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弐拾









「宣戦布告か。やってくれるね」


 その文書を見てむしろ穏やかに言ってのけたのはリンフェイである。北の威族からの宣戦布告の公式文書が届いた。ちなみに、威族はかなりの勢力を誇り、自治を行っているが国家として認められていない。そのため、この文書も公式として認められない。

 しかし、攻め込む、と明言されたのは事実である。対応策が必要だ。そして、もうひとつ気になることがあった。


「……この、兄上が威族の力を借りて王位を取り戻そうとしているって本当かな」


 ズーシェンが書状を覗き込んで言った。スヨンは顎に指を当て、考えながら口を開いた。


「……どちらかと言うと、それを大義名分に威族が爽を攻めようとしている、と考える方が自然ですね。ただ、ハオユー様が威族にいるのは間違いないかと」


 そうでなければ、こうも強気に出ることができない。ハオユーは可もなく不可もなく、という能力を持った王だった。才色兼備、文武両道を地で行くリンフェイと比べれば、確かに見劣りしたし、彼が劣等感を抱くのは仕方のない話でもある。

 だが、彼はリンフェイと仲が悪かったわけではない。弟であるズーシェンとは、むしろ仲が良かっただろう。自分のあとに王位を襲ったからと言って、ハオユーがズーシェンを害そうとするとは思えない。

 そもそも、リンフェイにたてつこうなどと、彼は考えないはずだ。


「……確認なのだけど、ハオユーは一人で逐電したわけではないよね」


 スヨンはリンフェイに「ハオユーが逐電した」としか告げていない。誰が一緒だったとか、何を持って行ったかなどは告げていなかった。それよりも王が不在であることの方が、当時は問題だったからだ。

 告げてはいないが、一応把握はしている。リンフェイが言ったように、ハオユーは一人で出奔したわけではなかった。


「ああ。後宮の下級女官を一人つれている。平民の出の娘だ」


 たぶん、王太后リイェンは平民の娘を愛したハオユーを咎めたのではないだろうか。リイェンは、自分の息のかかった貴族の娘を息子の嫁に欲しがった。今のズーシェンの場合もそうだ。ただ、ズーシェンはまだ十代なので、そこまで差し迫っていない。

「もともと平民なら、市井には詳しいね。宝物庫の目録を確認する限り、国宝級の高価なものは持ちださなかったようだし、さすがに賢明なことだ」

 そう言った高価なものは、換金しようにも足がつく。だからあえて手を出さなかったのだろう。

 スヨンはハオユーと共に行った後宮女官を思い出そうとする。しかし、記憶力の自信のあるスヨンですら、その女官の顔をぼんやりとしか思い出せない。そんなに印象の薄い娘だったのだろうか。

「にしても豪胆な娘ね。愛しているとはいえ、仮にも王である人と逃げ出すなんて」

「確かに。追手が来るかもしれないのにね」

「リンフェイが追ってこないとわかっていたんじゃないか?」

 リンフェイやズーシェンに適当に答えながら、スヨンは考えに沈んでいた。そこにふと、リンフェイが尋ねてくる。


「ねえ、スヨン。あなた、私を連れて逃げることはできる?」

「は? お前なら一人で逃げるだろう」

「や、そうじゃなくって」


 違う違う、とリンフェイが手を振る。


「たとえば、私は公主。あなたはただの官吏。二人が相思相愛だとして、あなたは私を連れて逃げることはできるか、ってこと」

 現状と似ているようだが、微妙に違う。リンフェイは今、直系の公主ではないし、スヨンは宰相で、現状、リンフェイを娶ろうと思っても何の障害もない。

 しかし、彼女が直系の公主でスヨンがただの官吏であれば? たとえ愛していても、スヨンはリンフェイを受け入れることを拒むだろう。身分が釣り合わない、と言って。スヨンは正直にそう告げたが、これは女官と王との間では成り立たないのではないだろうか。王であれば、娘を妾としてそばに置けばいい。

 しかし、リンフェイは「そうだよねー」と何故か同意の声を上げる。


「王に『一緒に逃げてくれ』なんて言われて、ホイホイついていく人間なんてそうそういないでしょ。私だってためらう」

「後ろにリンフェイ姉様が控えてるしね」


 ズーシェンがさらっとひどい相槌を入れた。リンフェイが「失礼な」と言いつつも認める。

「でもまあ、そう言うこと。その女官、よほど度胸があるか、間諜だったか、どちらかじゃない?」

「……」

 指摘されてスヨンもやっと気が付いた。確かに、やたらと度胸のある女官だ。

「もし、威族の間諜だったのだとしたら、代わりに派遣されてきたのがパイロンだったと考えられない? あんな中途半端な方法だったのは、すでに戦を起こす用意が整っていたから……つまり、ハオユーが手元にいたから」

 少しずつ上がっていた野菜や肉、塩、米、鉄の値段。それらは、彼らが少しずつ買い集めていたためだとしたら?

 正直なところ、彼らに戦を起こす理由などない。爽国とは、懇意ではないが不仲と言うわけでもない。互いに自治を認め、干渉しないことで和平を保っていたところがある。それをいきなりぶち壊してきた。


「……それで、姉様。どうしよう?」


 ズーシェンが不安そうに尋ねた。戦になるのなら、リンフェイが指揮をとらねばならない。

「私はこのまま北の要塞に向かう。軍備を整えてから出立になるから、明日の午後になるかな。スヨンは僑の女王に事情を説明しておいて。それから、兵站の確保もよろしく」

「……了解した」

 彼女が太尉である以上、彼女が指揮を執るのは仕方がない。本来なら彼女は後ろでふんぞり返っていてもいい立場の人間なのだが、今回、彼女は行かねばならない。王族がその戦地にいるかどうかで兵の士気にかかわるからだ。ズーシェンやシュランは当然いけないので、リンフェイが行くしかない。そして彼女は戦女神と称されるほどの戦上手でもある。彼女が向かわない手はない。

「主上。威族に対し、何の勧告もなかったことの抗議声明を行おうと思いますが」

「あ、うん。何をするかは教えてほしいけど、二人の方が慣れてるだろうから、お願いします……」

 ズーシェンは物わかり良く言った。事実上、軍事権限はリンフェイに預けられたことになる。あわただしく出て行ったリンフェイを見て、ズーシェンは不安そうだ。

「だ、大丈夫かな。姉様、兄上を殺したりしないかな……」

「まあ、それは大丈夫でしょう。彼女は情に厚いですから」

 なんだかんだ言って、リンフェイは従弟を見捨てられないはずだ。威族と戦うついでに救出してきても不思議ではない。


 なんだかんだで楽観的に考えていたスヨンとズーシェンであるが、そう簡単にはいかなかった。宣戦布告のあった翌日、リンフェイは北の要塞に旅立てなかったのである。










ここまでお読みいただき、ありがとうございます。


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