№87. 東の森再訪
聖議会を数日後に控え、ボクが訪れていたのはバラムランデの東の森。いつものシャツと丈の短いスカートの武官服と羽織を纏い、ゴブリンやら狼やらを斬り捨てながら軽やかな足取りで登っていた。ここを訪ねるのはいつぶりか。かなり前な気がする。
「ふんふーん。トレントには会いたくないな。魔力でも垂れ流しにしておくかぁ」
誰が聞いてるわけでもなく、ただ一人呟いた。傷が治るまで、ナナも他のみんなも過保護だった。風呂のときなんて動きが鈍いのを良いことに徹底的に遊ばれてしまったし、こうして一人でいられる時間があるといつになく心が軽い。もちろん、アルさんを始めワイワイするのも好きではあるが。
「にしても久しぶりだな。あっちはボクのこと覚えてるかな」
以前会った頃よりも数段逞しくなってるからなぁ。もしかしたら気づかれないかもしれない。そもそもここに来るのもボクは二度目、気づく方が難しい気さえする。——と、そんなとき。前方にソレが見えた。
「はぁーっ! こうして見ると変わらないなぁ!」
山頂の古い小屋、周りには木の一本も生えていない平原。『魔女の小屋』、当時はここに来るだけで死にかけたものだが、今ではほんのちょちょいのちょいだ。成長したなぁ、ボクも。
「ごめんくださーい!」
「はぁい。お客さんなんて珍し——あら?」
ふんわりとした声と共に小屋から現れたのは白髪の美女、いかにもな魔女・セレスだった。彼女は一瞬、目を見開いたが、また柔らかく妖しい笑みを浮かべる。どうやらボクを覚えていそうだ。
「あらあら、誰かと思ったら。メルナちゃん、強くなったのね。背丈は変わらず可愛らしいけれど」
「嘘だぁ。ボク、絶対大きくなってますって。それよかセレスさん、お願いがあるんですけど——」
「あなた二回目じゃない。私が叶える願いは一回だけよ。慈善活動じゃないんだから」
「……えっ!?」
なんてこった、それは想定外だ。完全回復薬の備えを貰っとこうと思ったのに、諦めるか? いや、完全回復薬をポンポン作れるのはセレスくらいだ。とはいえボクは——あれ? 前って結局、願い聞いてもらってなくないか?
「でもねぇ、メルナちゃん可愛いし、ちょっとだけ贔屓しちゃおうかしら。あぁ、でもそれじゃあ不公平だものねぇ」
「セレスさん! 何でも聞きますから、贔屓してくれませんか?」
半泣きで叫びかけながらお願いした。他を当たる余裕はないし金もそんなにない。国の備えの完全回復薬をそう簡単に使うわけにもいかないし、なんとかここで補充したい。備えあればなんとやらだからな。
「何でも、ねぇ。そういうことなら、メルナちゃん。ちょっとお願い聞いてくれる? そしたら完全回復薬の一つくらい譲ってあげるわよ」
「本当ですか!? もちろんです!」
何でも、というのが不安ではあるが。とはいえいざというときの命には変えられない。ボクは彼女に招かれるまま前に進み、小屋へと入れてもらった。万が一に備えてアマテラスはいつでも抜けるようにしてあるが、恐らくその心配もないだろう。
「うわぁ……色んな薬品があるんですね」
「魔女だからね、色んな薬やらを研究してるのよ。もちろん、薬だけではなく魔法についてもだけど。ほら、そこに腰掛けておいて」
セレスが指差した椅子に座り、周りを見渡す。コポコポと鳴るビーカーに様々な薬瓶。おそらく回復薬以外の効能があるポーションも作っているのだろう。中には怪しいものもありそうだが……。
(ヨミちゃん?)
(あぁ、任せておけ。何か毒物でも仕込まれそうじゃったら余が警告してやる)
(流石、頼りになるね)
ツクヨミが目を輝かせてくれてるのなら心配ないか。となればボクのすることは少ない。彼女のお願いとやらを聞いて完全回復薬を貰うだけだ。
「ほら、ぶどうジュースでも飲むといいわ」
「やったー! ありがとうございます!」
セレスが奥から戻ってくると、紫色のジュースを差し出してくれた。ほんのり酸味と深い甘さ。ぶどうは良いものだ。いや、別に心底喜んでるわけじゃないけどね。子供じゃないんだから。しかし、ジュースを流し込んだ次の瞬間——
「んっ……!?」
心臓が大きく跳ねたかと思えば、次の瞬間にはヘロヘロと気が抜けていく。力が全くと言っていいほどに入らず、どこかピリピリとした熱が走った。
(ヨミちゃん……!? いきなりじゃんか……!)
(むっ? あぁ、すまん。なんか面白そうじゃったから、別に良いかなって)
(良くないでしょ……!)
命に関わるものではないのだろう。それくらい、ボクも体感で分かる。しかし命の危険がなくとも、これはマズい。そんな中でセレスがボクの頬を撫で、顎を持ち上げた。
「ひゃぅっ……!?」
「ふふ、可愛いわね。安心して。私のお願いはちょっと可愛がらせてもらうだけだから」
「はっ、まっ……待って、セレスさ——」
制止も虚しく、小屋の中に閉じ込められた。時間にしてどれほどか。数時間、あるいはもう少しかもしれない。訪れたときは昇ったばかりだった陽光が今ではすっかり空を赤く染め上げ、どこか爽やかな空気の中で沈む準備をしている。
「うぅっ……もうお嫁に行けない!」
(元から行く気ないじゃろ。人形にされたくらいで大袈裟な)
「あーぁ、楽しかった。ほら、メルナちゃん。コレ、完全回復薬よ。お願いを聞くならまたいつでも貰いに来ていいからね」
「はい……っ、ありがとう、ございます……っ」
呼吸の乱れと跳ねる心臓がなかなか落ち着かない。頭の中では楽しげなツクヨミの鼻歌を聞きつつ、フラフラと揺れる身体で小屋の扉を開ける。
冷たい風が理性を冷やし、やっと落ち着いてきただろうか。いや、まだしばらくは浮かれていそうだが、魔物くらいは問題なく狩って帰れるだろう。とはいえまぁ、これで完全回復薬を手に入れられるなら……。良かったのかな、と思うのは既にセレスの思う壺なのかもしれない。




