第1章:9. 泥濘の現場の姿と、深夜の温かいお茶(1)
十二月上旬の台北。連日のように降り続く冬の雨が、街中のアスファルトを濡れた漆黒に染め上げていた。
北東モンスーンが運んでくる骨身に染みる湿った寒風が、信義エリアの摩天楼の隙間を甲高い音を立てて吹き抜け、行き交う人々は一様に厚手のウールコートの襟を固くかき合わせている。
午前九時十五分。信義計画区の一等地を占める「信義承曜金融センター」の超高層インテリジェントオフィスビルの工事現場前には、大型ダンプやミキサー車が地響きのような轟音を立てて出入りを繰り返していた。
全三十八階建てのこの超高層タワーはすでに外観を完成させており、躯体構造や高層階の基本設備数ヶ月前に一次検査をパスしている。
早期の資金回収とグローバル企業の入居計画をスムーズに進めるため、ビル全体には業界で一般的な「段階的オープン(フェーズ別引き渡し)」方式が採用されていた。
二十階以上の高層オフィスフロアはすでに専用の動線分離が完了し、一部のグローバル外資系企業はすでに先行して入居業務を開始している。
目下、現場で最もクリティカルな局面を迎えているのは、一階の吹き抜け九メートルにおよぶメインロビー、地下の多目的ホール、そして高層階用エレベーターホールへと接続する共用部動線のインテリア本工事(スケルトンからの仕上げ工事)であった。
低層階の施工エリアは、黄色と黒の警戒色に塗られた背の高い防護ベニヤ板で厳重に遮断され、足元には木材や角材、太く黒い仮設ケーブルが張り巡らされ、空気中にはモルタルの粉塵と溶接切断の鼻を突く金属臭が濃密に立ち込めていた。
東側に設けられた独立した高層階用エグゼクティブエレベーターホールを行き交う、糊の効いたスーツを身に纏った外資系エリートたちと比べれば、この低層階の工事用通路は、まるで生々しく荒削りなもう一つの地下世界のようであった。
エレベーターホール脇の非常階段口。闕恆遠は真っ白な工事用ヘルメットを被り、耐摩耗性に優れた漆黒の防風マウンテンパーカーを身に纏い、足元には泥の飛沫がついたダークカラーのワークブーツを履いていた。
その手には高精度のレーザー距離計が握られ、険しく研ぎ澄まされた眼差しで、高さ九メートルの吹き抜け天井を這う空調ダクトと排煙管の配管ルートをじっと仰ぎ見ている。
彼の半歩後ろでは、少しサイズの大きい白いヘルメットを被った悦清禾が、ぬかるみと窪みの目立つ足元に細心の注意を払いながらついて歩いていた。
悦清禾はざっくりと編まれたキャメル色の厚手ニットの上に、少しオーバーサイズの頑丈なワークベストを羽織り、胸元には革製のコンベックスケースを下げ、両腕には広げられたA2サイズの防水図面(詳細納まり図)を抱え込むようにして必死に支えていた。
回転ドアがまだ設置されていないメインエントランスから冷たい隙間風が吹き込み、耳の下で切り揃えられた短い髪を激しく揺らしている。
清らかで色白の小さな輪郭は寒さでほんのりと赤らみ、小鼻の先はすっかり淡い桜色に染まっていた。
それでも、その澄んだ大きな瞳は闕恆遠の一挙手一投足を懸命に追い続け、もう片方の手に握りしめた赤の油性サインペンを緩めることなく、一瞬たりとも集中を切らすまいとしていた。
「清禾、」
「左足元の仮設照明の配電盤に気をつけて」
「アース線を踏まないようにね」
闕恆遠は振り返りもせず、まるで背中に目がついているかのように、静かな声で注意を促した。
「はいっ!」
「ありがとうございます、総監!」
悦清禾は泥水が溜まった窪みに入りそうになっていた左足を慌てて引き戻し、少し不器用な身のこなしでそれを避けた。その声音は澄み切っていたが、隠しきれない緊張が張り付いている。
闕恆遠は手元の距離計を下ろし、くるりと振り返ってこの社会に出たばかりの小さなアシスタントを見つめた。その口元には、かすかな柔らかさが過った。
「こういう大型商業ビルの躯体現場に入るのは初めてだろう?」
「うるさくて汚いところだな、って思わないかい?」
悦清禾は慌てて大きく首を横に振った。
その眼差しには甘えや怯えの色など微塵もなく、まるで未知の新大陸を探検しているかのような興奮と敬畏の念がきらきらと輝いていた。
「とんでもありません、」
「闕総監!」
「学生の頃は、平面のCAD図面を見ながら頭の中で空間の広がりを想像することしかできませんでしたから」
「今日こうして、これほど複雑な鉄骨の吹き抜け構造や空調ダクトの実際の納まりをこの目で見られて、」
「自分がいかに何も知らないかを思い知らされました」
「学校で基礎をしっかりと身につけたのは、君の確かな土台だ」
「だが、建築というのは最終的に人が使ってこそ息づくものだからね」
「構造体や配管というのは、建築にとっての骨格であり、血管なんだよ」
闕恆遠は巨大な鉄骨の角柱のそばへと歩み寄り、柱の表面に弾かれたばかりの墨線を指差した。
「こっちに来て、これを見てごらん」
「これは僕たちが設計した曲面石材パネルの下地になる部分だ」
「現場の職人たちが墨出しをする際、」
「垂直度の許容誤差はおおむね千分の二程度で見積もられることが多い」
「だが、この承曜グループが手掛ける最高峰のランドマークロビーにおいては、」
「肉眼でわずかでも認識できてしまうような傾きは、イタリア製テラゾータイルの目地の美しさを一瞬で台無しにしてしまう」
「水平器を当てて測ってごらん」
「柱頭から柱脚までの誤差の数値を、ノートに記録しておくんだ」
悦清禾はすぐさま小走りで駆け寄り、かさばる大判の図面を脇の下に挟み込んだ。
そして厚手の手袋を脱ぎ捨てると、ツールバッグから重量のある金属製水平器を引き抜き、両手を冷たくざらついた鉄骨柱の表面へとぴたりと当てた。
刺すような冬の寒風のなか、女の子の柔らかな指先は、わずか数十秒外気に晒されただけで関節のあたりが白く凍てついていく。
彼女は下唇をきゅっと噛み締め、水平器の中央にある小さな気泡を真剣な眼差しで見つめた。
吐く息に合わせて、長い睫毛がかすかに震えている。
その時、ロビーの奥から、現場の職人の野太く嗄れた怒号が響き渡った。
「どいたどいた!」
「そこ通るぞ!」
「天井クレーンで資材を吊り込む! 後ろのやつら、離れてろ!」
見れば、黄色いヘルメットを被った体格のいい二人の作業員が、何十本もの重い亜鉛メッキ鋼管を積んだ手押し車を押し、右手のスロープから勢いよく駆け下りてくるところだった。
手押し車の車輪がぬかるみ波打つコンクリートの床で激しく跳ね、固定が緩んでいた数本の長い鋼管が、その激震によって外側へと大きく弾け飛んだ。
耳をつんざく金属の衝突音を撒き散らしながら、通路に背を向けたままの悦清禾の背中をめがけて、まっすぐに薙ぎ払うように突っ込んでいく。
悦清禾は水平器の目盛りに全神経を集中させており、耳元に渦巻くディスクグラインダーの爆音にかき消され、背後に迫る致命的な危険にまるで気づいていなかった。




