№83. 起・承・転・
くい、と刃を捻る。するとその氷像は心臓から崩壊を始めた。すぐ隣には黒く崩れたオルトレイの姿。命を懸けて、隙を作ってくれた人。
「ゼェッ、ゼェッ……」
氷像は崩壊し、ガラスの破片のようにキラリと輝きながら塵へと変わった。世界最強ともあろうものが、情けないものだ。なぜこうも、狂ってしまったのか。知らぬ間に、ボクの瞳から一筋、雫が伝い落ちた。
「メルナ……っ」
「あぃあ゛っ……あぃ、あ゛ず」
ボロボロの身体が倒れ込もうというところ、地面と衝突する前にアルさんが抱き留めてくれた。潰れた喉では声も出せず、感謝の言葉も紡げない。けれど彼女の優しい顔は、ボクの言葉を受け取ってくれていた。
「……痛いだろう。今は喋らなくたってい。ほら、回復薬を……」
「待つんじゃ、アルよ。メルナはついさっき完全回復薬を飲んだばかり。飲ませるにしても下級のものをゆっくりにしてやってくれ」
「あぁ、なるほど。そんな無茶をしたのか」
薬液の入った小瓶を口に当てられ、小さく一口ずつゆっくりと飲まされていく。魔力が触れ、傷口に沁みた。痛みも苦味もいつもなら嫌だと言いたいくらい。けれど今は大人しく、アルさんの膝の上で半目瞑りながら受け入れていた。
「ところで、何があったと言うのだ。メビウスの図書館に入って……おかしくなったのはそこからだ」
「それは余が説明しよう」
コクコクと飲まされている間、ツクヨミがアルさんに一部始終を説明した。メビウスの図書館で見つけた資料、そして見た過去。スサノオの影響とロードの計画。そしてボクの持つ魂がメビウスのものだったということ。アルさんはたまに目を見開きつつも、静かに話を聞いてくれていた。
「なるほど、合点がいった。戦闘の最中は確認する暇もなく、なんとなく聞いてただけなんだ。……大変だったな、メルナ」
「いえ、ボクなんて……メビウスの記憶も今こそあれど、元はありませんでしたし」
霞みながらも、しっかりと発声できる。回復を感じてからは重い身体を起こし、ロードのいた場所へと歩みを進めた。氷漬けになりながらも、なおも形を保っている剣、スサノオ。それを慎重に手に取る。
「これも本当は、世界を壊すためのものじゃないんですよ」
「……というと?」
「どうにもできない厄災が訪れたとき、それをなかったことにするための兵器なんです。もちろん、過去を塗り替えるわけですし、その影響で現世がめちゃくちゃになる可能性もある。だからこその最終手段」
本当は世界を守るためのもの。ロードでもどうにもできなかったときに、最後の最後で手に取ってほしいと思っていた守護の剣。魔力を走らせると氷に亀裂が入り、そして砕け散った。
「……直って、いく……?」
歪んだ空が修正を始め、雨も次第に勢いを失っていく。理が元に戻っていくんだ。緊張から解き放たれ、倒れそうになったところをツクヨミが絡みついた。
「おっと、気をつけい、メルナ。主は身を削りすぎじゃ」
「ははっ、反論もないよ」
また一度、視線を落とす。黒い破片と、青白い破片。かたやボク達に倒され、かたやボク達に勝機を与えてくれた存在。なぜあんなにアッサリと命を捨てることができたのか。それだけロードが脅威であり、ボクらに希望を見出してくれたのだろう。
「あっけないな、まったく。……セクハラおじさん、愉快だったのになぁ……」
「お前が病むことはない。彼は彼なりに使命を全うしたのだ。武人の心、分からないわけではあるまい?」
正直、こういう愉快な人は死なないんじゃないかと思っていた。戦いが終わった後にも軽口を叩いてくれるんじゃないかと。どんな怪物も人は人、死ぬときは死ぬ。涙が流れないのはボクが冷酷だからだろうか。
「……真世界に一度戻ろうか。ナナが待っている」
「はい。……?」
鼻をツンと刺す痛みを堪えるように、ゆっくりと顔を空に向けた。曇ってはいるが、雨が止んだ空。一箇所、異常に黒い影がある。おかしな形の雲……ではない。
「むむ……? くははっ! 激しい魔力が蠢いていたかと思えば、お主、メルナではないか!」
「えっ、ゼノヴィオさん……!?」
「いかにも。それよりなんだ、この戦闘跡は?」
「え、えと、これは……」
空を覆うほどの黒い巨体、現れたのは竜王ゼノヴィオだった。ロードとの戦いを嗅ぎつけてきてくれたのか。だとしたら少し遅かったが、良い足にはなってくれるかもしれない。
「これは今、ロードとの戦いがあって……」
「あれ、メルナちゃんやん。久しかね。どげんしたと?」
「シア! 久しぶりだけど……来てたんだ——わっと!」
黒い巨体からひょっこりと顔を出し、そのままボクに抱きついてきた。弱った身体では受け止められないが、それも理解していたのか。フワリと甘い香りが漂う程度に抑えてくれた。
「今、ちょうどロードとの戦いが終わったところだ」
「何だと? お主ら、アイツに勝ったのか!?」
「不意打ちと、オルトレイのおかげだけど……」
この二人にはもう少し早く来てほしかった、と言うのはわがままだろう。だろうけど。七大覇王に数えられる二人、彼らがいればもっと違ったかもしれない。あるいは油断も隙も与えてくれなかった可能性もあるが。結局、過ぎたことは仕方ない。
「ゼノヴィオさん、悪いんだけど! ボク達を背中に乗せてってくれないかなぁ? 真世界を経由して、王国に戻りたいんだ!」
「おう、乗れ乗れ! 我がこの背中で休むと良いさ。本当は命を捨てるほどの戦いと思っておったのだ。それくらいわけもない」
「ありがとう。さぁ、アルお姉様も行きましょう」
「うちが乗せちゃるばい。手ぇ出して」
ボク達はシアの手を借りながら、ボロボロの身体をゼノヴィオの背中に持ち上げた。黒髪硬い鱗がクッションになり、見た目の割に心地良い。重い身体も、竜王からしてみればちっぽけな質量。翼を広げ、飛翔すればひとたび、涼しい風が頬を撫でた。




