弐拾壱
ことは、出立予定日の午前中に起こった。出立前に一時帰宅したリンフェイと、スヨン、ユージンは大通りを歩いていた。人通りの多い中、速足に歩く三人は目立っていた。馬車でないのは、歩いたほうが王宮には早くつくからだ。
「姫様、本当に行くんですか」
「当然でしょ。すぐに手を打たなければ、舐められる。最初が肝心なんだからね」
おそらく、リンフェイなら多少攻め込まれてもすぐに押し戻すことができる。しかし、急ぐということはそれすら認めないのだろう。なぜなら、国民に被害が出るから。
「戦上手と言う評価はありがたいけど、こういう時不便だと思うんだよね」
そんな評価を受けてしまえば、リンフェイは出ていかざるを得ない。行かなければ、「何故リャン太尉は出陣されなかったのだ」と言われるからだ。本人は、後進が育たないから嫌なのだけど、などとうそぶいている。
ふと、速足に歩いていたスヨンは立ち止った。そう言えば、何故この三人になったのだろう。ユージンはスヨンの付添いだけど。ああ、スヨンがリンフェイに会いに行ったからか。
「どうかした?」
リンフェイが振り返って尋ねる。スヨンは「いや?」と眉をひそめて灰色の空を見上げた。つられるようにリンフェイとユージンも空を見上げた。スヨンには、快晴は灰色に見える。
突然、リンフェイがむんずとスヨンの襟首をつかみ、引き倒した。ぼんやりしていた彼の頭上を矢が通り抜ける。大通りを歩いていた住民たちが悲鳴を上げて逃げ惑う。
「どこからだ!?」
スヨンが尋ねる。彼が千里眼で探したほうが速い気がしたが、彼は屋の飛んできた方向を見ていなかった。とはいえ、軽い予知能力を持つリンフェイも本能的に察しただけなのだろう。わからない、と首を左右に振った。
「こんなところで足止めくらってる時間はないんだけどなぁ」
リンフェイが煩わしそうに言う。準備は将軍たちが進めているだろうが、今回は太尉がいなければ出立できない。
煩わしそうにしながらも、ゆらりと立ち上がったリンフェイは剣を抜いた。スヨンも姿勢を低くしたまま周囲を警戒する。大通りを歩いていた人々は、見な店の軒下などに避難している。リンフェイの容姿は目立つ。スヨンには彼女の髪の色が金色だろうが目の色が青だろうがさほど関係ないが、普通の人々には大いに関係がある。つまり、リンフェイは目立つ。
ぱっとリンフェイが駆け出した。手に持った剣が平行に振られ、空から垂直に降りてきた人物と切り結んだ。尤も、リンフェイは腕力がそれほどないため、きれいに受け流す。
「有翼人か」
この辺りではめったに見ることはないが、翼をもつ有翼人だ。鳥に似た真っ白な翼をはばたかせ、翼をもつその男はリンフェイを襲う。有翼人と言っても、白い翼がある以外は人間と同じ。黒っぽい髪に黒っぽい瞳、白い肌。顔立ちがくっきりしているので、西方の出身なのだろう。
リンフェイは風を操る風使いだ。その剣戟の速さはスヨンでも目で追えない。有翼人を追って上に上がっていくリンフェイを追い、スヨンとユージンもひとまず移動する。
「もう一人、弓を持っている人間がいるはずだ。探せ!」
「りょ、了解!」
矢が飛んできたのだ。どこかに弓使いがいるはず。射手は隠れていることが多い。おそらく、高い位置。視界をあげると、リンフェイと有翼人がちらちらと目の端に映る。
リンフェイは風を操るが、同じように有翼人は風に乗る。リンフェイとは相性が悪かった。そういう相手を用意したのかもしれない。
スヨンは右手をあげ、その指先が有翼人を追う。彼の手の中で術式が組み上がる。
「リンフェイ!」
叫ぶと同時に術を放つ。雷撃を放ったが、有翼人はその翼で自身を覆い、雷撃を受け止める。巻き添えにならないように飛びのいたリンフェイは子供が一人、ふらりと見晴らしの良い大通りに出てきているのを発見したようだ。いや、そう言っているということはスヨンも見つけたのだが、リンフェイの方が近い。
「姫様!」
ユージンが声を上げる。子供をかばったリンフェイが矢に射抜かれたのだ。それでもリンフェイは倒れない。子供を逃がすと、再び有翼人を相手取る。その間に、スヨンは今の一射で発見した射手を拘束した。宰相のスヨンは剣を持っていなかったが、あったとしてもリンフェイを助けることはできないだろう。
