№88. 銀色の夜
セレスの小屋を出てからどれだけの時間が経ったろうか。東の森を下りて王宮が見えるくらいだから、一時間や二時間でもないだろう。相当歩いたはずだ。なのに、何かがおかしい。
「……ねぇ、ヨミちゃん」
「言いたいことは分かるが……」
南の空が明るい。明るいとは言っても空が赤いだけだが、どうにも変だ。小屋を出たときから夕方だったろう。この世界特有の、そういう気候か何かか? いや、そんな話は聞かなかったがなぁ。
「日は沈んでるよな、もう。……嫌な気配だ」
「余もそう思う」
「おう、可愛いな」
夜が来ない、ということか。光の中心は天魔の樹海の方角、逆にその反対側は夜のような暗さでもあるが。だとしても夜といえるような暗さじゃない。白夜というやつか。いや、そうとも思えない。
「まぁでも、これといって害は感じないな。魔力も見当たらないし、天災か? 天変地異の名残り……は全部修正されてるよなぁ」
よほど遠くの誰かのせいだとしたら、魔力を感じ取れないのも当然。しかしそれほど遠くの空を光らせるほどのものを生み出せる者がいるだろうか。それこそまさにもう一つの太陽のような——いやいや、まさかな。そんなわけはないか。
「まっ、ひとまず帰ろうか。ここでやることもないし——っ!?」
突然、ボクの身体が光に包まれた。白い光に、魔力に包まれる。起点は腕輪か。温かく冷たい魔力に取り込まれたかと思えば、その次には見慣れた部屋——大きな魔石が置かれた王宮の地下室に戻っていた。
「はっ……!? びっくりしたぁ……!」
「ふむ、『継天の腕輪』は正しく作動したようだね。良かった、おかえり」
「兄さん……」
なるほど、『継天の腕輪』か。ベルアルド兄さんがボクのことを王宮に引き戻したらしい。何かが起こったのか。それともこのタイミング、それこそ南の空のことか。
「完全回復薬は貰えたかい?」
「えぇ、なんとか」
「……メルナ、何をしてきたのか俺にも教えてくれないか?」
「えっ……い! 嫌です!」
危ない、口走るところだった。何がって、ナニがあったんだから話せるわけがない。兄さんは怒っているのか……ふと見上げるとどこか浮ついた表情だった。これは怒ってるというより、単純に気になってる顔だな。つまりセクハラだ。
「あの、それでボクを呼んだ理由は? これは国宝、そうポンポンと使えるものじゃないんでしょ?」
「あぁ、もちろん。だが万が一に備えてだ。気づいてるのかは分からないが、新しい天変地異のようなものが起こっている」
彼の言葉になるほどと頷いた。やっぱり空のことか。そりゃあまぁ、おかしな現象ではあるよな。昨日まではてんで普通だったわけだし、あの明るさは南から大きく動くこともない。
「しかし、天変地異なのでしょうか。『スサノオ』、真世界の兵器は確かに破壊しました。ボクの記憶でもそんなことが可能な兵器はないはずですが」
「だろうね。兵器だとしたら用途が不明すぎる。およそ何かの自然現象だとは踏んでいるのだが、万が一ということもある。とりあえず上に行こうか」
「……はい」
兄さんに導かれるまま、地上へと続く階段を上る。カツカツと音が響くが、次第に視界が晴れていった。しかしまだ上へ上へ、案内されたのは広いベランダ。そこにいたのはアルさんと国王様、そしてミリア殿下だった。
「お父様までいらしたのですか……」
「メルナか、帰ったのだな。……お主の目にはアレは何と映る?」
「何って……正直何も分かりません。現実的なところで言えば何か……天体の運動のようなものでしょうか」
「ふふっ、現実的か。実際その線が濃いと思うがな」
アルさんや兄さんはいざというときの戦力として控えているのだろう。恐らく王妃様とルーク殿下はどこかの部屋に、ミリア殿下は優秀な魔導師として空を見ているのか。
「しかし、ならば何かしらの理由があるだろう。必ず何か、それが我らに良しか悪しか。備えるに越したことはなかろう」
「仰る通りです」
「ははっ、堅いな、メルナ。こんなときだ、緊張するな」
アルさんにビシバシと背中を叩かれると不意に頬が緩んでしまう。が、確かに分からないのは『なぜか』、ってところか。魔法ということにすれば単純だが、あんな大きな魔法が存在するのか。自然現象ならばその原因が分からなければ安心はできない。少しの不安と興味の中で、空の光がほんの少し、昇った気がした。
「あっ、おったおった。みんなして、何をしとるばい?」
「おい、アナスタシア。お主はもう少し弁えたらどうだ。ここは王宮、あまり部外者が勝手に歩き回るものではなかろう」
仲良くなのか。シアとゼノヴィオが髪を揺らしながら昇ってきた。自由人なのは二人ともらしいが、正直この二人がいるなら大抵のことはなんとかなる。もちろん国のこととなれば頼るべきではなかろうが、万が一の安心感があるのは確かだ。
「南の空がさ、日が沈まないんだよ。夜が来ないの」
「……あっ、本当やん。全然気づかんかったばい。ちかっぱ恥ずかしいばい……」
「いやいや、そんな気にすることないって——」
謎に落ち込んでしまったシアを慰めるために近寄ったとき。およそそれと同時にだ。一瞬、南の光が強まり、国全体を明るく照らした。真夏の陽光のような暑さ。いや、『熱さ』だろうか。
まるで熱戦を浴びたように肌が痛み、そして真っ白に包まれる。あまりの光に目元を押さえていたはずが、気づけばうつ伏せに転がっていた。
「げほっ、げほっ。一体……何、が……っ!?」
夢だろうか。いや、きっと夢だ。血の匂い、炭の匂い。そして真っ赤に輝く空と大地。揺らめく空気と肺を焼く熱。どこか遠くのうめき声と泣き声。そして見上げた先、流血を払って覗いた先の人影。それは白い——いや、銀色に輝いた髪の、左腕だけの青年だった。
「はぁっ、はぁっ……! なんで……お前が……っ!? 生きて……!?」
「我とて友の前では張り切りたくもなるものだ。人は皆そうであろう、メビウス?」




