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記録官の断章 〜解体される怪異〜  作者: 早河縁
第二章 解読深化篇
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第一話 道中

 怪異(オカルト)という言葉は、現象に名前を与える行為の中でも、最も曖昧な部類に入る。


 原因が不明であること。現性が確認できないこと。あるいは、確認しようとする試みそのものが忌避されること。


 そうした条件が重なったとき、人間はそれを〝怪異(オカルト)〟と呼ぶ。

 だが、その実体は多くの場合、単に〝未確認〟であるに過ぎない。


(確認されれば、それはただの現象になる)


 結城記乃は、その順序を疑ったことがなかった。

 なぜこんなもの(オカルト)が流行るのか、理解ができないな。

 そんなことを考えながら、記乃は歩を進めていた。

 

 官付の廊下は、いつもと変わらず乾いている。

 紙と墨の匂いが、湿度を抑えられた空気の中で均一に広がり、歩く者の動きを吸い込むように静けさを保っていた。

 足音は必要以上に響かない。音が立たないのではなく、立った音が吸収される構造。


(管理された空間は心地いい)


 記乃はその中を、一定の歩幅で進んでいた。

 目的は明確だ。

 後宮のとある場所──医局に向かうため。


 というのも、真壁のもとに、とある申請があったというのだ。

 その申請者が医局にいるというので、尋ねる必要があった。


 申請者の名は、化野(すず)


(……どこかで聞いたような苗字だ。なんだか嫌な予感がする)


 対象対象は〝怪異(オカルト)現象〟。

 申請者は化野涼。

 同行者希望欄には、結城記乃の名前。

 期間は五日。

 移動手段は馬車および徒歩。


 書面に書かれた情報を整理しながら歩いていると、空気の流れがわずかに変わった。

 煙の匂い。

 薬草でも、香でもない。

 焦げた葉のような、乾いた煙。


(……いるな。あの人が……)


 視線を上げると、柱の影に寄りかかる人影があった。

 細い煙が、上へ、上へと伸びている。


「おんやあ〜?」


 声が先に落ちてきた。

 案の定、化野(かすか)だった。

 煙管を口元に咥えたまま、こちらを見ている。

 姿勢はだらけているが、視線は妙に鋭い。


「ちょうどよかった。探してたんだよねえ」


 軽い口調。

 だが、待ち伏せに近い位置取り。


(意図的)


 記乃は立ち止まる。


「私にご用件ですか」

「そうそう。優秀な記録官補佐殿にね」


 からかうような言い回し。

 だが、その裏にある評価は隠していない。


(冗談と事実の混在)


 記乃はそれ以上反応しない。


 それにしても、やはりあの申請者とここにいる女は、同一人物だったのか。

 化野幽というのは筆名だと以前聞いたが、さすがに書面などの公的な部分では、本名を使うのか。


「どのようなご用件でしょうか」


 申請があったことは知っている。しかし、詳細は知らない。


 化野は煙を吐いた。

 わざと、ゆっくりと、時間を引き延ばすような仕草。

 相手の反応を観察している。


(間を作る人間)


「あのさ。小旅行、行かない?」


 言葉だけが軽い。

 だが、その内容は軽くない。

 記乃は瞬きを一度だけした。


「理由を伺ってもよろしいでしょうか」

「理由ねえ。だいたい知ってるんじゃないの?」

「詳細についてはまったく。申請者の書き方が杜撰だったので」


 化野は笑う。

 煙が口元から漏れ、細くほどける。


「お化けが出る村があるんだよ」


 記乃は表情を変えなかった。


(典型的な導入)


「お化け、ですか」

「夜になると、川辺に人影が立つらしい」

「人影」

「近づくと消える。でも、足跡は残る」


 情報は断片的だ。

 だが、充分だ。


(視覚現象と、物理痕跡によるもの……だろうか)


 記乃は思考を組み立てる。

 光源の問題か。反射か──あるいは、人間による誘導か。


「現地での確認は行われていますか」

「されてないねえ」

「なぜ」

「祟られちゃあ、困るからね」


 化野は肩をすくめる。


「それでみんな納得してる」


(合理性の欠如)


 だが、それは珍しくない。

 恐怖は検証を止める。検証が止まれば、情報は増えない。

 情報がなければ、恐怖は固定化する。


(閉じた循環)


