第1章:4. 崩壊への前奏と深夜の愚痴(3)
金曜日の清晨七時、内湖のマンションに柔らかな朝の光が差し込んでいた。
昨夜の深酒による二日酔いの鈍痛がなおも頭の芯を苛んでいたが、闕恆遠はいつもよりずっと早く目を覚ましていた。
広々としたリビングに佇む彼の視線は、玄関キャビネットの上に飾られた一枚の写真へと注がれていた。
沖縄の眩い日差しを浴びて、二人で満面の笑みを弾けさせている結婚写真。
その光景を見つめる彼の脳裏には、昨夜、玥映嵐が投げかけてくれた一言一言が鮮明に反響していた。
映嵐の言う通りだ。
連昊成が落とした忌まわしい影などに、この結婚を滅茶苦茶に壊されてたまるものか。
自らの心の頑なな防壁を解き、今こそ自分からこの冷え切った氷を溶かさなければならないのだ。
闕恆遠はアイランドキッチンへと足を踏み入れ、冷蔵庫を開けると一本の牛乳を取り出した。
グラスへと注ぎ入れ、電子レンジに収めて温め始める。
続いて、舒玟妤が昨日買ってきていたトーストを手に取り、ポップアップトースターへと滑り込ませた。
ほどよく焼き色のついた黄金色のトースト二枚を丁寧に皿へと盛りつけ、湯気を立てるホットミルクとともに、大理石のダイニングテーブルの上へと整然と並べる。
その時、寝室のドアノブが静かに回った。
グレーの柔らかなコットンパジャマに身を包んだ舒玟妤が、眠気の残る目をこすりながら姿を現す。
この二週間のあいだ、彼女にとって毎日の朝はまさに針の筵のような苦痛そのものだった。
今日もまた、闕恆遠から氷のように冷たい視線を向けられ、無言のまま擦れ違うのだと、彼女はすでに痛ましい覚悟を決めていた。
しかしながら、ダイニングの光景をはっきりとその目に捉えた瞬間、彼女の身体は雷に打たれたように硬直した。
大理石のテーブルの上には、白い湯気を立てるホットミルクとこんがり焼かれた黄金色のトーストが並べられていた。
そして、そのテーブルの傍らに佇む闕恆遠はグレーのルームウェアを纏い、その端正な顔立ちからは、ここ最近彼女を凍えさせていたあの冷酷な拒絶と殺気が完全に消え去っていたのだ。
舒玟妤が出てきたことに気づくと、闕恆遠は顔を上げ、柔らかさを湛えた眼差しを彼女へと向けた。
さらには半月にも及んだあの窒息しそうな死の沈黙を、彼の方から自発的に破ってみせたのだ。
「起きたか?」
「今日は少し冷え込むみたいだ」
「牛乳を温めておいた」
「冷めないうちに飲んでくれ」
「朝から何も腹に入れないまま出社するのは、胃によくないからな」
彼の声音はどこまでも静かで、柔らかく、久しく忘れていた気遣いと温もりに満ちていた。
まるで二人が結婚したばかりの頃の、あの幸福な日々の光景をそのまま切り取ってきたかのようだった。
静寂に包まれたリビングに響き渡ったその優しい言葉は、しかし舒玟妤の魂の深奥を真っ向から撃ち抜く、凄まじい雷鳴となって炸裂した。
舒玟妤は廊下の入り口に立ち尽くしたまま、表情を和らげ、自発的に朝食を整えてくれた目の前の夫を呆然と見つめていた。
全身がことごとく硬直し、血管を巡る血潮が一瞬にして逆流していくかのような悪寒が走る。
あの闕恆遠が、自ら歩み寄りの姿勢を示してくれたのだ。
自らの誇りも、あの夜に味わわされた筆舌に尽くしがたい屈辱も押し殺し、心を入れ替えて彼女を受け入れ直し、優しく寄り添おうとしてくれている。
