№92. 悪魔の因子
「はっ、はっ……」
(息をするんじゃ、メルナ。魔力はなんとか、余が回すから)
「……うん、ありがとう。ヨミちゃん」
浅い息を繰り返しながら少しずつ、少しずつ息を深めていく。肺に届く冷たい空気。異常なまでに高まったボクの体温。その差が焼けるような痛みをもって喉を襲う。
「さて……」
(どうするつもりじゃ、ここから?)
どうしたものか、鼻血を拭いながら息を吐く。体感、この氷は絶対零度に近い。そして熱で溶かせるものでもない。砕いて出てくるとしたら最低でも十秒はかかるだろう。そのときにロードがどうなってるか、そこだな。
「剣を振る力は……ははっ。あっちはどうかな」
メキメキと音が反響し、右手が小さく震える。白い氷にヒビが入り、熱風が噴き出した。やはり怪物、そこから現れた姿はまさに修羅だった。
「はァ、はァ……ッ。くく、楽しいなァ、メルナよ」
「頭……焼けてんじゃねぇか? もっと冷やした方がいいぞ」
ロードの服が凍り、邪魔だと言わんばかりに上半身の衣を引き裂いた。額からは一筋の血が落ち、右の目は潰れている。多少のダメージにはなったらしい。魔力も相当削れたように見える。
「さぁ、行くぞ……ッ!」
「くっ、そ……!」
地面を砕きながら接近、襲い来るその剣を受け止めた。空気が揺れ、氷が砕ける。魔力は温存したいが、そんな余裕もないか。命を削ってでも勝つしかない。
「はぁっ、げほっ……。『日の御子』!」
「ッ……!」
焔の牙を剥き、三つの斬撃を纏った一撃。剣を受け止めながらその斬撃が身体を貫き、凍結させた。動きを鈍らせ、ただひたすらに攻め立てる。
「くくっ、良い良い! もっとだ、我を殺してみせろ!」
「くそっ……死にてぇなら勝手にしろ……!」
高い金属音が響き続ける。一回、二回。何度も何度も剣が交差し、そのたびに熱と冷気が押し合った。地上ではどんな余波があるだろうか。それを気にする余裕もない。
「っ……お前はっ、暴れすぎなんだよ……!」
「くッ……!」
剣を払い身体を捩る。横に倒し、横腹に蹴りを喰らわせた。ロードは血を吐き、一瞬怯む。そのほんの刹那の間に刀を持ち直し、刃を反転させた。
「はぁっ、はぁ……っ」
「ッ……!?」
尻尾を這わせ、彼の左腕に巻きつける。慣れないが、できる限りの力で締め付け、固定。精一杯の魔力を刀に流し込んだ。
「『月燈』ァッ!」
「がッ……げほッ……!!」
斜めに構えた刃を下方向から振り上げ、そして斬り抜く。血飛沫も皮膚も凍結し、深々と侵食していった。締めていた尾はゆるりと解け、その氷を纏いながら跳ねる。青白い炎がロードを包み——その中から声がした。
「……破滅の書だ」
「ッ!?」
パチン、と指を鳴らす音。フワリと不可思議な文字が浮かび上がり、それがボクを囲った。円形に周囲を包む。嫌な予感、追い討ちをかけようと一歩、踏み出し——
「がはっ……!?」
「はァッ、はァッ……限界だろう、さっきから」
お互いにギロリと眼光を向ける。止めどなく流れ出る血液、冷たい汗が悪寒を走らせた。立て、立て。そう命令しても身体は思うように立ち上がらない。そしてゆっくり、文字が赤く発光した。
「『天の玉座』……」
「なッ……!?」
四方八方、至るところから銀色に輝く炎の柱が貫いた。氷を、冷気を纏う。けれどそれを砕くように激しい雷が襲いかかった。
「くぁっ……あぁァッ!!」
プスプスと何か、焼ける音がする。バリバリと突き破る音がする。炎と雷の中で、氷はまるで役に立たなかった。膨大なエネルギーを阻止するにはあまりに矮小、アマテラスで増幅されていても防ぎきれない。