「あなたは調査対象として興味がある、ということですね」

「それもある」


 化野は笑った。


「でも、それだけじゃない」


 煙を吐く。


「せっかく怪異(オカルト)を理屈で解体できる人間がいるんだから、連れて行きたい」


 記乃は、そこで初めてわずかに目を細めた。


(評価の方向性が明確)


「この間の後宮の件、聞いてるよ」

「どの程度でしょうか」

「夜に光る紋様、塗料、犯人……全部。ああ、怪我は平気?」


(情報網が広い)


 記乃は内心でそう判断する。


「で?」


 化野が身を乗り出す。


「どうだった?」

「現象でした」

「怪異じゃなくて?」

「はい」


 化野は満足そうに笑った。


「いいねえ。それそれ、そういうのだってば」


 煙が揺れる。


怪異(オカルト)をそのままにしない人間、好きだよ」


(嗜好の問題)


 記乃はそれをそう分類した。


「つまり、その村の現象についても同様の処理が可能と見込んでいる、ということですね」

「そういうこと」

「期間は」

「五日くらい」

「同行者は」

「私と護衛が二人」


(最低限)


 記乃は思考をまとめる。

 危険性は未確定。だが、情報量は多い。


(行く価値はある)


「まずは申請許可が下るのを待ちます」

「それはそうだね」

「……そんなに簡単に許可は下りないと思うが」


 仕事をしながら静かに聞いていた相良が口を挟んでくる。

 すると、化野はくすくすと笑って言い放った。


「真壁に記乃ちゃんを貸してほしいって言ってこようかな」

「やめておけ」

「えー?」


 そんなことがあった、翌々日。

 化野涼……もとい、化野幽の申請に許可が下る。

 記乃は内心、開いた口が塞がらなかった。


(まさか、本当に真壁さんに直々に話に行ったんだろうか)


 なんて恐ろしいことをするんだ、あの人は。

 と思いつつも、ひとまず出立の準備に取り掛かる。とは言っても、荷物は少ない。最低限の着替えと、いつもの紙片(メモ)帳と万年筆。

 着替えよりなにより紙が足りなくなってはいけない、と紙を鞄に足して、準備完了。


 官付の門を出た瞬間、空気の質が変わる。

 閉じられた管理空間から、開いた環境へ。

 湿度が上がる。匂いが混ざる。音が広がる。


(……統制されていない空間)


 馬車に乗り込む。

 油と革の匂いが鼻を打つ。車輪が石を噛み、細かく振動する。身体が揺れる。その揺れに合わせて、視界が流れる。


 建物が後方へ退いてゆく。人間の密度が下がってゆき、反対に、空は広がる一方。


(歩行とは違う情報の取り方)


 徒歩では拾える細部が流れ、代わりに全体の構造が見える。

 道の流れ。地形の傾き。人の配置。


「どう?」


 化野が横から言う。


「なにがでしょうか」

「外の空気」

「湿度が高いです」

「そうじゃなくてさあ」


 化野は笑う。


「面白いかどうか」


 記乃は一拍置いた。


「現時点では判断できません」

「そっか」

 

 三刻は馬車に揺られただろうか。

 目的地に着いたのか揺れが収まったので、馬車を降りる。

 地面は柔らかい。土が水を含んでいる。草の匂いが強い。

 川の音が、遠くから連続して聞こえる。


(自然にあふれている)


 足裏の感触が変わる。

 踏み込むと、わずかに沈む。

 均一ではない、管理されていない地面。

 

 道は細くなる。木々が視界を遮る。光が斑に落ちる。

 風が抜けるたび、葉が擦れる。

 

 その中で。


(静かすぎる)


 記乃は違和感を覚えた。

 村が近いはずなのに、人の気配が薄いのだ。

 生活音が少ない。声がない犬の鳴き声も、子どもの声もない。

 

 化野が立ち止まる。


「着いたよ」


 指差す先。

 木々の隙間に、村が見える。煙が上がっており、人はいる。

 だが──


(活気が、ない)


 空気が沈んでいる。

 外から見ても分かる程度に。

 

「ここがお化けの出る村」


 化野は楽しそうに言う。

 煙管を軽く振る。


「さて」


 煙がほどける。


「解体、してみる?」


 記乃は村を見た。

 線、光、人影。


(現象か、怪異か)


 答えは現地にある。


「はい」


 短く答える。


「確認します」

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