しかし、舒玟妤の指先は無意識のうちにパジャマの裾を力任せに握りしめ、その血色は一瞬にして蒼白へと染まり果てていた。
一昨日のあの光景が、狂ったような勢いで彼女の脳裏を渦巻いていた。
二十八階のあの会議室で、連昊成の正面に腰を下ろし、何の後ろめたさもなく彼から贈られた高級万年筆を受け取ってしまったこと。
あまつさえ心の底では元恋人への警戒を完全に解き放ち、あの会社でこれからも長く働き続けられることを密かに安堵してしまったこと。
そして、欺瞞と背徳の象徴そのものであるあの贈り物は、今この瞬間も、彼女のハンドバッグの底にひっそりと横たわっているのだ。
闕恆遠は、そのすべてを何も知らされていない。
自らの妻が外の世界でただ実直に奮闘していると信じ込み、ありったけの誠意を振り絞って、この壊れかけた夫婦の絆を修復しようとしているのだ。
闕恆遠は彼女が立ち尽くしたまま呆然としているのを見て、微かに首を傾げながら一歩足を踏み出した。
「どうした?」
「酷い顔色配だが」
「よく眠れなくて風邪でも引いたのか?」
そう口にしながら、彼はそっと右手を持ち上げた。
熱を測ってやろうと、彼女の額へと優しく指先を伸ばしかける。
闕恆遠の温かな掌が肌に触れようとしたその刹那、舒玟妤はまるで焼き鏝を押し当てられたかのように、激しく後方へと半歩飛び退いた。
彼の差し伸べた手を、完全に拒絶するように避けてしまったのだ。
闕恆遠の手が宙空に凍りつき、その双眸の奥に険しい光が宿る。
舒玟妤の心臓は激痛を伴って軋み、痙攣していた。
疚しさ、パニック、そして底知れぬ罪悪感が、毒を塗った鈍刀となって胸の奥底を狂ったように抉り回し、息の根を止めんばかりに締めつけてくる。
闕恆遠が優しくなればなるほど。
彼がかつてのように思いやりを注いでくれればくれるほど。
彼女の胸の内に巣食う罪悪感は、もはや背負いきれないほどの質量となって膨れ上がっていくのだ。
自分は、口を開けば嘘しか吐けない唾棄すべきペテン師に過ぎない。
彼にすべてを隠したまま連昊成の会社へと潜り込み、あまつさえ連昊成からの贈り物を受け取ってしまった。
それなのに、目の前で自らを深く愛してくれている夫は、全身全霊を傾けてこの関係を取り戻そうとしてくれているのだ。
「な……」
「なんでも、ないの」
舒玟妤の声は激しく震え、その目元は瞬く間に真っ赤に染まり、今にも涙が零れ落ちそうになっていた。
闕恆遠のあの澄んだ、気遣いに満ちた双眸を真っ向から見据える勇気など、彼女には爪の先ほども残されていなかった。
惨めに頭を垂れると、彼女は脱兎のごとくバスルームへと駆け込み、背後で荒々しく鍵を掛けた。
扉の外で、闕恆遠は空中に凍りついていた手をゆっくりと引き戻した。
硬く閉ざされたバスルームの扉を見つめるその眉間に、微かな歪みが走る。
一方、バスルームの内側では、舒玟妤が両手を洗面台に突いたまま立ち尽くしていた。
鏡の中に映し出された、死人のように血の気のない己の顔面。
大粒の涙が声もなく零れ落ち、冷たい大理石のカウンターを濡らしていく。
胸を引き裂くような苦痛と自責の念が、怒涛の濁流となって彼女の全身を容赦なく呑み込んでいた。
自らの手で幾重にも編み上げてしまった欺瞞の網は、何も知らぬ闕恆遠のあの温もりを前にして、彼女の肉と魂を無惨に削ぎ落とす、逃げ場のない絶望の深淵へと変貌していた。




