第九話 整理整頓
人間がなにかを治すとき、その対象は必ずしも、身体だけとは限らない。
痛みを取り除く、熱を下げる、傷を塞ぐ──
そうした行為の裏側には、「それがなぜ起きたのか」を説明しようとするもうひとつの営みがある。
理由を与えること。それは安心に繋がる。
たとえその理由が、実際の構造と一致していなかったとしても。
(だから、薬と同じくらい、言葉もまた機能する)
結城記乃は、医局の一角で、並べられた薬草を前にしていた。
室内には乾燥した葉の匂いが満ちている。
青さを残したもの、土のような重さを持つもの、わずかに甘い香りを含むもの──
それらが混ざり合い、ひとつの均質な空気として広がっていた。
窓は半分だけ開けられ、外気がゆるやかに流れ込む。紙の擦れる音、器具の触れ合う微かな音、そして時折、すり潰す動作に伴う鈍い響きが重なる。
医局は、後宮の中でも数少ない〝身体〟を直接扱う場所だった。
「悪いな。手伝わせて」
後宮の医官である相良要一は、薬草の束を薬棚に整理しながら言う。
「これも業務の範囲内ですから」
記乃は答え、紙片に万年筆を走らせた。
──乾姜。
──体温上昇、消化促進。
書きながら、視線を落とす。
乾燥した根は硬く、折れば乾いた音を立てる。匂いは刺激があり、鼻腔を軽く刺す。
(性質と効能が一致している)
温める性質のものは、匂いも強い。揮発性の成分が多いのだろう。
「それ、民間じゃあねえ」
横から声がした。
化野だった。
いつの間にか、棚の陰に腰掛けるようにして、こちらを眺めている。煙管は手にしているが、火は入っていない。
「〝腹に冷えが溜まると、腹の虫が暴れる〟って言われてるんだよ。だから、それを鎮めるために使うんだとさ」
「腹の虫、ですか」
「そう。腹の中にいる見えない虫。怒ると痛くなるし、静かにしてれば平気、ってね」
軽く笑う。
記乃は手を止めなかった。
(比喩を用いた病状の言い伝え)
理解しやすくするための構造だ。
原因を〝虫〟という形に置き換え、制御可能な対象として扱う。
「……実際のところは」
相良が口を挟む。
「消化不良や、胃腸の冷えによる収縮だ。筋肉の動きが鈍って、痛みが出る」
「ほうら。出た、出た」
化野が肩をすくめる。
「夢も希望もない説明」
「医学的根拠に基づく、事実だ」
「でもさ、それを聞いて安心する人間ばかりじゃあないしさあ」
「安心と正確性は別だ」
「……要一くんって、サンタクロースとか信じない性分でしょ?」
「さん、くろ……なんて?」
短い応酬。
記乃は、その間に書き足す。
──民間伝承:腹の虫。
──医学的解釈:胃腸収縮。
(同一現象でも、異なる説明)
どちらも機能している。対象は同じでも、扱い方が違う。
相良が次の薬草へ手を伸ばす。
細長い葉。記乃はそれを少し拝借すし、指先で潰す。すると、わずかに青い匂いが残る。
「これは?」
「艾葉。効果は、止血と鎮痛」
「ああ! それもね、〝邪気を祓う草〟って言われてるんだよ」
「邪気」
「血が止まらないのは、悪いものが身体に入ってるからだ、って考えるわけ」
「実際には、血管の収縮と凝固作用だけどな」
相良が即座に補足する。
記乃は頷き、書く。
──艾葉。
──止血、鎮痛。
──伝承:邪気除け。
紙片が増えていく。
(記録として残すべきは、両方)
現象だけでは足りない。
人間がそれをどう理解しているかもまた、重要な情報だ。
化野が、ふと笑った。
「いいねえ、その書き方」
「どこがですか」
「事実と、解釈を分けてるところ。混ぜないで並べてる」
「混ぜると、判別できなくなりますので」
「そう。けれど、そういう風にできる人間は、極めて稀だ」
煙管の先で、紙片を指す。
「大抵は、どっちかに寄るんだよ。全部信じるか、全部否定するか」
「どちらも効率が悪いと思います」
「だろうねえ」
化野は笑う。
相良は、そのやり取りを横目で見ながら、別の束を整理している。
「記乃は、そのままでいい」
「そのまま、とは」
「どっちも残すやり方のことだ。医者としては助かる」
「なぜですか」
「患者がどう思ってるか分かるから」
一拍。
「薬が効くかどうかって、結構そこに左右されるんだ。病は気から、と言うが、あれはあながち間違いでもない」
(認識と身体の相互作用)
記乃は、その情報を内部で処理する。
つまり、医学的に正しい処置であっても、本人が納得していなければ効果が減じる可能性がある。
逆に、誤った説明でも、納得すれば一定の改善が見られることがある。
(非効率だが、無視はできない)
記乃は紙片に、短く書き足した。
──認識、治療効果に影響。
窓から風が入る。
乾いた葉が、かすかに触れ合う。
医局の中で、薬草と、人間の言葉と、記録が同時に並んでいた。
(怪異も、医学も、記録も、対象は同じだ)
違うのは、切り取り方だけ。
ひとつの現象に対して、どう名前をつけるか。
どう扱うか。
それによって、人間の行動は変わる。
記乃は万年筆を走らせる手を止め、紙片を束にして揃えた。
(分類完了)
それぞれは別物だが、同時に並べることで、構造が見える。
医局の空気は、相変わらず乾いている。
だが、その中には、確かに三つの異なる体系が同時に存在していた。
怪異。
医学。
そして、記録。
どれも、ひとつの現象に対する、人間の応答の形だった。




