第1章:5. 錯くぐった優しさと音なき亀裂(2)
土曜日の午後、台北の空には一片の雲もなく晴れ渡り、午後の陽光が敦化北路の街路樹のクスノキの葉に降り注いで、黄金色の光斑をきらめかせていた。
近代的なオフィスビルの八階、およそ六十坪ほどのスケルトン状態の空間には、微かなセメントと砂埃の匂いが立ち込めていた。
コンクリート打ち放しの床面は荒削りなまま残され、露出した配管や電気コードが数本這い、部屋の隅には図面のロールとレーザー墨出し器が無造作に積まれている。
闕恆遠はダークカラーのワークシャツにデニムを合わせ、手には五メートルのスチールメジャーと金属製のクリップボードを携え、壁面の垂直基準線を丹念に照合していた。
その双眸は研ぎ澄まされ、どこまでも真剣だった。
ビジネスの駆け引きの場で彼を包んでいたあの冷ややかな倦怠感は、己が心から愛する空間デザインを前にした途端、純粋な情熱と完璧な支配力へと鮮やかに昇華されていた。
「恆遠、」
「動線の引き方が見事だな」
「一番採光のいいこの窓際の一面をデザイン部に充てるとは」
「これなら間違いなくインスピレーションも湧き上がる」
江睿宇は買ってきたばかりの二本のミネラルウォーターを手に、足元の砂利や粉塵を踏みしめながら歩み寄ってきた。
そして、そのうちの一本を闕恆遠へと差し出した。
闕恆遠は背筋を伸ばし、受け取ったミネラルウォーターのキャップを捻って開けると、ごくりと喉を鳴らして大きく一口あおった。
手の甲で額に滲んだ薄い汗を拭い、目の前に広がる何もないスケルトン空間を見渡す。
その深い双眸には、久しく見ることのなかった明澄な光が宿っていた。
「このビルは採光の条件が抜群だからな」
「全面開放型のコワーキングスペースにして」
「会議室だけをスマート調光ガラスで仕切るつもりだ」
「会社設立の商号予備審査の認可もすでに下りた」
「来週の月曜には、独立のための資本金の払込確認を正式に済ませる」
闕恆遠は図面に描かれたゾーニングを指差し、揺るぎない確信と落ち着きを込めて語った。
江睿宇は破顔すると、闕恆遠の肩をぽんと叩いた。
その眼差しには、惜しみない賞賛と全幅の信頼が満ちていた。
「お前の仕事ぶりは昔から水も漏らさぬほど完璧だ」
「俺は百パーセント安心してるよ」
「俺たち二人のこの『遠睿統合設計』の看板だが」
「信義区のあの大型案件の初期プランニングと調整は」
「パートナーとしての俺のコネとリソースを総動員して、施工会社との交渉や外回りの面倒な折衝を全部引き受けてやる」
「このオフィスを仕上げて、正式に看板を掲げた暁には」
「業界の頭の固い古狸どもも、腰を抜かすに違いないさ」
「だが、それはそうとしてだな」
「お前の手足となるスタッフも、いい加減早めに集め始めないといけないぞ」
「『一人では天下を取れぬ』って言うだろ」
「お前一人で図面引いて現場に張り付き、俺が外回りを飛び回るだけじゃ」
「いくら身体があってもいつかぶっ壊れちまう」
闕恆遠は静かに頷くと、メジャーを巻き戻して腰のホルダーへと収めた。
「分かっている」
「来週には求人サイトに募集要項を出させる予定だ」
「初期の規模はそれほど大きくなくていい」
「意欲があって学ぶ姿勢があり」
「妙な癖のついていない実直な新人が一、二人いればいいんだ。事務処理や基礎的な図面の修正を手伝ってもらえれば十分だ」
「一から育て上げたほうが、足元もしっかり固まるからな」
「了解だ」
「履歴書を精査するときはいつでも声をかけてくれよ」
江睿宇はカラカラと笑いながら言った。
まもなく二人のものとなる設計事務所の真ん中に立ち、闕恆遠は窓外に広がる車の波と台北の街並みを見つめていた。
胸の奥から、言葉には尽くせぬほどの重い責任感と未来への期待が湧き上がってくる。
彼がかつての組織というぬるま湯を断ち切り、起業という巨大なリスクを背負い込む決断を下した理由。
それは自らのデザインの理想を追い求めるためだけでなく、それ以上に、この家庭を守り抜くための強い動機があったからだ。
己の両腕一本で、最短の時間で確固たる基盤を築き上げたい。
重い住宅ローンがのしかかる内湖の古いマンションを引き払い、眺望が開け、広々としたバルコニーのついた緑豊かなタワーマンションへと買い替えるのだ。
彼の胸の内には、すでに静かな青写真が描かれていた。
新事務所が無事に完成し、信義区の大型案件の契約が正式に結ばれたその日には、台北で最も格式あるルーフトップレストランを予約しよう。
この事務所も、新たな住まいへの希望も、すべてを惜しみなく注ぎ込むサプライズとして舒玟妤に贈り、ここ数年、自分についてくる中で彼女に背負わせてしまった肩身の狭さや不安を、心から償おうと。
闕恆遠は、二人の未来のためにどこまでも雄大で温かな絵図を描き出していた。
自らの妻がすでに彼に欺瞞を重ね、かつての男が支配する職場の深奥へと足を踏み入れてしまっていることなど、露ほども知らずに。