「ぁっ、いぁッ……」
衣が燃え、肌を焼き焦がす。五秒、十秒。次第に熱を感じなくなるのは適応したからか、あるいは麻痺したからか。耳を震わす轟音が止むと、目の前に立つロードの姿はひどく神々しく見えた。
「はぁーっ……はぁーっ……」
「……なおも死なぬとは、我の魔力を学習したのか。恐ろしいのはどちらか……ッ!」
「がは……ッ!」
肩から腰にかけて、お返しだと言わんばりに刃に裂かれた。桜でも舞うように、真っ赤な雫が宙を踊る。堰を切るように口から溢れた紅色はひっくり返り、いつの間にかボクの身体が倒れ始めていた。
妙に遅く感じる。ゆっくり、視線がロードから天上へ。砕けた氷のフィールドからはちらりと岩肌が見える。そして背中が地面を叩き、血液が肺へと逆流する。
「ごぽっ、ごぷ……ッ」
「さぁ……どう出る。……終わりか、あるいは……」
視界の隅、限りなく下方でロードはボクを見下ろしていた。慎重なのか、あるいは期待なのか。迫り上がる血が重力に引きずり下ろされて呼吸を塞ぐ。そんな中でもどうしてか、ボクの頭は冴えていた。
(……ヨミ……ちゃん。アイツの炎……はっ、もう……)
(……あぁ、十分に慣れた頃合いじゃろう。ついでにあやつの剣技もじゃ。着実に差は埋まっとる)
(そうか……じゃあ——)
再び、心臓が強く跳ねた。ずっと不思議だったんだ。ツクヨミは最初、魔剣を持った少女だった。アマテラスの意思だとは言ったが、彼女が魔剣であることも確か。ならばあの魔剣——刀はどこに消えたのか。アマテラスの解放は近いものではあるが……。恐らくボクの解放はまだ完璧じゃない。
(……本当にやるのか? アレは身体がもつかどうか……上手くいっても戻れんかもしれんのじゃぞ)
(だとしても……やらなきゃ死ぬでしょ。……頼んだよ、ツクヨミ)
(っ……仕方ない。余は応援しかできんからな)
突然、尻尾が大きく跳ねた。左腕の筋肉がビクビクと動き、龍の鱗に覆われていく。そしてその末端、指先が再生し始めた。溢れた血液は凍結し、高温の炎を噴き出す。角と尻尾は更に大きく伸びていった。
「……はぁっ、はぁっ」
「くくっ……どちらが化け物だか」
右手には白く輝く聖剣アマテラス。そして左手の側に出現したのは漆黒の刃を持つ魔剣ツクヨミ。尻尾は無意識に跳ね続ける。
ボクの中の龍の因子を活性化させた。元より身体の半分は悪魔由来だ。今までは人間をベースにしていたが、それでは十分な力を発揮できない。だから今、悪魔の力を強く引き出し、その割合を五・五にしたのだ。その負荷は本来、人間が耐えられるものではない。
「……決着だ、ロード」
「あぁ。そうしよう」
魔力を震わせ、押し合う。左手のツクヨミを真っ直ぐ、喉に向かって構えた。青白い炎を纏わせ、この一帯の冷気を支配する。それを支えるようにアマテラスを横に備えた。黄緑色の炎が空気を焦がし、太陽の熱に対抗する。
「『黄泉……』」
「ッ……!?」
「『月光』!」
光が貫くよりも速く。熱が押し寄せるよりも速く。二振りの刀を並べながら接近、斬りかかった。ロードは咄嗟に反応するも、所詮は反射。できたのは防御だけ。刃を交えたままに尻尾を震わせ、力を底から引きずり出す。
「うォおおッ……!!」
「ぐっ、くく……ッ!」
雄叫びのような叫びと共に、ロードの身体を立ち上がる。熱と冷気が上昇気流を生み出し、その中心からボクの腕力が押し上げ、投げる。
落ちてきた穴とは別の、凍てついた岩を砕きながら地上、天へと放り出した。息をする暇も与えず、脚に力を、地面を蹴破る。ロードを追う——いや、追い討ちをかけるように、地上に向かって飛び跳ねた。




