とす。


「本当に、いい働きぶりだ。……あれを枠の外に置いておくのは、明らかに無駄だ」


 それは、評価だった。

 迷いのない。

 だが、その先が続かない。


「ですが」


 三浦が静かに続ける。


「それを理由に動かないというのは、別の問題になります」

「……わかっている」


 低く返す。

 指先が、机を軽く叩く。


 理屈は通っている。

 だからこそ、厄介なんだ。


 それに、皇后は実に十ヶ国語を操る頭脳と才能(センス)を持っている、優秀な女性像の典型だ。

 できることならば、彼女にだって外交官を目指す道も選択肢に入っていただろう。

 その選択肢すら持てなかったのは、紛れもない、現制度が原因に他ならない。


「制度を変えるとなれば、反発は避けられません」


 三浦は言う。


「女性が官僚になるという前例は、ほぼ存在していませんから」

「鳳条がいる」

「ええ。ですが、あの人は例外中の例外、特例中の特例です」


 迷いなく断じる。


「軍部という特殊な環境で、かつ本人の能力が規格外であったために成立している存在です」

「つまり、再現性がないんだよな」

「はい」


 淡々とした分析。

 久世は、小さく笑った。


「なるほど。だからこそ、制度として整備しろ、か」

「そういうことになります」


 短い沈黙。

 その中で、三浦は続ける。


「それに」


 わずかに、声音が変わった。


「お気に入りのおもちゃなのでしょう?」


 久世の眉が、ぴくりと動いた。


「……おもちゃ、か」

「ええ」


 三浦は、まったく悪びれない。


「興味を持ち、拾い上げ、場を与え、動かしてみる……これまで、何度もそうされてきました」

「否定はしない」

「でしょうね」


 わずかに口元が緩む。

 だが、それは嘲笑ではない。


「ですが」


 三浦は続ける。


「下の者の世話をするのが、上に立つ者の責任です」


 その言葉は、軽くない。


「彼女が活躍する場を与えてしまった以上、途中で放棄する、という選択は、あまり賢いとは言えません」

「……皇后と同じことを言うな」

「恐れながら、同意見ですので」


 即答だった。

 久世は、視線を天井へ向ける。


(完全に包囲されているな)


 だが不快ではない。

 むしろ、納得しているくらいだ。


「法案のひとつやふたつ、通してやらなければなりませんね」


 三浦が、さらりと言う。

 まるで、日常の業務の延長であるかのように。


「簡単に言うな」

「簡単ではありませんが、一概に不可能、とも言えません」

「……根拠は」

「必要性があるからです」


 静かな断定。


「優秀な人材を活用することは、国益に直結します」


 一歩、踏み込む。


「当然、反発はあるでしょう。女性官僚が実現すれば、女性という枠組み(カテゴリ)に所属しているだけで、対する風当たりは強くなる」


 それでも。

 ああ。充分、わかっている。


「それを乗り越える価値は、あります」


 三浦は言い切る。

 久世は、その言葉を受け止める。

 否定はしない。いや、できない。


(……そうだ)


 頭の中で、線が繋がる。

 記乃という個体。

 制度という枠。

 そして、自分の立場。


 これは、個人の問題ではない。

 もっと大きい、国全体の構造の話だ。


 ゆっくりと、息を吐く。

 そして、視線を机へ落とす。そこには、未処理の書類が積まれている。

 その上に、新しい紙を一枚、置いた。


 三浦が、わずかに目を細める。


「……動かれますか」

「動かざるを得ないだろう」


 短く答える。

 筆を手に取る。

 指先が、わずかに止まる。


(これは、ただの案件ではない)


 ひとつの前例になる。

 成功すれば、道になる。

 失敗すれば、壁になる。


(……まったく。手の焼ける)


 だが。

 抱く面倒さの中に、金剛石(ダイヤモンド)以上の価値があることも理解している。


 筆先が、紙に触れる。

 最初の一画が、静かに引かれる。


 それは、小さな動きだった。

 だが。

 その線は、これまで存在しなかった場所に、新しい境界を引くためのものだった。


 室内は静かだ。

 だが、その静けさの中で、確かに何かが動き始めている。


(さて)


 久世は、次の文字を書く。


 制度は、変わる。

 ここに〝変える〟と決めた人間がいる限り。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