拾玖
星見の宴での事件のことは、ひと月もたてば忘れ去られた。王太后リイェンがあまり表舞台に出てこなくなったし、リンフェイもスヨンもけろりとしている。支持者層は厚いが、敵も多いこの二人だ。結局、何も変わらなかった。
「けど、あの一連の事件で、かなりの金が国外へ流出した」
リンフェイが冷静に指摘した。財政を司る戸部に調べさせたところ、金回りは確かによくないようだという報告を、スヨンも受けていた。
「戦争でも起こす気なんだろうか」
スヨンも言う。碁石を置くが、さっとリンフェイに受け流された。すぐに自分の手番になり、スヨンは腕を組んで考えた。囲碁はスヨンの方が得意だが、後手になったのでちょっと分が悪いのである。
「考えられるのは北の威族か?」
「西の大国が我々を狙うとは考えにくいからね。東の帝国とは、僑国を挟んでる。そこの女王が簡単に帝国軍を通すとは考えにくいね」
スヨンに同意するようにリンフェイは言った。消去法で北の異民族の可能性が高い。リンフェイの件を見てもわかるように、この国は排他的だ。西方の血が混じる者も多い威族は敵視されている。元をたどれば同じ民族だったと思うのだが。
ぱち、とスヨンは白石を置く。一見悪手であるその手に、さしものリンフェイも考え込んだ。スヨンはその間に茶をすする。ちなみに、ここはスヨンの自宅である。
この国、爽国は西域との境界にある。大陸の東端にある帝国よりは西域に近いが、それ故に異国人に対して敵意も持っていた。何度も戦争をしたからだ。まあ、貿易くらいの交流はあるのだが。
その反対側、この国から見て帝国と国境を接している僑国は、数年前まで荒れに荒れていた。五年ほど前まで、不老長寿の『旧き友』が僑国を治めていたのだが、長い時の間に賢君も暴君に変わったというわけだ。まさに、長い時を一人の人物が統治する弊害を見た感じだ。
その内乱には隣国である爽国も巻き込まれ、被害を出した。スヨンやリンフェイの師であるリーメイが亡くなったのもこの時である。
数年間続いたこの混乱も、五年ほど前に終息した。王の遠い親戚にあたる女性が、『旧き友』の王を討ち、王位についたからだ。過激ではあるが賢明なこの女王は、爽国に戦を仕掛けたりはしないだろう。
とはいえ、リンフェイが指摘した通り、僑国の内乱で、多くの難民が彼の国から流出したのは事実。威族に合流した者がいてもおかしくはない。
「面倒事ばかりだ」
「まったくだね」
リンフェイが黒石を置く。寄せに入ってきたリンフェイに、スヨンは顔をしかめつつも応じる。終局まで行き、地を数えると、リンフェイが五目分勝っていた。
「そう言えばお前、術で塔の壁を吹き飛ばしただろう」
修理することになった。リンフェイは、自分を閉じ込めていた塔を破壊してしまったわけで、その負担は彼女にも発生しているが、彼女は気にするそぶりもない。
「助けを待っていられる状態じゃなかったし。イーミン兄さんも尾行してたし、いいかなって」
そもそも、通力を封じなかったやつらの詰めが甘いのだ、と彼女は言い切った。まあ、確かにそうかもしれないが。
リンフェイは風に親和性が高い術者だが、主にその能力は近接戦闘に貼りふられている。通力もスヨンほど多くない。そのため、あの話し合いの後気を失うようにして倒れて眠り始めた。その前も大量に食べていたので、単純に通力が足りなかったのだろう。術を使った後に、大量食いしたり長時間眠ったり、はざらなもので今更誰も驚いたりはしない。他にも、他者から通力を分けてもらう方法はなくはないが、使用することは少ない。
ちなみに、調査に協力してくれたイーミンは、すでに別の地に旅立っている。北の様子を見に行くそうだ。身体能力的には低い彼であるが、その代わり方士としての能力は優れているので、大丈夫だと思うことにする。
「……正直、嫌疑をかけられたとき、お前は逃げるのではないかと思った」
彼女にスヨンの生死は伝えられていなかった。スヨンがいるから、もう少しいてもいいかなと思った、と言ったのはリンフェイ自身だ。彼がいなくなったのなら、リンフェイがこの国にいる動機はかけらもなくなる。
「うん。だけど、私にも情がないわけじゃないからね。無理やり王にしたのに、今の状況でズーシェンを放り出すことはできない」
「無理やり王にした自覚はあるんだな」
「うん。一応ね」
リンフェイは、女王に、と請われても自分の登極を認めなかった。強き王は今の時代には必要ない、と。
しかし、彼女は時代が求める王になることができる。彼女はもともと、聡明な公主だった。必要であれば、平和を維持する文治王にもなれるはずだった。そういう意味で、彼女はズーシェンに王位を押し付けたのだ。
「男は一度は王になりたいと思うそうだけど、スヨンもそう?」
「いや、私は思ったことがないな」
リンフェイの知識はかなり偏っていると思うのだが、いかがだろう。
「それに、たとえ思ったところで、私は王にはなれないだろう。例えその資格があったとしても。何しろ、一番欲しいものに手を伸ばすことができないからな」
「へー、スヨンが? 何でも簡単に手に入れそうなのに」
再対局するために白石を持ったリンフェイの言葉に、スヨンは苦笑を浮かべる。
「失うばかりだ。私は」
リンフェイがその薄い色の瞳を見開いた。そう。この色を移さない眼も、失ったものの一つ。慣れているが、不便だな、と思うことはある。スヨンは手を伸ばし、緩やかに肩にかかるリンフェイの髪を手に取った。
「お前も、私も、失うことの方が多かった。だから、もう失いたくない、と思う。手に入れようとしたことで、失ってしまうのが怖い……」
「臆病にもなるかぁ。私は私的と公的を切り分けで考えているけど、それでも苦しいことは、確かにあるよ」
リンフェイは公的場面で切り捨てることが多い。前王ハオユーのことだってそうだ。そう言う立場にいるのだから仕方がないともいえるが、やはり心苦しい面はある。
柔らかな髪をもてあそび、口づけると手を放した。リンフェイが目をしばたたかせる。
「どうしたの? 珍しいね」
動揺のかけらもなくリンフェイは言った。彼女は外面を取り繕うのがうまいので、見ただけでは彼女が何を考えているかわからない。
周囲からさんざん言われたことがある。今回の王太后リイェンの暴走だって、リンフェイが継承権を持つ公主でなければ起こらなかっただろう。そう簡単に、継承権は放棄できるものではない。そう。降嫁するのが手っ取り早い。そうして、ズーシェンの姉シュランは王位継承権を失っている。
今回の毒殺騒ぎでリンフェイの評価が変わらなかったように、彼女が公主で亡くなったからと言って、彼女の評価が変わるものではない。だとしたら、彼女は降嫁しても問題ないのではないか。ただ、国防を担う太尉でもある。夫に理解がなければならない。そして、ここに理解のある男がいる。少々……下手をすれば親子ほど年は離れているものの、ありえない年の差ではない。そして、リンフェイの方ははっきりと好意を示している。
スヨンが口を開こうとしたとき、使用人が駆け込んできた。
「失礼いたします。王宮から、火急の要件です」
その瞬間、スヨンとリンフェイの表情が引き締まり、宰相と太尉の顔になった。
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