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記録官の断章 〜解体される怪異〜  作者: 早河縁
第三章 真実選別篇
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第四話 皇后の命令《前編》

 制度というものは、完全性を前提として作られるわけではない。


 むしろ多くの場合、過去の前提を積み重ねた結果として成立しており、その継ぎ目には必ず歪みが生じる。

 そして、その歪みは、一定の条件下でしか表面化しない。


 優秀な個体が、既存の枠組みに収まらなかったとき。

 そのとき初めて、制度の欠陥は可視化される。


(問題は、個ではなく、枠組みにある。知ってはいる。理解もしている。しかし……)


 久世恒一は、皇居の一室へと呼び出されていた。

 障子ではない。西洋式の高い窓から光が差し込む、広い応接室。

 壁には余計な装飾がなく、配置された調度は最小限でありながら質が高い。


 無駄が削ぎ落とされた空間。

 それでいて、威圧ではなく「整えられた静けさ」が支配している。


(……本当に、魅せるのが上手いお方だ)


 対面の席に座る人物の性質を考えれば、納得はできた。

 皇后。今上天皇の正室そのひとであり、この国の中枢に位置する人物。


 そして、久世にとっては継母にあたる存在だった。


「呼び立ててしまってごめんなさいね」


 柔らかな声だった。

 だが、その音の置き方は曖昧ではない。


「いえ、お呼びとあれば」


 久世は頭を下げる。

 口調は敬語。だが、必要以上に硬くはない。

 この関係は、形式だけで成り立っているものではない。


「あなたに聞きたいことがあって」


 皇后はそう言って、わずかに視線を細めた。

 その目は、ただの雑談をする者のものではない。


「それで、結城記乃……という娘のことだけれど」


 名前が出た瞬間、久世の内側で思考が一段階深くなる。


 やはり、来たか。

 予測はできていた。

 だが、時機(タイミング)が想定より早い。


「はい」

「あなたのところで使っているのでしょう?」

「官付で、記録官長の補佐として、一定の役割を担っております。いえ……もっとも、表向きの籍は、後宮にありますが」


 事実のみを述べる。

 評価は混ぜない。

 だが、皇后はその答えを待っていたわけではなかった。


「彼女、とても優秀よね」


 断定だった。


「ええ。本当に、いい働きぶりです」


 否定はしない。する理由もない。

 皇后の唇から、小さく吐息が漏れる。

 そして──


「あんなに優秀な方を」


 わずかに間を置く。


「官僚として迎えられないなんて」


 視線がまっすぐに向けられる。


「この国の制度は、まだまだ穴だらけではなくて?」


 言葉は静かだった。

 だが、その中には明確な圧が含まれていた。

 批判ではない。指摘でもない。

 事実の提示に近い。


(やはり、そこに触れるか。いつかは来るだろう質問として、考えてはいたが……答えはまだ、出ていない)


 久世は一瞬だけ目を閉じる。

 頭の中で、いくつもの線が走る。

 官僚制度。性別制限。前例。

 そして、政治的影響。

 それらを一度に処理しようとすると、負荷が大きすぎる。


 言葉を選びながら、静かに答えてゆく。


「制度には、歴史的経緯がございます」


 久世は静かに言う。


「それを一朝一夕で覆すことは──」

「ええ、知っているわ」


 皇后が遮る。

 声は穏やかだが、意図は明確だった。


「でも、それを理由に現状の問題を放置するのは、別の話でしょう?」


 逃げ道は、用意されていない。


(……完全に理解した上で言っている)


 感情ではない。理屈でもない。

 構造を把握した上での発言。


 だからこそ、厄介だった。

 皇后は椅子に背を預けることはなく、背筋を真っ直ぐに伸ばして座っている。

 膝に置かれたその指先が、ゆっくりと組まれる。


「あなた、言っていたわよね」


 視線がわずかに柔らぐ。

 だが、それは圧を緩めるものではない。


「政治を学びたい、と」


 その言葉で、久世の思考が一瞬だけ過去へ引き戻される。



──────────



 十三の頃。

 まだ、今上天皇が皇太子であった時代。

 久世もまた〝そちら側〟に置かれていた。


 今のような名前はなく、立場も曖昧。

 ただ「存在している」という事実があった。


 自分を産んだ母は、決して表に出ることのない存在だった。

 そして、その関係性は、制度の中では「なかったこと」にされる類のものだった。


(婚姻前の皇太子に子がいる)


 世間は、この国は時代の転換点にあり、側室制度をどうするか、などという問題も挙がるほどの時代。

 そんな時代に、自分の存在がどれほどの問題になるかは、幼いころから理解していた。


 久世の出自は、隠蔽された。

 表向きには、上皇と上皇后の子。

 つまり、今上天皇の年の離れた弟。


 ──皇太弟。

 それが、現在「久世恒一」と呼ばれる男に与えられた役割だった。

 だが、あれから時間が経った現在では、それすらも「存在しないもの」とされている。


 今上天皇の即位の際。

 久世は自ら申し出た。


「政治を学びたい」


 その一言で、自身の立場を切り替えた。

 皇太弟は、今上天皇の即位前に亡くなったことになった。

 国民は、皇室男児の訃報と皇太子の即位という、闇と光にも例えられるような報道(ニュース)に心を迷わせた。


 そして現在。

 久世の表の顔は、官付の長。

 皇位継承者は「存在しない」ことになっている。


 もとより、皇室の人間には基本的人権も戸籍もないのだ。

 事実の隠蔽は容易なことであった。


 厳密には存在しているが、存在しないものとして扱われている──

 それが、自分だ。


──────────



「……はい」


 久世は短く答えた。


「申し上げました」

「なら」


 皇后は言う。

 声音は変わらない。

 だが、その中に含まれる意味は明確だった。


「これは、あなたの仕事でしょう?」


 問いではない。確認でもない。

 役割の再提示だった。


 久世は、ゆっくりと息を吐いた。


(面倒な話だ)


 だが同時に、避けては通れない話でもある。

 記乃という個体は、明確に〝例外〟だ。

 そして例外は、制度の穴を可視化する。


「……容易なことではありません」


 正直に言う。


「前例がありませんし、反発も予想されます」

「ええ、そうね」


 皇后は頷く。


「でも」


 わずかに口元が緩む。


「前例がないからやらない、というのは、あまり賢い判断とは思えないのだけれど」

「そう、ですね」

「それに、厳密に言えば、もう〝例外〟はひとりいるじゃないの。奇抜な天才軍師さんが。あら、不思議ね? そうなると、そこまで難しい話には聞こえない気がしてくるわ」


 軽い言い方。

 だが、逃げ道は完全に塞がれている。


(……完全に、詰められているな)


 久世は額に手を当てた。

 思考を整理するための動作。

 だが、それは同時に、諦めの兆候でもあった。


 この話は、ここで終わらない。

 終わらせるつもりが、向こうにない。


 そして──

 自分にもまた、それを完全に否定する理由がないことを、理解している。


 皇后は、そんな久世の様子を見て、静かに言った。


「あなたなら、できるでしょう?」


 試すように、それでいて、確かめるように。

 久世は、ゆっくりと目を閉じる。

 そして、短く息を吐いた。


(……さて)


 これは、ただの案件ではない。

 制度に手を入れる話だ。

 そしてそれは、国そのものの構造に触れることを意味する。


 久世は、頭を抱えた。


 だが、その内側ではすでに、いくつかの可能性が動き始めていた。

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