№08. 完全回復薬
息は絶え絶え。身体は軋み、歩くたびに激痛が走る。特に左腕は骨も関節も砕け、とてもじゃないが動かせやしない。服を千切って縛ったけれど、早く帰らないと……。
「……はっ、はっ。……アレが、魔女の……」
山頂の少し開けた場所。そこだけは木々も遠のき、ただの平地のようになっている。花が咲いてるわけでもなく、どこか寂れた空間。それが余計に、魔女の存在を、この小屋を際立たせる。
「……ごめん、ください。ここに、魔女がいると……聞いたのですが……」
まだ小屋に手も届かないような距離。それなのに、ボクの口は動いていた。意識が朦朧としているのか、一刻も早く返事がほしいのか。分からないけど、その場に魔女を、完全回復薬を求めているのは確かだった。
「……あら、ふふ。今夜は騒がしいと思ったら……。随分と可愛らしいお客さんね」
「はぁっ、はぁっ……。ぁ……」
魔女だ。一目見てそう分かった。紫色の衣装に、とんがり帽。白く美しい髪に吸い込まれそうなほど深く、青い瞳。若く、妖艶な姿はテンプレのような魔女そのものだった。
「もし、意識はあるかしら、お嬢ちゃん? 私はセレス。あなたのお名前は?」
「ボ、ボクは……っ。メルナ、って言います。あな、たは……。噂の、魔女ですか……? なんでも、願いを聞いてくれるって……」
「メルナちゃん、か。ふふ、そうねぇ。ここまで頑張って来たのなら、お姉さん、頑張っちゃおうかしら」
あの噂は……本当、だったのか。それとも罠? 分からない。正常に判断できるだけの意識が、理性が、ボクには残されていない。
「安心しなさい、メルナちゃん。私はねぇ、面白いことが好きなのよ。この森は険しかったでしょう? そんな森を抜けて、ここまで来るって、そんな面白い人との繋がりは持っておきたいものだわ」
「はっ、はっ……。じゃあ、ボク……完全回復薬を……欲しくて……っ」
一歩、一歩と小屋に寄る。あと少し、その小屋まで。彼女の瞳に映るボクの姿はあまりに痛々しいものだった。変わらず美しい容姿ながらも、節々が赤黒く染まり、形が歪んで……。けれどその眼には明らかな芯を持っている、そんな姿。
「あら、気をつけて。そこは危ないわ」
「なっ……! くぁっ!」
何か、硬いものが地面から浮き出て、ボクの脚を捕まえた。そしてキツく締め付けながら、上へ上へと這い上がる。剣を抜こうにも、腕には力も入らない。
「がっ、く……離、せ……っ!」
「あらあら、油断しちゃったかしら。ダメじゃない。この小屋まで来ないと」
クスクスとしたさりげない笑い声も、今はよく聞こえない。脚を砕くように巻きつき、それが上半身にも腕にも。その触手のような……いや、頑丈な枝だ。じゃあコレは——
「ト、トレント……っ!」
「そう、大樹の魔物。硬くしなやか、そして何より……異常なまでの怪力」
「あっ、あァァ……ッ!!」
バキン、と。まるで鉄が割れたような、およそ人体から発せられたとは思えない音が脳に響いた。それも一度じゃない。二度や三度も、絶え間なく。ただボクの身体を潰そうと、強く締めつけた。
「トレントは木だからね。食事は普通の魔物とは違うんだよ。小さく砕いて、最後に溶かす。ふふ、趣味が悪いでしょう?」
「いぎっ……かっ、あァっ!」
「あら、助けてほしいの? ダメよ。私が施すのは私の元に来た子だけ。あと少し、前に来たら助けてあげるわよ」
痛い、痛い。全身が内側から焼かれるみたいに。なんで、ここまで来て……。ボクは、完全回復薬が欲しくて……覚悟はしてたけど。こんな、目の前まで来たのに……。
「くっ……あァっ! ……っ!」
「うーん、どうしようかしら。せっかく可愛いんだけどなぁ」
あぁ、ダメだ。あらゆる音がボクの悲鳴と、身体の悲鳴に掻き消される。鋭い痛みが……いや、もう指先の感覚はない。このまま死ぬのか……? せっかく、生き返ったというのに。
この枝はまるで鉄、いや、それ以上の硬度かもしれない。仮に剣を振れたとて、力が回復したとして。これじゃあそもそも勝ち目がない。大樹の魔物なんて……炎は? いや、ゴブリン・キングとの戦いで魔力は限界だ。
「くぅっ、がぁァ! やっ、ぁ……い゛っ!」
肺から空気が押し出され、流れるのは血液ばかり。骨も内臓も何もかも、もうすぐ死ぬのだと、嫌でもそう分からされた。逃げ場もない。逃げる力も、勝つ力もない。命を諦め、脱力しようとしたそのとき。
「……?」
「っ! ふふ、あらあら」
突然、ボクを拘束していた枝が無くなり、そのまま落下した。……無くなったのではない。斬られたんだ。流れるような所作で、野菜でも斬るように。
「はぁっ、はぁっ……危なかった」
「……っ、あぁ……っ!」
ポスッと、ボクの身体は優しく包まれ、地面に叩きつけられることはなかった。目の前にあったのは優しい顔。強い瞳。綺麗な髪。どうしてここにいるのか、どうして動けるのか。分からなかったけれど、彼女がここにいるのは事実だった。
「バカ者が! 完全回復薬の一つや二つ、城にはあるに決まっているだろうが……!」
「ぁ……ふぇ……ごめ、なさ……っ。死ぬかとっ、思った……っ! 怖かったぁ……!」
「まったく、帰ったら説教だぞ。よしよし、ありがとうな。私のために」
視界は滲んで、前は見えない。けど滲みは赤色ではなく、透き通った透明だった。目の前の巨大な魔物はすっかり枯れて、崩れる。ボクも緊張の糸がプツリと切れ、せっかく築き上げた強さが、音を立てて崩れていくようだった。
「趣味が悪いな、セレス。目の前で人が死ぬところだったぞ」
「あら、人を助けなくてはならないなんて法があったかしら。それに魔女は慈善事業じゃないのよ。森に入れば魔力を落としていく。その魔力が薬草や森を育てる。生きてここまで来たら、そのお礼に願いを叶える。私がするのはそれだけのことよ?」
「メルナはここまで来ていただろう」
「あと一歩だったかしらね」
遠い意識の向こう側で、今まで聞いたことのない怒りの声と、反対にどこまでものうのうとした声色が響く。それでもボクはアルさんの腕の中だからか、先ほどまでよりもずって落ち着き、ずっと安心していた。
「……まぁいい。だがこれでその一歩、進んだだろう。さぁ、完全回復薬を持ってこい」
「はいはい、もちろんあげますよ」
「よし。……ほら、メルナ。飲みなさい」
顎を持ち上げられて、半ば強制的に喉の奥に流し込まれた。爽やかな香りが鼻を抜け、胃に落ちれば全身に巡った。ドクン、ドクンと、心臓は強く波打ち。身体は柔らかな温もりに包まれ、いつしか痛みは消え失せた。体力も完全に回復し——
けれど崩れ落ちた強がりだけは戻らずに。ボクの意識だけは次第に深まる。アルさんの温かい腕の中、その胸に頭を預けて、優しい夢に引きずり込まれた。