代わりに、スヨンは射手が持っていた弓を手にすると矢をつがえた。ぎりぎりと引き絞り、有翼人を狙う。その矢は空気を引き裂く術を纏っていた。今度は警告を発さずにその矢を放った。狙い通り、背後からの矢にも関わらず、リンフェイはその気配を察して矢を避けた。正直、先ほど雷撃を放った時も、スヨンの声に反応したのか、空気を震わせる術に反応したのか不明である。
スヨンの矢は、有翼人の右の翼を貫いた。リンフェイが追い打ちとばかりに剣を振り下ろす。もともと、有翼人は剣の達人ではない。その剣術だけなら、スヨンでも相手取れたくらいだ。ただ、動きが素早く、飛べるのが厄介だった。今も、不利と見るや空高く飛び上がり一目散に逃げ出した。スヨンが追うようにもう一矢放つが、当然当たらなかった。リンフェイもあきらめたようで平屋の屋根の上で有翼人を見守っていた。
「……終わりましたか」
伏兵だった射手を見張って拘束していたユージンが言った。確認と言うより、自分に行っている感じだった。スヨンは地上に飛び降りてきたリンフェイに駆け寄る。
「大丈夫か」
「大丈……いや、やっぱり痛い」
左肩に矢が刺さったまま戦っていたリンフェイは、おもむろにその矢をつかみ、抜こうとした。
「待て。私が抜く」
自分で抜くよりはまっすぐ抜けるだろうと、スヨンはそう言ったが、その前にリンフェイが地面に手をついた。縄で拘束し終えたユージンも駆け寄ってくる。
「姫様、どうしました!」
「や、めまいが……」
リンフェイが側にいるスヨンの服をつかむ。スヨンはあわててリンフェイを支えた。
「矢じりに何か塗ってあるのか? すまん、抜くぞ」
「っ」
スヨンはできるだけまっすぐに矢を抜いた。それでもリンフェイは息を詰めてスヨンの二の腕を強くつかんだ。そして。
「あ、駄目だ」
リンフェイはご丁寧にもそう言ってから本当に気を失った。
一瞬ひやりとしたスヨンであるが、注意深く診てみれば燃料切れだった。矢傷でこれから熱が出てくる可能性はあるが。
ひとまずリンフェイを王宮に運び込んだまではいいが、まだ問題は残っている。
「姉様がいないと禁軍が出発できない……どうしよう!?」
ズーシェンが声をあげてあわてる。一度騒げば落ち着くので、スヨンは放っておいた。これだけ騒いでいるのに、寝台に横たわったリンフェイは目を覚まさない。あの長くはない戦いで、体力の有り余っている彼女は力を使い尽くしたのだ。
「……よほど、リンフェイのことが怖いようですね、あちらは」
「まあ僕も怖いけどね!?」
スヨンの言葉に混乱気味のズーシェンが答えた。スヨンはそんな少年王に苦笑する。
「こうなれば、他に方法はありません。名代として、私が軍を率います」
きっぱりと、宰相リャン・スヨンは言った。文官たる宰相が戦地に向かうという。
「そ、それは法規的に大丈夫なの?」
てっきり自分が行かされると思っていたのだろうズーシェンが驚いたように言った。スヨンは「この国には宰相が軍を指揮してはならない、という決まりはありません」と言い切った。それで言うのなら。本来指揮を執るはずだったリンフェイの地位太尉もどちらかと言えば文官に分類されるはずだ。
「私のあとは、ソン尚書と中書令に任せていきます。リンフェイが目覚めたら、要塞に寄こしてください。入れ替わりで私が戻ります」
宣戦布告はされたが、今すぐ開戦するとは限らない。リンフェイが目を覚ますまで何も起こらないかもしれない。しかし、軍隊は北へ送らねばならない。そして、その準備は終わっている。今にでも出発できる部隊を、そのままにしておくことはない。出せるのなら、出して牽制すべきだ。
「えと……では、尚書令リャン・スヨンを王の名代として認める」
ズーシェンが言った。略式ではあるが、これで出立できる。
思いがけず、宰相が都を空けることになってしまった。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
あともう少しで完結なのですが……。




