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軌道から外れた婚姻(F4-1)  作者: 闕恆遠


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第1章:11. 路地の温もりと、親友の探り(2)

夜の八時四十分。


内湖(ネイフー)区に佇む、築五年の高級タワーマンション。


闕恆遠(チュエ・ハンユエン)が指紋認証でドアのロックを解錠すると、玄関のダウンライトが感知して温かみのある黄色い光をふわりと灯した。


リビングにはほのかなアロマオイルの香りが漂い、大理石のテレビ壁に掛けられた液晶モニターには、海外のインテリアデザインのドキュメンタリーが音もなく流れている。


舒玟妤(スー・ウェンユー)は淡いグレーのシルクロングガウンを身に纏い、長い髪をバンスクリップで無造作に後ろでまとめていた。


広々とした柔らかいオフホワイトの本革ソファに小さく丸まるように腰掛け、膝の上に薄型のノートパソコンを載せて、来週凱盛(カイシェン)アセット本社で審査にかける広報執行予算表を真剣な面持ちで照合している。




「おかえりなさい」


「今日はどうしてこんなに遅かったの?」


舒玟妤は物音に気づいて顔を上げ、夫の方へと視線を向けた。


メイクをすっかり落とした後でもなお白く整ったその卵型の顔立ちに、しとやかで温かな笑みがふわりと浮かんだ。




「敦化北路(ドゥンホアベイルー)と信義(シンイー)区のあたりが雨でひどく渋滞していてな」


「ついでに少し野暮用を片付けていたんだ」


闕恆遠はコートを脱いで玄関のコート掛けへと掛け、ルームスリッパに履き替えてリビングへと歩み寄ってきた。




舒玟妤はノートパソコンをパタリと閉じてローテーブルの上に置くと、立ち上がってオープンキッチンのアイランドカウンターへと歩み寄った。


そして、闕恆遠のために淹れた温かいハチミツレモン水をグラスに注ぎ、そっと差し出した。


「ずいぶん疲れ切った顔をしているわね」


「新しい事務所を立ち上げたばかりで、最近は案件も立て込んで息つく暇もないんじゃない?」


舒玟妤はカウンターの縁に寄りかかりながら、微笑みをたたえて彼を見つめた。




「立ち上げたばかりだからな。どうしても自分で直接手を動かさなければならないことが多い」


闕恆遠はグラスを受け取って大きく一口含むと、ジャケットの内ポケットから契約書の修正意見のメモ書きを数枚取り出し、カウンターの上に何気なく置いた。


「ただ、今日の午後は実に冷や汗ものだった」


「伊凝婉(イー・ニンワン)の妹が企業法務専門のアソシエイト・パートナーを務める弁護士でな、」


「今日の退勤後にわざわざ事務所へ寄って、うちの工事請負契約書に目を通してくれたんだ」


「彼女の目は実に鋭い」


「クライアント側の法務が契約書の条文に巧妙に潜ませていた連帯賠償の罠を、ひと目で看破してくれた」


「彼女がその場で待ったをかけてくれなかったら、」


「うちは危うく何千万もの違約リスクを背負い込むところだった」




舒玟妤の表情が一瞬わずかに固まり、その瞳の奥深くに複雑な波紋がよぎった。


だが、それはすぐさま優雅な笑みの下へと巧みに覆い隠された。


「その弁護士さん、そんなに優秀な方なの?」


「なら、事務所にとっては本当に掘り出し物のような頼もしい味方ができたわね」


「それで、最終的にはどう対応したの?」




「その場でうちの事務所の専任顧問弁護士として契約を結んできた」


闕恆遠はソファに身を沈め、強張った頸椎のあたりを揉みほぐしながら、肩の荷が下りたような安堵と手応えをその声に滲ませた。


「これからのリスクマネジメントはすべて彼女に委ねることにした」


「これなら現場の人間も、後ろを気にすることなく前を向いて全力で走れる」




舒玟妤は歩み寄ると、温もりを帯びた柔らかい両手を夫の肩へと労わるように伸ばし、凝り固まった筋肉を優しく揉みほぐした。


「うちの闕(チュエ)総監も、だんだん大きな器を持つ経営者らしい風格と先見の明が板についてきたわね」


「専門的な仕事は専門家に委ねるべきだって、ちゃんと分かっているんだもの」


舒玟妤はくすりと笑いながら、からかうように言葉をかけた。




闕恆遠は背もたれに身体を預けて緊張を解きほぐしながら、ふと思い出したかのように何気なく口を開いた。


「そういえば、」


「今日の仕事終わりに事務所の下のアーケードで、」


「清禾のやつが大学の同じ学科だったという男にしつこく絡まれて、柱の陰で揉み合いになっているのを見かけてな」


「見苦しいほど強引に引っ張られていた」


「ちょうど私が下に降りて居合わせたものだから、」


「間に入って男を追い払ってやったんだ」


「その元同級生の男もかなり血気盛んでな、」


「危うく手を上げられそうな勢いだった」


「雨もひどかったし、」


「男がまだその辺りをうろついていたのもあって、」


「いっそ車で三重(サンチョン)にある清禾のアパートまで送ってやったんだ」


「それで少し帰りが遅くなってしまった」




舒玟妤が夫の肩を揉む指先の力加減やリズムには、些かの乱れも生じなかった。


それどころか、その口元にはまるで気にも留めていないかのような、淡く穏やかな笑みすら浮かべていた。


「この前あなたの話に出てきた、新しく事務所に採用したっていうあのアシスタントの子のこと?」


「大学を出たばかりの若い女の子だもの、」


「学生時代に言い寄る男の子のひとりやふたりいたって、ちっとも不思議じゃないわ」


「でも、今の若い男の子って血気にはやりやすくて、」


「本当に極端な行動に走りやすいところがあるものね」


「あなたも経営者なんだから、」


「ついでに自分の社員の危機を救ってあげるのは当然の務めよ」


「そうでもしなきゃ、外から見たら、」


「社員ひとりを守る気概もない頼りない事務所だって思われかねないじゃない」




舒玟妤の口調はどこまでも大らかで分別があり、世の妻が抱きがちな疑念や嫉妬の気配など微塵も感じさせなかった。


男女関係における闕恆遠の自律と潔白さを、誰よりも熟知しているのは他ならぬ彼女自身だった。


それに加えて彼女の目には、悦清禾など社会に出たばかりで、雀の涙ほどの薄給をもらい、飾り気のない作業着を着て現場を駆け回るだけの小さなアシスタントにしか映っていなかった。


己の確固たる地位を脅かす存在になど、天地がひっくり返ってもなり得ない。


そしてその根底には、ここ最近の舒玟妤が凱盛(カイシェン)アセットにおいて順風満帆な日々を謳歌しているという、より深い理由があった。


連昊成(リエン・ハオチェン)が職場において自分に向けてくれる絶対的な敬意と信頼、そして手厚く回してくれるグローバルプロジェクトのリソース。


それらは、エリートキャリアウーマンとしての彼女の自尊心と優越感を、かつてない高みへと押し上げていた。


夫である闕恆遠の誠心誠意な尽くしと気遣いに安らぎを覚えながらも、同時に彼女は、連昊成と肩を並べて戦うあの煌びやかなビジネスの世界がもたらす虚栄心と達成感に陶酔していた。


自分はすべてを手中に収め、完璧にコントロールしている。


今の己が手にする高い年収と洗練された視野は、闕恆遠の一途な愛を受けるにあまりあるほど相応しいのだと信じ切っていた。


ゆえに、世間知らずで青臭い小さなアシスタントなど、最初から眼中にすら入っていなかったのである。




「お疲れさま」


「お風呂、もう沸いているわよ」


「早く熱いシャワーを浴びて温まってきたら?」


舒玟妤は闕恆遠の肩をポンポンと優しく叩き、柔らかな声で促した。




「ああ、」


「君もあまり夜更かしせずに早く休みなさい」


「画面を遅くまで見つめすぎるなよ」


闕恆遠は舒玟妤の手を引き寄せてそっと叩き、立ち上がってバスルームへと向かった。




バスルームの扉が閉まり、間もなくしてザーザーと心地よい水音が漏れ聞こえてくるのを見届け、舒玟妤はソファへと戻り、再びノートパソコンを開いた。


彼女の指先はリズミカルに、軽快な音を立ててキーボードを叩いていく。


液晶モニターに映し出されていたのは、昼間に連昊成が自らサインして承認を下した、あの予算最終確認のページだった。


バスルームから響く一定のシャワーの音に耳を傾けながら、彼女の口元には、この上なく自信に満ちた、寛ぎきった淡い笑みが浮かんでいた。


家庭の平穏と、誰もが羨む輝かしいキャリアの双方を手中に収めている――


その完璧に見える現在の満ち足りた日々に、彼女は微塵の疑いもなく、心地よく酔いしれていた。

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